テスト週間は、いつも琴乃と近くの喫茶店かどこかで勉強していた。
当然、今回はそういうわけにもいかず、教室で自習しようと六時間目終了後も片づけをしないで教室に残っていた。
「なー、岡本は結木のことどう思ってんだよ」
「尊敬してるよ。才色兼備だよな」
岡本君の言葉に教室に居残っていた男子たちが湧く。テスト週間中は、大会直前の一部の部活を除いて原則休みとなっている。
「両想いじゃねぇか。早く答えてやれよ」
「答える?何に?」
「告白だよ。手紙、読んだだろ」
「あれはもはや手紙じゃない。まだ俺はあれを受取ってないし、答える権利もないと思うけど」
「何言ってんだよ。のんびりしてると別の男にとられるぞ」
「まー、岡本のライバルになるような男、今のところいないけどな」
勉強もそっちのけで男子たちは恋バナに花を咲かせている。
岡本君は迷惑そうな顔をしながらも言い返したりはしなかった。自由奔放に見えて意外と気を使う人なのだ。
「俺、大会近いしちょっと自主練してくるわ」
岡本君は本心か、逃げ出す言い訳かわからないが、そう言って教室を出ていった。
「あれ、陸上部って大会近いのか?」
「学校祭明け。どうせ学校祭準備期間も集中して練習できないだろ。大会まで時間はあっても練習できる時間が限られてるからな」
「そうか、お前も色々と大変だな。頑張れよ」
男子たちは素直に岡本君の言葉を受取って送りだした。
私も逃げ出したかったが、同じタイミングで教室を出たら、またあらぬ誤解を生んでしまう。運動場に岡本君の姿が見えた数分後にやっと席を立った。
男子たちの話題はすでに好きなアイドルに変わっていて、私の動きに全く気を留める様子はなかった。
私は、別館にある図書室に向かう。あそこなら人も少ないだろうし、集中して勉強できるだろう。
家で勉強するのは苦手だ。気分転換にと思って手に取った漫画やお菓子にいつの間にか夢中になってしまい、勉強がはかどらない。
部活が休みということで、放課後にすれ違う生徒数も多かったが、別館につながる廊下を進むにつれて人影はまばらになった。
夕日がよく入るように大きな窓ガラスがはめられている図書室は、閑散としていて、ただ、日の光に照らされた本が累々と並んでいた。
静かな時が流れている。
まるで、異空間に迷い込んだようだった。
本棚に囲まれた長細い机の一席に座って、ノートと教科書を開く。もたもたしていてもテストは待ってくれない。私は問題にとりかかった。
教科書に載っている問題をノートに解き、間違えたヵ所は印をつけておく。わからないところは参考書を見ながらなんとか理解しようとした。
でも、この世の高校生すべての疑問を解き明かすほど参考書は万能ではない。どれほど時間をかけて読み解いても解けない問題がいくつかあった。
いつもはこんな時、横にいる琴乃に
「解説のここの部分ってどういう意味?」
とか
「この問題、ここの部分分からないんだけど」
と聞いていた。
今回のテストは厳しいものになりそうだ。
わからなかった問題をそのまま放置しておくのも気分がよくないので、太めの付箋に「?」と書いて貼っておく。また今度解き直そう。今度は何かひらめくかもしれない。
わからない問題がでるたびに付箋を貼っていったが、みるみると付箋の数は増えていった。
窓から入り込んできて眩しかった日の光も徐々に細くなっていって、手元が少し見えづらくなってきた。
私は、スクバから小型のスタンドライトを取り出す。
淡い暖色が私のノートを照らしだした。よし、もうひと踏ん張りだ。
「?」の書かれた付箋が教科書からわんさかと突き出し数えきれないほどになったころ、図書室に足音が響いた。
「お疲れ」
いつかのように、ペットボトルが目の前に差し出された。
今回はキンキンに冷えたジュースじゃなくてホットコーヒーだったけど。
「うとうとしてるぞ」
「岡本君……」
いつもの調子でからかい気味に言ってくる。
「練習は?」
「日も暮れて来たし、切り上げてきた。テスト勉強もちゃんとしないとな」
彼は私の横にある椅子を引いた。
「珍しいな、立川が図書室で自習してるの」
「え、ってことは岡本君は」
