私はジーンズを履き重箱を持って、玄関に向かった。そう言えば、この世界に来てからお城の外に出るのは初めてだった。そう考えると、ちょっとだけワクワクしてしまい、足取りも軽くなる。

 玄関に着くと、レオさんとエミリアちゃんがすでに待っていた。レオさんはいつものマントは着ていないけれど、相変わらず真っ黒な格好だった。

「すいません、お待たせして」
「いや。こちらこそエミリアが我がままを言ったようですまない。……それ、重たいだろう? 代わりに持とう」

 さすがにこれを魔王様に持たせるわけにはいかないと断ったけれど、レオさんは半ば強引に私の手から重箱を奪ってしまった。

「早く出発しようか。すこし遠いんだ」

 レオさんの先導に私とエミリアちゃんが続く。魔王城の背後に広がる真っ黒な森の中に、グラフィラ様のお墓があるらしい。黒い森の中はやっぱり暗くて、少しだけ怖かった。それはエミリアちゃんも同じだったようで、私の手をぎゅっと握って離れない。

 しばらく歩いていくと、もう少し行った先に、この森には似つかわしくない明るく開けた場所が見えてきた。レオさんは「もうすぐだ」と振り返り、私たちに向かってそう告げた。きっとあの明るいところが目的の場所なのだろう。歩きすぎて少しくたびれた様子だったエミリアちゃんも、ゴールが見えたことで元気を取り戻したみたいだった。

 だんだん近づいてくると、奥に高くそびえる塔のようなものが見えてきた。たどり着くと、それが何であるのかすぐに分かった。真っ黒の森の中にあるとは思えないくらい色とりどりの花に囲まれるそれは、グラフィラ様のお墓だった。刻まれている文字は読めないけれど、隣に立つレオさんのまなざしがそう語っていた。

「……ここが、おかあさまのお墓?」

 エミリアちゃんも初めて見た様子だ。

「そうだよ。お母様にご挨拶しておいで」
「さきにお花つんできてもいい? おかあさまにあげたいの」
「そうだな、お母様もきっとよろこぶだろう。私とコユキはあっちで待っているよ」

 レオさんが、花畑の端っこにある東屋を指さした。エミリアちゃんは頷き、走って行ってしまう。少し遠く離れたところでしゃがみ込み、花を選び始めていた。私はその姿をレオさんと一緒に東屋の中で見つめていた。

「レオさんは、お墓参りしなくてもいいんですか?」

 レオさんがお墓に向かう様子はない。私がそう尋ねると、レオさんは首を横に振る。

「私はいい。……グラフィラに顔を見せる資格なんて、私にはない」
「資格?」

 思わず聞き返してしまう。レオさんは一瞬気まずそうな顔をしたが、意を決したのか、ゆっくりと話を始めた。その声は、耳をすまさないと聞こえないくらい小さくて、きっとエミリアちゃんに聞かれたくないのだろうと私は思った。

「……この国には時折、【魔王】を倒そうとする【勇者】と呼ばれる一団がやってくる。
魔国は周辺諸国からはとても嫌われていて――それも当然だな、何千年に渡って侵略と強制的な支配を行ってきたのだから――、皆、魔王さえ殺すことができれば、世界を変えることができると信じているのだろう。
しかしながら、魔王には、守らなければいけない国や国民がいる。決して勇者に屈してはならぬ……我々は、勇者が来るたびにその脅威を打ち払ってきた」

 レオさんはそこで言葉を区切った。そのまなざしは、エミリアちゃんの方をまっすぐ見つめている。

「勇者は数百年ほど来なかったが……私が魔王に即位し、エミリアが生まれてすぐの頃、ある日突然やってきた。私たちは圧倒的な武力で勇者たちを倒すことができたのだが……勇者の一団にいた魔術師が最期に、呪いを放ってきた。自分が死ぬときに、呪いをかけた相手を道連れにする。そういった類のものだった。私も疲弊していて、それに気づくのが遅れてしまった。呪いは眼前に迫っていた」

 彼はその時の事を思い出すように、目を閉じた。次にその瞼が開いた時、その目にはわずかに潤んでいるかのようにも見えた。

「……気づいた時には、グラフィラが私の目の前で、呪いに立ちはだかっていた。そしてそのまま呪いを直撃し……グラフィラは、私をかばったのだ」

 その後、二人がどうなったのか。レオさんが語らなくても、私にはもう十分に分かった。最愛の奥さんを喪った彼の痛みが伝わってくる。

 涼しい風が東屋に吹き込んでくる。漂ってくる花の香りはいつもなら幸せなものなのに、今はどうしても、悲しくて仕方ない匂いだった。

「エミリアには、悪い事をした。あの子から母を奪ったのは、私にも責任がある」
「そんな事は! 悪いのはその魔術師ですよ!」
「……いや、私に隙が生まれたのは事実だ。その自責の念からか、どうしてもエミリアを甘やかしてしまった。あの子が望むものを何もかも与え、嫌がるものは遠ざけた。……その結果が、あの偏食だ。エミリアはいつか私の跡を継ぎ、魔女王となる存在。その将来を考えた時に、それだけはどうにかしなければと思い、コユキを召喚したのだ」

 そこで、ようやっとレオさんは笑みを浮かべた。しかし、その笑い方も悲しさを湛えているようなものだった。

「コユキをこの世界に呼んだのは、占いに従ったからだけではない。……君が、エミリアと同じ境遇だったからだ」

 レオさんの真っ黒な瞳に私が映りこむ。彼は何だか申し訳なさそうに私の事を見つめていた。

「コユキの事は、召喚する前に色々調べさせてもらった。その時に知ったんだが……君も、母君を亡くしているね」

 私は頷く。
 うすうすだけど、そんな気がしていた。私がこの世界に呼ばれた理由に、お母さんのことが関係しているんじゃないかって。

「母を亡くす痛みを知っている君ならば、きっとエミリアの悲しみや寂しさに寄り添ってくれるに違いない、と。だからコユキに来てもらったんだ。……君には、本当に悪い事をしたと思っている」