鼻筋にそっと唇をのせた後、ゆっくりと下って、口にたどり着いた。
 数秒、柔らかな時間を楽しんだ。

 幸せな瞬間が自分にはあった。

 甘えられる異性に思いきり甘えて、最後にとんでもない奈落の底まで突き落とされたいという劣情。立ち上がれなくなるくらい倒れ込んで、溺れてすがりつきたいという、消し炭のような欲望が。

 常に自分の内に眠る動機のままに生きてきたつもりだ。これからもずっと遊ばれて、受け入れられて、そして五月女凪という形を溶かして分解され続けるだろう。理念も概念もいらなくなるほど、這いつくばりたかった。

 口を離すと、まゆの瞳にいつにも増して暗い陰が差していた。

「……まゆ?」
「私はおかしい?」

 まゆの瞳は何かに揺らめいていた。

 熱いものを感じた。火。自分が付き合う恋人はいつも何かに燃えていた。火だと思った。自分自身へ向けるものもいれば、社会に向かっているものもあった。それは形容しがたい感情だった。まゆの中から身体を超えて噴き出しているその様が、凪にはわかっていた。

「もう一度言うけど、まゆは何に怒ってるの?」

 恋人は再び口をつぐんでしまった。