なんて馬鹿なことしたんだろう。

 せっかく話しかけてくれたのに。きっと私のこと、ちゃんと人の話も聞けない最低な人間だと思ったよね。

 私はそれ以来、後悔にさいなまれた。
 
 岡本君に鉢合わせるのが怖くて、運動場に足を運ぶこともなくなった。

 委員会が早く終わった日でも家に直帰するようにしている。

 一方で、嬉しいこともある。最近は、委員会が休みの日と琴乃の部活が休みの日が重なることが多く、学校帰りに賦二人でたくさん遊びにいける。

 昼休みに委員会があることも滅多にないので、また毎日琴乃とお昼ご飯が食べられる。

「うわー、今日も桜の弁当おいしそー」

 琴乃が目を輝かせて私のお弁当を見る。

 お母さんに、琴乃と一緒に弁当を食べることが多くなったことを言ったら張り切ってしまったのだ。

「琴乃、卵焼き好きでしょ。あげるよ」

「いいの!ありがとう」

 私は弁当を琴乃の方へ傾ける。

 小学校の運動会とかで一緒に弁当を食べるときには、琴乃はいつも私のお母さんの卵焼きを楽しみにしていた。

 琴乃は、琴乃なんだな。嬉々として私の弁当箱に箸を伸ばす琴乃を見て安心した。

 琴乃の箸が卵焼きを掴んだ瞬間、卵焼きがするりと箸と箸の間を潜り抜けた。
 
 卵焼きは私が弁当箱でキャッチしたが、慌てた琴乃が箸を床に落としてしまった。

「あちゃー。ちょっと洗ってくるわー」

 琴乃は、卵焼きが無事だということを確認してから、席を立って廊下へ消えていった。

 水道までは廊下をだいぶ歩かないといけない。戻ってくるまではだいぶ時間がかかるだろう。
 
 私は弁当箱に蓋をすると静かに窓の外を見やった。

 運動場にひっそりと置いてあるベンチ。昼間だと電柱の陰になって余計に目立たない。

 ふと、この間の岡本君の横顔が思い出される。あの時はびっくりしたな。一人でに苦笑いを浮かべた。

 「ごめん、ちょっと手貸してくんない?」

 そう、あの時も彼はそう言って……って、

 「岡本君!」

 私は驚いたあまり椅子から転げ落ちる。

「何そんな驚いてんだよ。同じクラスなんだから声くらいかけるだろ」

 彼はそう言ってクシャッと笑った。いじわるそうな、それでもって幼い子を甘やかすような優しい目をしていた。

 どこか懐かしいような笑顔。

「はい」

 岡本君は手を差し出してきた。

「いつまで床に寝っ転がってるつもり?」

 そう言われて私は自分の姿を確認する。大きく足を開いて教室に倒れ込んでいる。軽くめくれ上がったスカートは埃まみれになっていた。

 反射的に立ち上がり、スカートをひざ下まで伸ばして埃を払う。

 女の子らしくないみだりな姿を見せてしまった。

 恥ずかしい。

 岡本君は握ってもらえなかった手をつまらなさそうに引っ込めた。

「あのさ、先生にプリント運ぶように言われたんだけど、一人で運ぶには多すぎるんだ。手伝ってくんない?」

「あ、うん、いいよ」

 私は伏し目がちにそう言った。

「よかった、今度は逃げられなかった」

 岡本君がからかうように言った。

 
 手伝ってほしいと言った割に岡本君はプリントの八割を自分で持った。

 ペラペラの紙束を持って後ろを歩いているだけで申し訳ない。

 もうちょっと持てるって言ったけど、これくらい持てるからって断られた。

 職員室までは階段を下って廊下をある程度歩かないといけない。

 ただでさえ少し遠いというのに、彼と二人きりだという状況が余計に道のりを感じさせる。

 横に並ぶのは気が引けて、私は常に彼の数歩後ろをついて行った。特に会話はない。無言の重圧に耐えかねて、

「プリント重いね」

 と言った。

 何か言わなければとひねり出した結果だ。

「もうちょっと持とうか?」

 予想外の返事に、

「ううん。大丈夫。全然重くないよ」

 と訳の分からない返事をしてしまう。

 そして、また沈黙。

 こんなに気まずくなるならどうして私に頼んだの?と叫びたくなる。

 私が拒否できない人だから?
 
 私なら断らないって確信できたから?

 でも、常にクラスの陽キャたちに囲まれている岡本君なら、進んで手助けしてくれる友達なんていくらでもいるだろう。

 それに、私の性格だってそんなに知らないはずだ。

「もう、運動場来ないの?」

 職員室まであともう少し、というところで急に岡本君が話しかけてきた。

「最近ちょっと忙しくて」

 まさか本人にあなたに鉢合わせるのが怖くて、とは言えないので適当な言い訳をした。

「暇になったらまた来るの?」

「どうだろう」

 曖昧に言葉を濁した。

「来ればいいじゃん」

 岡本君にそんなこと言われるなんて思ってなかったから動揺してしまって、何も言葉を返せなかった。

「そういやお前、結木と仲いいよな」

「琴乃と?」

「うん。中学からの知り合い、とか?」

「小学校のころからの付き合いだけど」

 なぜ、彼はこんなこと聞くのか。

 なんだか気づいてはいけないような気がして、私はどこからともなくこみ上げてくる胸騒ぎを、心の奥底に無理やり押し込めた。