授業終わりまではまだ十分くらいあり、僕らはしばらく雑談を続けた。
 
「水島くん、少し前に転校してきたばかりだけど、もうすっかり学校に馴染んでるね」
「まあさすがにね」
 転校してから三ヶ月と少し。優等生の水島くんはクラスのみんなからも頼りにされていて、つい数ヶ月前に転校してきたという感じはもうない。

「転入直後はいろいろ大変だったけど、ある程度落ち着いてきたよ」
「やっぱり手続きとかいろいろ面倒なの?」
「そうだね。加えて、学校にやっと慣れてきた頃に、どこに何があるのかまた一から覚え直しになったし」

 あと細かいことで言えば、と続ける水島くん。
「学年カラーが前の学校と違うからややこしいんだよね。あっちでは僕の学年は赤色だったからさ」

 たわいもない、雑談のはずだった。
 なのになぜか、開けてはいけない箱の中身に迫っている気がしていた。

「女子はセーラー服の真ん中に大きな赤いリボン(・・・・・)をつけていたし、同級生は赤色って印象が強くて」

 瞬間、意識が河川敷に飛ぶ。

 胸元をまじまじと見ることなんてなくても、何度も目にした制服のデザインは脳裏にくっきり刻まれていた。
 おそるおそる、記憶からイメージを取り出す。
 あのセーラー服のリボンの色は。

「水島くん、寅中の緑色って、今何年生?」
「三年生だけど、どうしたんだい?」

 体の内側に、雨の匂いが立ち込めた。

「……あのさ」
 重たい唇を動かして、質問を重ねる。
「柊遥奏って人知ってたりしない?」
 初めて、本人以外の前でその名前を口にした。
「ああ、柊先輩ね!」

 「先輩」という単語が、不気味な雨雲となって頭の中に浮かび上がる。
「知ってる知ってる。歌がとても上手くて有名人だったよ。この間、前の学校の友達と会った時に聞いたんだけど、たしか、芸術系の高校に推薦で受かったらしい」

 雨雲が、みるみるうちに頭の中を覆って、
「一流の先生に声楽を習いに、わざわざ関西の高校に進学するらしいよ」
 雷が、全身を貫いた。

 遥奏は三年生で、関西の高校に進学予定。
 今は、三月中旬。

 常識的に考えて、これらの事実がどういうことを意味するか、嫌でもわかってしまった。

「すごいよね。一芸に秀でてる人って憧れるよ。ところで、篠崎くんはどうして柊先輩のことを知っているんだい?」
 水島くんの声が、遠くで聞こえる。
「おーい、篠崎くん……」

 僕はその場で、停電していた。