「混乱しているのも仕方ないですね。あなたにはまだ何も説明していませんでしたから」
「はぁ……あの、そもそも、ここってどこなんですか? 私、大学の図書館で勉強していたはずなんですが……」
勉強に疲れて居眠りをして、お母さんの夢を見ていたら、いつの間にかこんな所に連れてこられていた。悪い夢だと思いたけれど、ぶつけた頭のズキズキという痛みが、これが夢ではないという事を教えてくれる。
「ここは、魔国の魔王城。魔王様が暮らす城の中です。あなたは我々がここに召喚したんですよ!」
「まこく? まおうじょう? しょうかん?」
聞きなれない言葉に、さらにハテナマークが増えていった。
「へ、変な冗談やめてよ、もう。どっきりってやつ? これもどうせロボットなんでしょ?」
私の事を見上げるゴブリンの頬を思いっきりつねると「痛い痛い」と大騒ぎをしていた。
「離してくだひゃい! なんてひどい人間なんだ! まったく……我々は【ある目的】で貴女の事をこの世界に呼び寄せたんですっ」
「【ある目的】って……なんですか、それは!?」
「ふふふ、それはですね……」
ゴブリンが説明をしようとぐっと胸を張った瞬間、部屋全体に黒いモヤが広がっていく。そのモヤは一か所に集まり、だんだんと人の形になっていった。それは、気絶する前に私が見た、ツノを生やした男の人に変わっていく。ゴブリンは口をあわあわと開きながら、とても驚いている。
「これは私と私の家族の問題だ。私から説明する」
そして、私の事を見下ろしながらそう口を開いた。その低い声は、なんだか不思議と少し心地よい。彼がパチンッと指を鳴らすと、再びモヤが現れ、それは椅子に形を変えていく。彼はそこに座った。
「私の名前はレオニード。この魔国の魔王である」
「その、まこく? ってなんなんですか? 私、そんな国の名前聞いたことないんですけど……」
「それはそうだろう。ここは、あなたが今までいた世界ではない」
「へ?」
「あなたの世界では【異世界】というものだ。私たちは、あなたを【あなたの世界】からこの魔国に呼び寄せた」
全く話について行けない。しかし、彼――レオニードと名乗る自称魔王は、そんな私の様子には気を留めずにどんどん話を続けている。
「我々は、ある重大な問題を抱えている。それを、あなたに解決してもらいたいのだ」
「も、問題?」
「そう。……我が娘、エミリアに関わることだ」
彼はふっと視線を女の子に向ける。女の子は少し萎縮したように肩をすぼめた。
そんな重苦しそうに重大な問題と言われると、心臓がぞわぞわと忙しくなり、少し怖くなって背筋が凍えた。どんなことを言われるのか、私の覚悟が決まらないまま彼は口を開こうとする。私はぎゅっと目を閉じて、次の言葉を待った。
「エミリアは少し……いや、とても、好き嫌いが激しい」
「……はい?」
恐る恐る目を開けると、魔王様はとても深刻そうにため息をついていた。エゴールというばけ……ゴブリンもやれやれと言わんばかりに頭を振っていた。
「す、すききらい?」
「偏食がひどいんだ」
魔王様はさらに深くため息をつく。
「国中のコックがどれだけ手を尽くしても、我が国の王女・エミリア様は好きな物をお召し上がりにならないんです。放っておいたら、お肉と甘いものしか食べないんですよ」
女の子はプイッと少し顔を横にそむけた。きっとこの子が、王女様なのだろう。言われてみたら、レースがたっぷり施された、ふんわりと膨らむ上等そうなワンピースを着ている。彼女は、少し腹を立てているように見えた。
「野菜と魚が口にいれたくないくらいお嫌いみたいで……どうしようかと、国一番の占い師に相談した時に、この世界とは異なる世界では、子どもの好き嫌いをなくすために努めている職業があるというのです」
「確かに、私の世界にはそういう仕事をしている人がいるけれど……まあ、私が目指しているのもそういう栄養士だったし」
「そう! 占い師が言っていたのです! エミリア様の好き嫌いを治すのに最も適しているエイヨウシこそ、あなたであると!!」
エゴールはビシッと私の事を指さす。
「でも、私はまだ栄養士じゃないですよ! まだ勉強中で、いわば栄養士の卵というか……。私なんかよりも、もっと適した人がいると思うんです!」
王女様の好き嫌いを治すなんて、あまりにも荷が重すぎます! そう言いかえしても、エゴールにはどこ吹く風だった。
「この国で一番の占い師があなたであると言ったんです! あの占い師が間違うわけないでしょう!」
自慢げに胸を張るエゴールに言い返すこともできず、私は言葉を詰まらせる。どうしようか悩んでいると、魔王様が席を立った。
「気絶したから心配していたが……特に問題なさそうだな」
「へ? え、えぇ……」
まだ痛むところがあるけれど、大丈夫そうだ。健康なのが私の取り柄でもある。
「もし体調がいいのであれば、厨房を案内したい。気分転換も兼ねてどうだろうか? 気持ちも変わるかもしれないだろう」
魔王様はマントをひるがえして、ドアに向かっていく。拒否できる雰囲気ではないみたいだ。私はベッドから出て、魔王様について行った。