「僕は、絵を描くことが好きだ。美術に真剣に向き合って、自分がどこまでできるのか試してみたい」
 豊富な人生経験で武装された父さんの脳内に少しでも響くように、声を張る。
 自分が、こんなに力強い声を出せるなんて、知らなかった。
「だから、卓球部を辞めて美術部に入る」

 川岸で何度も聴いたソプラノが、頭のてっぺんからつま先まで僕を支えてくれている。足がすくまないように、ちゃんと父さんの目を見て話せるように。

 数秒間の沈黙。
 父さんの瞳が、大きなポスターの上を散策している。
 知らない土地をじっくり味わうような視線。
 やっと、見てもらえた気がする。
 「運動ができない男の子」以外の僕の側面を。

「俺には絵はわからんが、すごいんじゃないか」
 異国の伝統料理を咀嚼するような表情を浮かべて、ゆっくりと言葉を紡ぐ父さん。
「落書きだなんて言って、すまなかったな。人によって、何が大事かは違うのにな」
 リビングは、父さんに嘘がバレたあの夜のように静かだった。
「小さい頃から、よく絵を描いていることが多いとは薄々感じていたがな。子供ってそういうもんなのかとか考えたり。よくわからなかった。お前がそんなにしっかりとした気持ちを抱いていることを知らなかった」

 ちゃんと説明すればよかったのかもしれない。
 頭ごなしに叱られるだけだなんて、僕の思い違いだったのかもしれない。

「話はそれで終わりか?」
「うん」
「わかった。片桐先生にもきちんと挨拶するんだぞ。それと——」
 そこで言葉を切った父さんの表情は、僕が物心ついて初めて見るほどに寛大だった。
「何か道具が必要なら、いつでも相談してきなさい」
「……うん、ありがとう」

 父さんがテレビをつけると、ニュース番組で春の甲子園のハイライトが取り上げられていた。
 ピッチャーの手元を飛び出した豪速球を黄金色のバットが正確に捕らえ、爽快な音が鳴り響く。

 青空を切り裂いたボールが、流星のように観客席へ舞い降りた。