道の真ん中を一台のサイドカーが走っていた。道といってもただ土を固めてだけの草が膝下まで生い茂げる草原のような道だった。

 サイドカーはエンジンをふかしながら、かなり速い速度で走行しているが、がたがたと揺れるのでときおり左右にぐらついてしまう。そのとき運転手は慣れた手つきでハンドルをきり、まっすぐに修正した。

 その運転手は華奢な体を隠すように厚いジャケットを身に着けていた。肩には使い古したウエストバックが斜めがけにかけてある。腰につけたベルトに小物をいれる袋がついていて、横にはハンドガンのホルスターをつけている。その中には一丁の自動式拳銃が収まっていた。 

 ヘルメットはつけておらず、頭には赤いバンダナ、首には赤いマフラーが巻かれてあった。通常より長いタイプのマフラーだから防寒用に口を覆うことができる。ただ今はあまりが風に吹かれて蛇のように動いている。目を守るゴーグルの下の表情はまだ幼さを残していた。大きくて丸い目が特徴的な当たり障りのない顔で、見る人にとっては美形ともとれる顔つきだが、今は眠そうな顔をしていた。

 となりに座る女の子が運転手に言った。

「今度はどこに向かっているの? 私はロトがやってることがいっこうに理解できないわ」

 ロトと呼ばれた運転手は目線を変えずこう答えた。

「それは僕にもわからない、でもあそこに国があるからそこに行ってみようと思う」

 ふたりが進む先に住宅地のような家が建っていた。その手前に門があり、何人か人が立っている。

「宿なしはいやよ。野宿はもうこりごり」

 女の子がため息をもらしたその瞬間、サイドカーの速度が落ち始めた。

「ガス欠かも」

「さいあくね」

「怒らないで、テオ」

 ロトの少しも悪びれていない様子にテオと呼ばれた女の子が呆れた口調でつぶやく。

「これで何度目よ、なんで給油のランプを確認しないの? あの国にスタンドがなかったらどうするつもり?」

「どうしようか。そのときはそうだな……もういっそあの国に住んじゃおうよ」

 失速したサイドカーは次第に地面との摩擦に負けてゆるやかに停止する。停止した瞬間にテオはロトは何事もなかったかのように運転席をおり原因を探るためサイドカーのお尻にまわった。

「側車からおりてくれるかな」

 ロトの問いかけにも振り返らず正面を向き、なげやりな態度のまま口調を荒げた。
「いやよ、私はなんにも悪くないもの」
「そうだね、じゃあここでテントを張ろうか?」
 楽しそうにそう提案してきたロトに腹が立ったテオは側車から降り、顔を真っ赤にしながらずかずかと近づいてくる。
「私はもう野宿はいやよ!」
「じゃあ、どうしようか?」
「あの門があるところまで押すわ!」
 テオはそう言ってサイドカーのお尻を力強く推し始める。
「もう早く手伝ってよ」
 そう急かされたロトは微笑んでサイドカーのお尻を押し始めた。

 門の前までサイドカーをふたりで押してようやくたどり着いた。へとへとのふたりを見て赤い服を着た門番のおじさんは笑いながら水を持ってきてくれた。
「ごきげんようご両人。この町には観光かな」
「いいえ、燃料と食料の補充をお願いしたいのですが」
 ロトは大人のように落ち着いた口ぶりで用件を言うものだから門番のおじさんは驚いたように言った。
「そうか君たちはその年でディアスポラなのか、じゃあ少しの間この町に滞在すればいい。いま申請書を持ってきてやる」
 テオはまだサイドカーにもたれかかって水を飲んでいた。ロトがこの町に滞在すると伝えるとすぐに立ち上がりとびあがって喜んだ。
「私、シャワーを浴びたいわ、お腹もすいたし」
「それはよかった。でもお金は限られているから、高いホテルには泊まれないし、豪遊もできない。あくまでも食料と燃料の補給を最優先にして、それ以外は使わない。テオ僕の話聞いてる?」