「俺はいつも図書室で勉強してる。部活終わりとかの遅い時間でも図書室は明るいからな」
岡本君は腰を下ろして、鞄の中から数学の参考書を取り出す。
「なんで今日は図書室に?」
「いや……、いつもは琴乃と一緒に喫茶店とかで勉強してるんだけどね」
私が苦笑いしながら答えると彼は事情を察したようで
「悪い」
と目をそらした。
「いいの。私はこんなんでいいの」
私は目の前に立ちふさがっている数多の本を凝視しながら答えた。
「結木の手紙の件で、クラスの連中から白い目で見られてること言ってんのか?」
私は瞬き一つせず、本を見つめ続ける。
「それも、含めて、かな」
横で岡本君がため息をつくのが聞こえた。
「お前さぁ。ちょっとネガティブ過ぎない?」
「そういうところも含めて、だよ。私といると気分が沈むってよく言われる」
「そういうことを言ってるんじゃねぇよ。俺が言いたいのは、お前のこと信じてるやつがいるのを忘れんなってこと」
「……」
「お前がやってないって言ってる。だから、お前はやってない。俺は信じてる」
私は視線を一段下の本に移した。文庫コーナーが終わって分厚い歴史書が並んでいる。
「どうして信じてくれるの?」
「お前が悪い奴じゃないって知ってるから。俺は人を見る目には自信があるんだ」
自信たっぷりに話す岡本君に、私は申し訳なくなる。
下手したら彼の自尊心にまで傷をつけてしまうかもしれない。
バレたくないと思っていたのに、いざ岡本君に信じてると言われると黙っているのが苦しくなる。
いっそのこと何もかも話して楽になってしまいたい。でも、認めたら光咲たちはどんなひどいことをしてくるだろう。
彼女たちの勝ち誇った顔が頭に浮かぶ。
怖いな。琴乃との仲直りの希望も完全に断たれてしまうかもしれない。
今の状況でもだいぶ厳しいのは分かってるけど、まだ琴乃がだんまりを決め込んで私のことを責めに来ていない状況に、私はまだ一縷の望みを持っている。
そして、何より怖いのは、信じてくれている岡本君を裏切ることだ。
彼の失望した顔を見たくない。彼にだけは嫌われたくない。
でも、私は岡本君の失望した顔を見たくないから噓を打ち明けたいわけで。
なんだかわからなくなってきてしまった。私はいったいどうしたらいいんだろうか。
出口のない問いに迷い込んでしまった私の脳が、警報音を発し始める。
「ほら、またぼーっとしてる。テストでひどい点数取っちゃうぞ」
岡本くんが私の顔にコーヒーを押し当ててくる。ハッとしてシャーペンを握り直す。
いけない、今は勉強に集中しないと。私は解きかけていた数式に続きを書き始める。
書いては消して、書いては消して。
机のうえにはちょっとした消しカスの山が出来ていた。
参考書のページをせわしなくめくりながらまた、書いては消し。また、書いては消す。
最終的に諦めた私は付箋を取り出して「?」と書き、教科書にはりつけた。
「それ、貼っておいてどうすんの?」
「また、今度解き直そうかと」
「今度っていつ?」
「ひらめきそうな時」
「……、お前数学苦手だろ?」
「そうだけど」
「そうやって後回しにするから分からない問題が増えてくんだよ」
岡本君はあきれたように言って私の教科書とノートを覗き込んだ。
「これね、こことここ一回展開して考えないとだめだよ。あと、ここからは三角関数の公式を使って……」
岡本君は私のノートにさらさらと式を書き連ねていく。すごい。魔法みたいに問題が解けてしまう。
「はい、ここから先は自分で解き直して」
「……うん。ありがとう」
私がノートに続きを書いているとき、岡本君が私の教科書についている付箋の数を数えて驚愕する。
「うっわ、すごい数。これは解きがいがあるな」
そう言いながら、自分の教科書の同じ問題に星印をつける。
「明日から猛特訓だからな。覚悟しとけよ」
「え、いいの!でも、岡本君の勉強の邪魔じゃない?」
「人に教えるのは自分で解く二倍の効果があるって言うだろ」
私は嬉しかった。問題を教えてもらえることはもちろんだけど、明日も彼と一緒にいられるということが、たまらなく嬉しかった。
本当は明日から学校なんてさぼってしまおうかとも思い始めていた。
