「凪」
早番のシフトが終わり、夕刻時の帰宅路を歩いている途中、カバンの中のスマホが振動した。
電話の振動だった。名前を見てすぐに応答した凪の耳に、恋人の声は震えて聞こえた。
「何か、あったのか」
凪とまゆは同棲をできるほどの金銭的な余裕がない。まゆは大学三年になり、就職活動に勤しんでいるし、凪は変わらずフリーターのままだ。二人はその分、なるべく頻繁に互いの近況を報告し合っていた。時間を見つけてたくさんのデートを重ね、プレゼントを贈り合い、思い出を共有し続けた。
「…………まゆ?」
通話口から無言が続く。よくないことでも起きたのかと、凪は不安を覚えた。
「どうした」
「凪、あのね」
一呼吸おいて、まゆが話し始めた。
内容を知った瞬間、外でなかったら飛び上がりたいほど凪は興奮した。世界が拓けるほどの吉報だったのだ。
「オファーが来た」
「……仕事か!?」
ドク、と心臓が熱く燃えたぎるような感覚を味わった。チャンスが回ってきたのだ。忙しない毎日を送っていたところに、突然やってきた巡り合わせ。驚きと武者震いで、早く先が聞きたくなった。
「どんな?」
「うちの事務所に所属してみませんかって」
「スカウトか、なるほど」
「私の動画、見てくれたの。それで、オーディションを受けさせたいから、うちと契約を結んでほしいって先方が」
「どこの事務所?」
「Aプロダクション」
「中規模の芸能事務所だな。まゆ、やったじゃん!」
「ありがとう。すっごく嬉しい」
まゆはほっとしたように声を弾ませる。
「凪が喜んでくれてよかった」
「自分のことのように嬉しいよ」
思えばずいぶんと素直になったものだ。自分で発言しながら笑えてくる。
「それでね」
まゆが続けた。