 ふたりはいくつかの簡単な質問に答え二日間の滞在の許可を得た。国や町によっては何時間と待たされることがあるのに五分程度で終わり、特にしつこい身体調査などはなかった。変わったことと言えばこの国に滞在する間は指定された服を着なければいけないということだけだった。
 ありがたいことに親切な国民はサイドカーのメンテナンスもしてくれるという。
「さて、とりあえずどうする」
 ロトは上機嫌なテオに尋ねた。
「ホテルに行きましょう。そしてシャワーを浴びるの」
 ロトは頷いて歩き出した。
 この国にはホテルがひとつしかないらしく、値段も特別高いわけでもなく据え置きだった。フロントには同じような顔の同じ服を着たスタッフが鎮座し、スムーズに仕事をこなしていた。
 ロトとテオは同じ部屋に入った。ベッドはツインで思っていたよりきれいな部屋だった。テオは部屋に入るなり服を脱ぎ捨てて、ロトはとっさに後ろを向いたが、テオはそんなことをおかまいなしにシャワー室に入っていった。
 その間、ロトはウエストバックからペンと古代石板のように分厚い日記帳を出して今日の出来事を記録した。今日の天気、滞在期間、テオの機嫌その他もろもろをかき終えた後、感想を一言だけ記す。
 これまでに記載してある国や町は百をこえている。ロトは滞在した国や町のイメージを用いてオリジナルのラベリングをしていた。その中には正義の国や嘘を知らない国などユニークな名前が連なっていて、そこで起きた出来事が事細かに描写されていた。「夢の国」ロトがそう書き記した国の詳細は百ページを超えている。滞在期間は二年。風来坊の自分が市民権を得て、定職に就き国民たちと変わらない生活を送っていた日々の記録。
「おっといけない」
 ロトは日記に手をかけることをやめ、ホテルマンを呼ぶと洗濯サービスを頼んだ。ラッキーなことに旅人は無料でやってくれるという。しかも明日の朝には間に合わせると約束してくれた。
「なにかお礼を」
 ロトはポケットからチップを取り出し渡そうとしたがホテルマンはこれを断った。
「私どもの国ではそういった行為自体が禁止されているのです」
 ロトは理解すると頭を下げる。
「お気持ちだけ頂きます」
 ホテルマンはロトに笑みを返すと一礼して部屋を出て行った。シャワーの音だけが部屋に響き渡りおもむろ身支度用の鏡にうつる自分をみながら腰にあるハンドガンに手を伸ばした。素早く腰から抜くと構える。それを何度も繰り返して精度を上げる。ロトの日課だ。いつどんなときでも身を守れるよう余念はない。ロトのハンドガンは殺傷能力は低いが比較的扱いやすい拳銃で命中精度がいい。ロトが弾倉から弾丸をだして、別の弾倉に詰めなおそうとしたときタオル一枚のテオがシャワー室からでてきた。
「さっぱりしたかい?」
「おかげさまで」
 テオは満足そうにロトに言った。ガラス越しに外を見て言った。
「ねえやっぱり変じゃない? なんでみんな同じ赤い服着ているの?」
「さぁ。そういう文化なんじゃないの」
 ロトは興味がなさそうに言って、部屋を出た。そのままホテルを出て辺りを見回すと道路を一本挟んだところにレストランとかいてある建物があった。カラス越しに見える客や店員はみんな同じ赤い服を着ている。
「やっぱり変だよ。この国」
 赤い服を着たテオが追いかけてきて言った。
「明日この国の歴史について調べてみようか。様子見がてら何か食べに行こう」

