「……あの、僕も聞きたいことがあるんです。別に、答えてもらわなくてもいいんですが」
「な、ど、どんなことですか?」
「……あなた、【人間】ですよね」

 その言葉に、背筋がぞくりと冷たくなった。この魔国に【人間】はいない。けれど、私の存在は城下町の人々に受け入れてもらっていたから、感覚がマヒしていた。もしかしたら彼が【人間】に対して悪意を抱く種族かもしれないってこと……どうして気づかなかったのだろう。私が身をかたくすると、彼は慌てたように首を振った。

「いえ、ち、違いますからね! あなたをどうこうしようとかそういうつもりじゃなくて……珍しいなって思って。魔国では見ない種族だから」
「そ、そうですね……多分、いるのは私くらいじゃないかな」

 私は少しだけ胸を撫でおろす。【人間】に何かしようと考えているわけではないみたいだ。

「だから、前に会った時も珍しいなって思ったんですよ。どうして魔国に? も、もしかして魔王に連れ去られたとか?!」

 その言い方が、私の中で少し引っかかった。

「まあ、それが結構近いけど……実は」

 私は本当の事を話し始める。この国の王女であるエミリア様の偏食を治すために、【人間】しかいない、こちらとは異なる世界から魔国に召喚されたこと。彼は「召喚」という言葉が気になったみたいだった。

「そ、それは……っ! 君、大丈夫か?」
「え?」
「だって、無理やり魔国に連れて来られたのだろう?! ひどい目にはあっていないか!? 君の人権は保たれているのだろうな!?」

 彼は身を乗り出して私の肩を掴み、ぐわんぐわんと頭を揺さぶる。脳みそが揺さぶられて、気持ち悪くなっていく。私が息絶え絶えになりながら「ストップストップ」と言うと、ようやっとやめてくれた。互いに「ゼーゼー」と肩で呼吸を繰り返す。

「そりゃ、最初は同意の上ではなかったけれど……住めば都っていうのかな?」

 レオさんやエミリアちゃんと接するようになって、私が今まで抱いていた【魔王】というもののイメージは大きく変わった。異形のモンスターたちとの生活にも慣れて、見たことのない食材に囲まれる日々。何より、エミリアちゃんの食事係という本当に大変だけどやりがいのある役割。元の世界にいた時よりもずっと充実している気がする。その話をすると、彼は「ふーん」とだけ呟いた。……この話、興味なかったのかな?

「しかし、話には聞いていたけれど、本当に異世界から連れてくることができるなんて……魔国の技術発達は著しい。市場も活発で、国民生活は豊かで……うちの村とは大違いだ」

 彼は大きくため息をついた。

「僕の村はとても貧しく、今も村の仲間は飢えと戦っている。それを何とかするために単身魔国に来たのに、僕自身がこんな状態になるなんて。ほんと、ダメですね」
「そうだったんですね。何か協力できること、ありますか?」
「協力?」
「ほら、私、お城にいて魔王様とも結構仲いいし。何か手伝えることあるかも……」

 そう言うと、彼は少しだけ悩む様に押し黙った。そしてしばらく経ってから、首を横に振る。

「いや、大丈夫だ。これは僕が解決するべき問題、それに、最近は仲間も出来たんだ」
「へー! 良かったね」
「いつか君も会える日が来るさ」
「本当?」
「……あぁ」

 彼の仲間ってどんな人(モンスター?)たちなのだろう? 私は思いをはせるが……壁にかかっている時計を見た瞬間、それも吹っ飛んでいった。

「もうこんな時間!? 早く帰らなきゃ!」

 エミリアちゃんの夕食作りを始めないと間に合わなくなってしまう。食事の時間はきっちり決めておかないと、規則正しい生活が乱れてしまう。

「ごめん! 私もう行きます! うっかり長居しちゃった」
「いや、こちらこそありがとう。久しぶりに美味しい食事がとれて、本当に嬉しかった」

 私はバタバタと身支度を整えて、【彼】の家を飛び出す。ふとあることに気づいて、私は振り返った。ちょうど見送りに来ていた【彼】が家に戻ろうとしていたところだった。

「あの、名前は!?」

 そう叫ぶと、彼は振り返る。そういえば、彼の名前を知らないままだった。

「僕はジョセフ。君は?」
「小雪! またね、ジョセフ!」
「あぁ……近いうちに」

 そう言って、ジョセフはにやりと笑ったように見えた。その笑顔に、私は何か引っかかるものを感じていた。

***

「すいません、少し遅くなっちゃった……」

 お城に戻って大慌てで夕食作りを始めたけれど、いつもより少し遅めの時間になってしまった。

「いや、コユキにも用事があるだろう?」
「たまにはおやすみしたっていいのよ?」
「それはエミリアが野菜を食べたくないからだろう? ……いや、確かにコユキにも休みを設けるべきだな。今まで休みなしで働かせていたようなものだ。よし、週に一回、コユキにも休む日を作ろう」
「や、大丈夫ですって!」

 私は大丈夫と繰り返すけれど、レオさんは諦めようとしない。互いの折衷案として『休みたくなったら休む』ということで落ち着いた。

「けど、きょうはどうしておそくなったの?」

 今日のメニューはたくさん買った白身魚のピカタ、リーフレタスのサラダ、市場で買ったトマトっぽい野菜で作ったミネストローネ。エミリアちゃんのフォークの進みがとても遅い。

「城下町に行ってたの」
「えー! ずるい! エミリアもいきたかった!」
「ダメだ。また迷子になるだろう」

 エミリアちゃんは頬を膨らませる。

「城下町に行ったということだが、何か変わった話は聞かなかったか?」

 私は奥様方から聞いた話を思い出す。しかし、この話をエミリアちゃんの前でするのは気が引ける。私の視線が揺れ動くのに気づいたレオさんは、小さく頷き「あとで聞こう」と言った。

「何かおもしろいもの、あった?」
「んー……前に行った時と変わらないよ? あ、そういえばエミリアちゃんが迷子になったときに助けてくれた人に会ったの」
「ほお、そんな者がいたのか。城に連れてきてくれれば良かったものを。私からも礼をしたい」
「それなら、今度会ったらお城に連れてきてもいいですか?」
「もちろん」
「エミリアもあいたい!」