その珍道中は、エミリアちゃんの何気ない一言で始まった。

「ねえ、コユキ。コユキのおかあさんって、どんな人だったの?」

 エミリアちゃんはおやつとして用意したスムージーを飲んでいる。その中にニンジンが入っているなんて思うまい。私はしめしめと思いながら同じものを飲んでいたら、突然そんな事を言われた。

「私のお母さん? どんな人って言われても……」

 私はこの世界に来る直前に見た、お母さんの夢の話をする。私の事を必要としている人がいると言った母に文字通り背中を押されて、気づけばこの世界にやってきた。そもそも私が栄養士になろうと思ったのもお母さんの影響だということも。

「でも、この世界に来るときに荷物って持ってくることができなかったじゃない? あの中に写真も入ってたんだけど……」

 思い出すと、あの一枚が恋しくなってきた。

「しゃしん?」

 エミリアちゃんは首を傾げる。この世界には写真はないみたいだ。

「えっと……エミリアちゃんのお母様の肖像画あるでしょう? あれをもっと小さくした感じの物かな?」
「それなら、おかあさんのしゃしんは、コユキにとってだいじなものなの?」
「そうねー。やっぱり、ないと寂しいかな」
「……ふーん」

 エミリアちゃんは少し考え込む様に俯いて、一気にスムージーを飲んでいく。そして、ぴょんっと跳ねるように席を立った。

「いきましょ、コユキ」

 そう言って私の腕を引く。

「行くって、どこに?」
「おとうさまのところよ」
「レオさん、忙しいんじゃないかな?」

 確か、農村部に的確に天気予報を伝える方法について有識者も交えて検討するとエゴールが話していた気がする。ただでさえ忙しい魔王様なのに、さらに仕事が増えてしまったらしい。最近、少しくたびれているようにも見える。
 でもエミリアちゃんは「いいからいいから」と私の腕を引くのをやめなかった。私は観念して立ち上がり、エミリアちゃんと手をつなぎながら魔王の執務室へ向かう。ドアを開けると、以前よりもさらに書類の山が高くなっていた。レオさんの姿は全く見えない。

「どうかしたか、二人とも」

 しかし、レオさんからは私たちの姿が見えていたみたいだ。机のあたりから声が聞こえてくる。

「ねえ、おとうさま! コユキをもとのせかいにかえしてあげて!」
「……へ?」
「……は?」

 私とレオさんから、変な声が漏れる。

「どういうこと? エミリアちゃん」
「だって、コユキ、おかあさんの肖像画がなくてさみしいっていっていたでしょ?」
「そうだけど……」
「コユキ、魔国にきたとき、にもつをもってこれなかったって! そんなの、コユキがかわいそう! だから、肖像画をとりにいかせてあげて!」

 エミリアちゃんの優しさに、思わず涙が出そうになる。

「でも、それは契約的に難しいんじゃないかなぁ?」

 私とレオさんが結んだ契約、それは元の世界に戻るにはエミリアちゃんの好き嫌いをなくさなければいけない、という気の遠いもの。私のためを思うなら、今すぐにでもちゃんとご飯を食べるようになってほしい。私は長く息を吐く。
 諦めきっていた私だけど、レオさんはどうやら違うみたいだった。

「そうだな……」

 私は顔をあげる。レオさんの表情は書類の山で見えないけれど、その声音はとても優しいものだった。

「エミリアの言う通りかもしれない」
「へ?」
「確かに、コユキに何も持たせないまま召喚してしまったこちらの落ち度だ。すまない、コユキ」
「いやいや、大丈夫ですって!」
「そうはいっても、コユキにも大事な物はあるだろう。よし、一時的に帰る許可を与える。エゴール、魔方陣の用意だ」
「かしこまりました!」

 エゴールはぴょんっと姿を現し、跳ねるように姿を消していく。とんとん拍子で一時帰郷が決まってしまった。

「あとは誰をともに連れていくか、だ」
「別に一人でも大丈夫ですよ。自分の家ですし……」
「コユキのことを疑っているわけではないが、万が一、億が一でも【逃亡】という可能性もある」
「な、なるほど……」
「気を悪くしたならすまない。しかし、危険は排除するべきだ」
「つれていくなら、エゴールじゃない?」

 エミリアちゃんがそう口を開く。私はさっと体が冷たくなっていくのを感じていた。

「そうだな。エゴールなら信頼できる。エゴール、コユキと共に……」
「ま、待って! ストップ! エゴールじゃダメです!」
「どうしてだ? コユキだってエゴールと親しくしているだろう?」
「仲がいいとか悪いとかの問題じゃなくて、私の世界にはエゴールみたいなゴブリンはいませんよ! エゴールの姿が他の誰かに見られたら……きっと捕まえられて、おもしろ珍動物ってSNSに晒されて、死ぬまで飼い殺しにされるに決まってます!」

 今度は、レオさんの顔色がさっと青ざめて行くのが分かった。