「エゴール! ここにいたのか」
やってきたのはレオさんだった。彼の顔も少し焦っているように見える。まさか、レオさんも同じことを言うんじゃ……。
「忙しい所すまないが、エミリアの様子を見に行ってくれないか!」
「やっぱり!」
「承知いたしました!」
エゴールはどんと胸を叩く。この命令が下るのを待っていたに違いない。呆れるのを通り越すと、乾いた笑いしか湧いてこない。
「コユキは城に残っていてください!」
「え? 私の事連れていくんじゃないの? 前だって強引に引っ張っていったくせに」
「今度は追いかえされないように、慎重に慎重を重ねる必要があります。その場合、体の小さな私の方が有利かと」
「ふーん、そうなの」
棒読みになってしまう。もう勝手にしてほしい。
「私が留守の間、レオニード様の手伝いをお願いいたします!」
その瞬間、レオさんの肩がびくりと震えた気がした。
「はいはい、わかったから。がんばってきてね」
私が手を振ると、エゴールは矢のごとく走って行ってしまった。……気軽に返事をしてしまったけれど、レオさんの手伝いって何をしたらいいのだろう?
「あの、私、何したらいいですか?」
レオさんにそう聞こうと振り返る。しかし、そこに彼の姿はなかった。
「……なんなのよ、もう」
なんだか最近愛想が悪い気がする、レオさん。忙しいだけかもしれないけれど……そっけなくされる心当たりが全くない。
(……軽食でもつくって持って行こうかな)
私はホットサンドを作り始める。ツナメルトサンドと、頭を休めるために甘いものをと考えてあんバターサンド。それとアイスティーを持って、執務室に向かう。重厚な扉をノックしても返事はない。私は恐る恐る開けると、机の上でうなだれているレオさんの姿があった。
「レオさん! 大丈夫ですか?!」
どこか具合が悪いのかと思って慌てて声をかけると、彼はシャンッと背筋を伸ばした。そして、恥ずかしそうに顔をそむける。
「エミリアちゃんの事、そんなに心配ですか?」
「そ、そういう訳では……!」
「顔に書いてますよ、心配で仕方ないって」
レオさんは自分の頬を触る。威厳に満ちた魔王様のはずなのに、愛娘の事になると優しい父親になる。その姿、見慣れたといえども、私の眼には可愛らしく映った。私はテーブルに作ってきたホットサンドを置いてレオさんに勧める。
「いかがですか? 気分転換になると思いますけど」
「……ありがとう。いただくとするよ」
レオさんは執務用の机から離れてテーブルに椅子を向ける。アイスティーに口を付けたのを見届けてから、私は床に散らばった書類を拾い集めていく。レオさんの署名らしきものが書いてあったので、それをひとまとめにしておいた。分別は戻ってきたエゴールがするだろう。窓を見ると、雨がぽつりぽつりと降り始めている。なんだか肌寒くなってきた。
「……くしゅんっ」
そう思った途端、くしゃみが飛び出してしまった。レオさんも驚いたように目を丸めている。なんだか恥ずかしい。
「寒かったか、すまない。暖炉に火をつけよう」
レオさんが指を振ると、暖炉にたちまち火がともる。そして、レオさんは立ち上がったと思うとマントを脱ぎ出した。
「これをかけていなさい」
「でも、レオさん冷えちゃいますよ」
「私は大丈夫だ」
私は手渡されたそれを、ショールのように肩にかける。直前までレオさんが身に着けていたマントにはまだ彼の体温が残っていて、それがじんわりと私を温める。【魔王】なのに、こうやって優しい一面があるのは反則だ。
「ありがとうございます」
「いや、気にしないでくれ。……コユキに風邪をひかれると困るからな」
レオさんはそう言ってほほ笑んだ。その顔、なんだか久しぶりに見た気がする。ちょっぴり嬉しい。
「……最近、城下町に行くことはあるか?」
「えぇ、行きますよ」
「そうか。……つかぬことを聞くが、変な噂を聞いたことはあるか?」
「変な噂?」
レオさんの表情が険しくなる。
「まだはっきり捉えているわけではないが、不穏な動きがあるらしい」
「不穏って言うと……」
「この国を攻め入ろうとする人間が再び現れた、ということだ」
エミリアちゃんのお母さんでレオさんの奥さんだった、グラフィラ様の命を奪ったような人たちが、またこの城を襲おうとしている。さっきとは違う寒気が体中を走っていく。
「……私は、聞いたことないです」
「そうか。もし町に行った時に何か耳にしたら、すぐに教えてくれ」
「わかりました」