 レストランに入ったふたりを出迎えたのはやはり赤い服を着た人たちで、メニューはひとつしかない。ふたりは焼き魚と米のような穀物と野菜、デザート不思議な色のフルーツの料理を全ての客が食べている。五分もしないうちにその料理が運ばれてきて、ふたりはそれを食べた。おいしかったと言っていい。味と量のわりにとても安かった。ホテルに戻るとロトはシャワーを浴びた。明日のことをテオと相談するつもりで早くあがったのにテオはベッドで寝息をかいて寝ていた。ロトがテオの体を揺すって起こすとテオは不満そうにロトを睨んだ。 
「テオ明日のことなんだけど」
「眠いの」
「それは僕も同じさ」
「私はねロト、きれいでふかふかなベッドがあるとすぐに眠くなる病気なの。難病なの。もう永くないの。だからおやすみなさい」
 そう言うとテオは、もうなにをしても起きることはなかった。ロトは諦めて、
「おやすみなさい。テオ」
 小さくつぶやくと、こくりと頷いてまた寝息をかきはじめる。
 ロトも次第に眠くなって横になった視界がぼやけてまぶたがどっと重くなって目を閉じた。

 翌朝、太陽が顔を出したと同時にロトは目覚めた。部屋の荷物受けに昨日頼んだ洗濯物と一緒に今度は緑の服が入っていた。その後シャワーを浴びて、用意された緑の服を着てロビーの近くのレストランを訪れると、やはり緑色の服を着たスタッフが出迎えてくれた。朝食はバイキング形式で、ロト以外の客も緑色の服を着ている。
 満腹になるまで食べたあと部屋に戻るとテオはまだ寝ていた。ロトはテオにかけてある毛布を取り上げるとそのままベッドから落とした。ごんと言う鈍い音が響きテオが起き上がる。
「おはよう」
「おはようロト。私なんだかすごく体が痛いのだけれどなぜかしら?」
「さぁ、きっと寝相が悪くてあちこちぶつけたんじゃない?」
 ロトは荷造りをはじめる。テオは寝ぼけたまま、シャワーを浴びに行くといって着ている服を脱ぎ捨てた。ロトがため息をつきながら顔を背ける。あの調子では、出発は太陽が空高く上がる頃だな。