でも、今、明日も学校に来ようと心に決めた。
当然、今回はそういうわけにもいかず、教室で自習しようと六時間目終了後も片づけをしないで教室に残っていた。
「なー、岡本は結木のことどう思ってんだよ」
「尊敬してるよ。才色兼備だよな」
岡本君の言葉に教室に居残っていた男子たちが湧く。テスト週間中は、大会直前の一部の部活を除いて原則休みとなっている。
「両想いじゃねぇか。早く答えてやれよ」
「答える?何に?」
「告白だよ。手紙、読んだだろ」
「あれはもはや手紙じゃない。まだ俺はあれを受取ってないし、答える権利もないと思うけど」
「何言ってんだよ。のんびりしてると別の男にとられるぞ」
「まー、岡本のライバルになるような男、今のところいないけどな」
勉強もそっちのけで男子たちは恋バナに花を咲かせている。
岡本君は迷惑そうな顔をしながらも言い返したりはしなかった。自由奔放に見えて意外と気を使う人なのだ。
「俺、大会近いしちょっと自主練してくるわ」
岡本君は本心か、逃げ出す言い訳かわからないが、そう言って教室を出ていった。
「あれ、陸上部って大会近いのか?」
「学校祭明け。どうせ学校祭準備期間も集中して練習できないだろ。大会まで時間はあっても練習できる時間が限られてるからな」
「そうか、お前も色々と大変だな。頑張れよ」
男子たちは素直に岡本君の言葉を受取って送りだした。
私も逃げ出したかったが、同じタイミングで教室を出たら、またあらぬ誤解を生んでしまう。運動場に岡本君の姿が見えた数分後にやっと席を立った。
男子たちの話題はすでに好きなアイドルに変わっていて、私の動きに全く気を留める様子はなかった。
私は、別館にある図書室に向かう。あそこなら人も少ないだろうし、集中して勉強できるだろう。
家で勉強するのは苦手だ。気分転換にと思って手に取った漫画やお菓子にいつの間にか夢中になってしまい、勉強がはかどらない。
部活が休みということで、放課後にすれ違う生徒数も多かったが、別館につながる廊下を進むにつれて人影はまばらになった。
夕日がよく入るように大きな窓ガラスがはめられている図書室は、閑散としていて、ただ、日の光に照らされた本が累々と並んでいた。
静かな時が流れている。
まるで、異空間に迷い込んだようだった。
本棚に囲まれた長細い机の一席に座って、ノートと教科書を開く。もたもたしていてもテストは待ってくれない。私は問題にとりかかった。
教科書に載っている問題をノートに解き、間違えたヵ所は印をつけておく。わからないところは参考書を見ながらなんとか理解しようとした。
でも、この世の高校生すべての疑問を解き明かすほど参考書は万能ではない。どれほど時間をかけて読み解いても解けない問題がいくつかあった。
いつもはこんな時、横にいる琴乃に
「解説のここの部分ってどういう意味?」
とか
「この問題、ここの部分分からないんだけど」
と聞いていた。
今回のテストは厳しいものになりそうだ。
わからなかった問題をそのまま放置しておくのも気分がよくないので、太めの付箋に「?」と書いて貼っておく。また今度解き直そう。今度は何かひらめくかもしれない。
わからない問題がでるたびに付箋を貼っていったが、みるみると付箋の数は増えていった。
窓から入り込んできて眩しかった日の光も徐々に細くなっていって、手元が少し見えづらくなってきた。
私は、スクバから小型のスタンドライトを取り出す。
淡い暖色が私のノートを照らしだした。よし、もうひと踏ん張りだ。
「?」の書かれた付箋が教科書からわんさかと突き出し数えきれないほどになったころ、図書室に足音が響いた。
「お疲れ」
いつかのように、ペットボトルが目の前に差し出された。
今回はキンキンに冷えたジュースじゃなくてホットコーヒーだったけど。
「うとうとしてるぞ」
「岡本君……」
いつもの調子でからかい気味に言ってくる。
「練習は?」
「日も暮れて来たし、切り上げてきた。テスト勉強もちゃんとしないとな」
彼は私の横にある椅子を引いた。
「珍しいな、立川が図書室で自習してるの」
「え、ってことは岡本君は」
「俺はいつも図書室で勉強してる。部活終わりとかの遅い時間でも図書室は明るいからな」
