魔王様の声が少し怖い。私は少し縮こまってしまう。

 少し尻込みをしてしまった私に気を使ったのか、魔王様が、同じようにモヤと一緒に現れた羽ペンで先にささっと名前を書き込んでいった。彼が書いた文字は、私が今まで見たことのない言語だった。私もその隣に名前を書いていく。

 私が名前を書き終えた契約書は光に包まれて、細かな粒子に姿を変えていく。その光の粒は私たちをつつんで、やがて消えていった。

「これで契約は成立した。よろしく頼む、コユキ」
「は、はい! こちらこそ!」
「それでは、今度こそ厨房に行こう。こちらだ」

 魔王様は無事に契約が終わって安心したのか、足取り軽く歩き始めるので、私もそれに続いた。

 厨房は、思っていたよりも遠かった。私の息が上がってしまったけれど、魔王様は慣れているみたいで涼しい顔だ。城の中は先ほど見た【ゴブリン】がたくさんいて、魔王様に向かって頭を深々と下げながらも、私の事をちらちらと見てくる。

(なんなんだろう、あれ……)

 その問いに、まるで私の頭の中を見ていたのかのように魔王様が答えた。

「コユキが来るのは、城中の者が知っている」
「え? 私、そんなに有名人なんですか?」
「それもそうだろう。国家プロジェクトの中心人物だからな、コユキは。ここが厨房だ、調理人が複数働いている。ここを好きに使ってくれて構わないし、もし補助が必要なら命じてくれても構わない。……だが」
「だが?」

 少しだけ不穏な空気が流れる。

「いや、君は先ほど、エゴールを見て倒れただろう? もしかして、ああいった種族は君の世界にはいないのか?」
「ええ! そりゃそうですよ。……魔王様は私たちに姿は似ているけれど、私の世界にツノが生えた人もいないですし。やっぱり、違う世界なんだなって感じです」
「そうか」

 魔王様は少し考えている様子だ。

「もしコユキが必要と感じたならば、君専用の調理室を作ってもいい。その時はすぐに言ってくれ」
「え?! いいですよ、調理室の隅っこを使わせてもらえたら十分ですって」
「君がそういうならいいが……」

 魔王様は、何だか私の事を心配しているみたいだ。何をそんなに気にすることがあるのだろう……? ふっと、嫌な予感が胸をよぎる。

「開けるぞ」
「……はひ!」

 ギ―ッと重苦しく厨房のドアが開く。その中にいるのは……まるでどぶの底みたいな、ヘドロのような色をしたスライム状の生き物だった。

「――――っ!」

 叫ぶことも出来ず、私の体は固まってしまう。今まで見たことのない、おどろおどろしい生き物が……包丁で食材を切ったり、鍋で何かを煮込んでいる。私が言葉もなく震えていると、魔王様は「やはりだめか」と小さく呟いた。

「君専用の調理室が必要なようだな」
「は、はひ……」

 私は途切れ途切れになりながらも、よろしくお願いしますと小さく呟いていた。