 太陽が空高く上がった頃、テオはようやく身支度を整えた。ふたりはホテルをチェックアウトして、ホテルマンにもらった地図を見ながら丘の上にあるこの国の歴史資料館に向かった。テオが支度をしている間、ロトは事前に資料館にアポイントをとっていたから、館長自らガイドをしてくれるらしい。歩きながら携帯食料を買い込むと車のクラクションが聞こえて振り返った。さきほどのホテルマンの男性が資料館まで送ってくれると言うのでテオはもう飛び上がって喜んで、
「ロトにこの国に住みましょう」と提案する。
 賑やかな通りを抜け坂を上るとこの町全体を見下ろすことができた。緑一色に染まった町はまるで田んぼに浮かぶ水草のように時間が経つたびに増えていった。
「ようこそおいでくださりました。ご連絡をしてくださったロトさんですね、私がこの資料館の館長ならびにこの国の大臣です」
 そう名乗る小太りの男も緑の服を着ていた。握手を求められたロトはそれに応えた。
「はじめまして、僕はロト・トレロ。彼女はテオドラ」
「テオって呼んでね。館長さん」
「ロトくん、テオさん。改めてようこそ私たちの町へ。さっそく中へどうぞ」
 四角いキューブのような建物の中には厳重に保管された本や絵画が飾ってあった。
「この町は昔、争いが絶えないひどい国でした。裕福な者は貧しい者を侮蔑し、こき使いました。この国には平等という概念がなかった。そこで私たちは立ち上がり富裕層を襲撃したのです。そのときの様子を描いた絵がこちらの絵画です」
 館長は指をさして説明した。テオは珍しく真剣に頷きながら話を聞いていた。
「私たちは勝ち取りました、平等を。富裕層の奴らを処刑してこの国は新たに生まれ変わったのですよ」
「館長さんひとつ質問いいですか?」
「はい。どうぞロトくん」
「この国の人たちが全員同じ格好をしているのは平等と関係あるのですか?」
「そのとおりです。ロトくん国民が同じ格好をするのは個性を消して、みんなと心を共有するための大事な行為なのです」
「個性を消す?」
 テオは首をかしげて言った。
「人と違うことをする人はそれだけで危険なのです。平等を守るためにはそう言った人たちを処刑しなければなりません。そうだおふたりに面白いものを見せてあげます。二階のロビーにきてください」
 ロトとテオは館長について行く。階段を上がってロビーにでると大きな川が見えた。その近くには七歳くらいの幼い子どもが列をなして並んでいる。
「いまから水浴び? たのしそうね」
「いいえテオさん。あの子達はいまから死ぬのです」
「えっ」
 顔色ひとつ変えずに言う館長に動揺を隠せないテオにかわりロトがなぜですかと質問した。
「一昨日、彼らと同じ歳の子どもが川遊びの最中、足を滑らして、おぼれて溺死しました。ですからあの子達も川で死ななくては平等ではないでしょう」
「それはおかしいわ。命をなんだと」
 テオはまだなにか言いたそうだったがロトが口を塞いだ。
『テオ。後ろに武装した人間がいる。しかも一人じゃない。うかつに口を開くな』
 耳元でつぶやく。テオは小さく頷くとロトは笑い館長の意見を尊重した。
「素晴らしいですね。でも逃げ出す子もいるでしょう。ほらあの子のように」
 ロトが指差した先には川の奥深くまで進むことができずに来た道を戻る子どもが見える。すると銃声が聞こえてきて子どもは倒れ川が赤く染まった。肉眼では確認できないがおそらく頭を撃ちぬかれていて、骨の破片や脳の一部が四散して川に流されていく。
「ああやってみんなと同じことができないと撃ち殺されます。だってみんながしていることをしないなんて平等ではないじゃないですか。他に質問は?」
 テオは目を背けたがロトは目を見開いたまま幼い子どもたちが溺死するさまとそれを眺める親らしき大人たちをじっと見ていた。
「もしそうだとしたら、頭を撃ち抜くんじゃなくて、足を撃たなくてはだめです。みんな苦しんで死ぬのに、彼だけ苦しまずに死んだら不平等ですから」
 館長は、納得したように笑顔になって、何度も頷きロトの手を取り言った。
「素晴らしい、どうですか、ロトくん、テオさん。この国に住みませんか。あなたたちなら私たちと共に真の平等を分かち合えそうだ」
 ロトは笑いながら館長を見た。手を払い頭を下げて言った。
「僕たちは風来坊。それにもともと食料と燃料の補給で立ち寄った国なので旅を続けます」
 館長は残念そうな顔をして、ロトに言った。
「そうですか。それは残念です。いま、おふたりのサイドカーを準備させました。どうかお気をつけて旅を続けてください」

 ロトは黙ってエンジンをかけた。それから前を向いて、サイドカーを発進させた。
 国をでてからしばらく、草原の道をがたがた揺れながら走った。太陽が西に沈みかけて、西日がちらちらと視界に入る。
「ロト、私すごく気持ち悪いわ」
 テオがすごい顔で吐き気を訴えてきた。
「吐くなら側車にぶちまけないでね」
「ロトは平気なの?」
「別に、テオだって人が死ぬ瞬間なんてもう見飽きてるじゃないか」
 テオは呆れながら何か言おうとして口からきらきらしたものを草原にぶちまけた。
「テオ。せっかくご飯食べたのにもったいない」
 サイドカーはどんどん加速して道を進む。
「テオがよければあの国に引き返して移住することは可能だけど、どうする?」
「そんなことしたら、口に指をつっこんであなたにきらきらしたものをぶちまけてやるわ」
 ロトはくすっと笑いテオの背中を片手でさすった。
「今度はどんなわくわくが待ってるのかな、ドキドキしてきちゃった」
 ロトがそう言うとテオがきらきらしながらこう答えた。
「神様。どうか私に常識ある友達を恵んでください」