岡本君は腰を下ろして、鞄の中から数学の参考書を取り出す。
「なんで今日は図書室に?」
「いや……、いつもは琴乃と一緒に喫茶店とかで勉強してるんだけどね」
私が苦笑いしながら答えると彼は事情を察したようで
「悪い」
と目をそらした。
「いいの。私はこんなんでいいの」
私は目の前に立ちふさがっている数多の本を凝視しながら答えた。
「結木の手紙の件で、クラスの連中から白い目で見られてること言ってんのか?」
私は瞬き一つせず、本を見つめ続ける。
「それも、含めて、かな」
横で岡本君がため息をつくのが聞こえた。
「お前さぁ。ちょっとネガティブ過ぎない?」
「そういうところも含めて、だよ。私といると気分が沈むってよく言われる」
「そういうことを言ってるんじゃねぇよ。俺が言いたいのは、お前のこと信じてるやつがいるのを忘れんなってこと」
「……」
「お前がやってないって言ってる。だから、お前はやってない。俺は信じてる」
私は視線を一段下の本に移した。文庫コーナーが終わって分厚い歴史書が並んでいる。
「どうして信じてくれるの?」
「お前が悪い奴じゃないって知ってるから。俺は人を見る目には自信があるんだ」
自信たっぷりに話す岡本君に、私は申し訳なくなる。
下手したら彼の自尊心にまで傷をつけてしまうかもしれない。
バレたくないと思っていたのに、いざ岡本君に信じてると言われると黙っているのが苦しくなる。
いっそのこと何もかも話して楽になってしまいたい。でも、認めたら光咲たちはどんなひどいことをしてくるだろう。
彼女たちの勝ち誇った顔が頭に浮かぶ。
怖いな。琴乃との仲直りの希望も完全に断たれてしまうかもしれない。
今の状況でもだいぶ厳しいのは分かってるけど、まだ琴乃がだんまりを決め込んで私のことを責めに来ていない状況に、私はまだ一縷の望みを持っている。
そして、何より怖いのは、信じてくれている岡本君を裏切ることだ。
彼の失望した顔を見たくない。彼にだけは嫌われたくない。
でも、私は岡本君の失望した顔を見たくないから噓を打ち明けたいわけで。
なんだかわからなくなってきてしまった。私はいったいどうしたらいいんだろうか。
出口のない問いに迷い込んでしまった私の脳が、警報音を発し始める。
「ほら、またぼーっとしてる。テストでひどい点数取っちゃうぞ」
岡本くんが私の顔にコーヒーを押し当ててくる。ハッとしてシャーペンを握り直す。
いけない、今は勉強に集中しないと。私は解きかけていた数式に続きを書き始める。
書いては消して、書いては消して。
机のうえにはちょっとした消しカスの山が出来ていた。
参考書のページをせわしなくめくりながらまた、書いては消し。また、書いては消す。
最終的に諦めた私は付箋を取り出して「?」と書き、教科書にはりつけた。
「それ、貼っておいてどうすんの?」
「また、今度解き直そうかと」
「今度っていつ?」
「ひらめきそうな時」
「……、お前数学苦手だろ?」
「そうだけど」
「そうやって後回しにするから分からない問題が増えてくんだよ」
岡本君はあきれたように言って私の教科書とノートを覗き込んだ。
「これね、こことここ一回展開して考えないとだめだよ。あと、ここからは三角関数の公式を使って……」
岡本君は私のノートにさらさらと式を書き連ねていく。すごい。魔法みたいに問題が解けてしまう。
「はい、ここから先は自分で解き直して」
「……うん。ありがとう」
私がノートに続きを書いているとき、岡本君が私の教科書についている付箋の数を数えて驚愕する。
「うっわ、すごい数。これは解きがいがあるな」
そう言いながら、自分の教科書の同じ問題に星印をつける。
「明日から猛特訓だからな。覚悟しとけよ」
「え、いいの!でも、岡本君の勉強の邪魔じゃない?」
「人に教えるのは自分で解く二倍の効果があるって言うだろ」
私は嬉しかった。問題を教えてもらえることはもちろんだけど、明日も彼と一緒にいられるということが、たまらなく嬉しかった。
本当は明日から学校なんてさぼってしまおうかとも思い始めていた。
でも、今、明日も学校に来ようと心に決めた。