「……あれ?」
今日は色んな人に遭遇する日だ。スライムさんの厨房の前を、見覚えのあるツノの持ち主がうろうろとしている。
「魔王様?」
「わっ! 驚いた、コユキか」
急に声をかけたので、魔王様は驚いてしまったみたいだ。私がそれを詫びると、彼は「いや、こちらこそ悪かった」と少しバツが悪そうに小さく笑った。
「どうしたんですか? 厨房に用事ですか? ……誰もいないみたいですけど」
「いや……執務に追われていたら、夕食を取り損ねてしまってな。何か作ってもらえないかと思ったのだが……我慢するしかないようだな」
グゥ~~という間の抜けた音が、廊下に響いた。その音は魔王様のお腹から聞こえてきたもので、私はおかしくなってしまってつい噴き出してしまう。魔王様はさらに恥ずかしそうに顔をそむけた。
「あの、よろしければ私が何か作りましょうか?」
私は顔の半分だけ笑ったままそう提案すると、魔王様はパッと顔をこちらに向ける。
「いいのか?」
「簡単な物でいいなら、すぐに用意できますよ」
「すまない、頼んでもいいだろうか?」
「はい!」
魔王様は「執務室にいるので、そこに届けて欲しい」と告げて、黒いモヤとなり消えていった。私は急ぎ足で自分の調理室に向かう。頭の中は、夜食メニューの構想でいっぱいだ。
「魔王様、執務室にいるって言ってたから……多分まだ仕事してるんだよね。それなら、手軽に食べられるものがいいかな?」
私は冷蔵庫の前に立つ。
「海苔と卵、ランチョンミート缶! あとはご飯とレタス!」
そう冷蔵庫に呼び掛けると、中からゴトンという音が響いた。私は冷蔵庫の扉を開けて、にんまりと笑う。私がいつも食べている夜食メニューが魔王様の口に合うか不安だったけれど、たまには「庶民の味」だっていいだろう。
***
お盆を持ちながら執務室のドアをノックすると、中から「どうぞ」という声が聞こえてきた。私はそっとドアを開けて、執務室の中に入る。
「遅くなりました」
「いや、私が急に頼んだんだ。これくらい気にはならないよ」
書類の山がうず高く積まれていて、声は聞こえるけれど魔王様の姿は良く見えない。たまに、返事をするように揺れるツノだけが垣間見える。
「ここに置いてくれ」
魔王様は小さな机の上に置いてあった書類を避けてスペースを作る。私はそこにお盆を置いた。
「……なんだ、その真っ黒な塊は」
「ふふ。【おにぎらず】です」
「オニギラズ?」
やはり聞いたことのない食べ物みたいだ。
「私の世界には、おにぎりって言う、ご飯を手で持ちやすいサイズにまとめた簡単料理があるんですけど、それのアレンジ版です」
私は持ってきたナイフで、魔王様曰く【真っ黒な塊】を半分に切った。
「ランチョンミートと卵のおにぎらず、です!」
断面からは、ランチョンミートと炒り卵、レタスが見える。簡単だからと、私が良く作るメニューでもある。
まずは炒り卵をつくり、厚さ約5mm程度にカットしたランチョンミートは軽く焦げ目がつくくらいまで焼く。海苔の上にご飯を乗せて軽くならした後、ランチョンミート、ちぎったレタス、炒り卵を乗せて、その上にさらにご飯を乗せていく。それらを海苔で四角くなるように包んで軽く馴染ませたら、あっという間に完成!
お味噌汁もいいけれど、私はこれにほうじ茶を合わせるのが好きだった。お盆には淹れたてのほうじ茶も置いてある。
それに、魔王様は執務中だと言っていたので、箸を持つ時間も惜しいだろう。
「初めて見る食べ物だ」
「これなら手を汚すことなく、お腹も満足かなって思いまして。私も自分の夜食に良く作るんです」
「ありがとう。さっそくいただこう」
魔王様はおにぎらずを、とてもお上品に両手で持った。そして、ゆっくりと食べ始める。黙々と食べ進めているその姿を見ていると、私に緊張感が募る。果たして、その高貴なお口に合ったのか……そわそわしていると、魔王様はふと私を見た。
「どうかしたのか?」
「いえ、あの……お口に合いましたか?」
恐る恐る尋ねると、魔王様は口元を取り出したハンカチで拭きながら小さく笑みを浮かべた。
「あぁ。今まで食べたことのない料理だったが、中々美味であった」
「良かった!」
私は胸を撫でおろす。魔王様は半分を食べ終えたところで、お茶を手に取り飲み始めた。そして、疲れた体をほぐすように首を傾け、肩を回す。傍から見ているだけだけど、その書類の量は相当なものだった。
「大変そうですね、仕事……」
「書類を確認して決裁するだけなのだが、これだけは他の者にさせる訳にいかないからな。ほとんどが、戦争の後増えた公共工事に関するものなんだが」