施設には、温泉も併設されていた。ふたりでボトルを一本開け、酔いが回ってきたところだったので一度汗を流すことにした。
「混浴じゃなくてがっかりした?」
「だからぁ、そういうの辞めましょうって……」
「ふふっ、じゃあ後でね」
和華乃さんはレンタルタオルを抱え、僕とは反対側の暖簾をくぐっていった。
「ふぅ……」
露天風呂に足を踏み入れる。じんわりとした熱さがつま先から立ち上ってくる。目の前には、いかにも"甲府盆地!"といった感じの、周囲を山に囲まれた田園と市街地の景色が一望できた。あの奥に霞んでいるのが南アルプスってやつか? 富士山はどこにあるんだろう? 山梨県の地理をほとんど知らないので、どこにどんな山が見えるのかわからない。ただ、太陽の位置から自分が今西を向いていることだけは、なんとなく想像できた。
……あの嘘って、そういうことだよな?
湯に肩までつかって考える。さっきの、僕から目をそらしていたときの表情には見覚えがあった。それこそあの夜、バローロでグデグデになった翌日だ。
その頃の僕と和華乃さんは、毎日のようにラインでやり取りをし、三日に一度は遊び歩くくらいの仲になっていた。
最初に学食で声をかけた時は、彼女もほんの気まぐれだったんだと思う。けど、遊んでいるうちに、映画や漫画の趣味、好きな俳優、ファッション、音楽、そしてものの考え方……いろいろな所で波長が合うことに気がついた。
趣味が全く同じだった、というわけではない。波長が合うという言葉がしっくりくる。僕は彼女と遊ぶことで、それまで未知だったものを色々教わった。和華乃さんによって世界が広がった。それは多分、彼女も同じだったと思う。
そんなわけで、気づけば僕は24時間彼女のことを考え続けるようになった。さっき彼女が話したことが本当だとすれば、そんな僕のことは他のバイトメンバーたちも知っていたし、もちろん彼女自身も察していたんだろう。
幸いだったのは当時の僕に「告白してからが恋人同士」という変な信念があった事だ。この良く言えば純粋、悪く言えばヘタレな思想のおかげで「こいつは俺の女」みたいなイキり方をしないで済んだ。
ただ、いつまでもそのままでいるつもりもなかった。きちんと好意を伝えて、恋人同士になるつもりでいた。だから行ってみたいレストランがあると言われた時は、そここそが勝負の時だと確信したのだ。
『アタシ、付き合ってる人がいるんだ。駿吾が入る前に辞めた女の子……』
でもその日、バローロが1本空になった所で、彼女は思いがけない話を始めた。『駿吾にだけは話すね』という前置きの後の告白に、僕の酔いは一瞬で冷めた。
『上手くいってなくてさ……女同士なら気持ちが伝わりやすいなんて大嘘。アタシ、あの子のことがわからない……』
聞き間違えかと思った所は、そうではなかった。
そして僕は、全てに合点がいってしまった。なぜ何故に気さくに僕と話していたか、何故あんなに頻繁に僕と遊んでいたのか。そして何故そのたびに「デート」という言葉を使ったのか。
彼女にとって、一緒に遊ぶ相手に男も女もなかったんだ。恋愛か友情か、少なくとも彼女の中でその基準線は性別にはなかった。もっと別の、おそらくは彼女にしか理解し得ない基準があったんだ。でも、それを誰かに知られたくなくて、彼女は頻繁に僕と「デート」をしていた。
本当に彼女が甘く激しい想いをぶつける相手は他にいた。僕ではなかった。それは、僕が名前すら知らない女性だった。
そのあと、彼女の相談に乗ったはずだけど、どう答えたかはよく覚えていない。どうせヤフー知恵袋の恋愛カテゴリから借りてきたような、誰でも言えるアドバイスをしたんだと思う。腹の奥そこでボコボコと泡立つタールのような感情をこらえながら……。
翌日、バイト先のバックヤードで和華乃さんは僕を待っていた。
『あのさ。全然覚えてないんだけど、昨日アタシ変なこと言ってなかった?』
あのときの気まずそうな、そして今にも泣き出しそうな表情をよく覚えている。
『いえ、何も……』
僕が何かを察してそう言うと、ほっとしたような表情を見せて笑った。そして僕に言った。
『ありがとう。それと……ごめんね』
今思えば和華乃さんは、記憶が無いなりに僕に残酷なことをした自覚があったんだと思う。そのときの彼女の表情と、さっきの僕と目を合わさずに嘘をついたときの表情は、全く同じものだった。
それはつまり……あの喪服って……そういうことなのか……?
彼女の服装の理由、あのときの彼女の告白、どうしても繋げてしまう。
「いや、やめよう」
意識的に声に出して、思考を打ち切った。下衆な勘ぐりにもほどがある。そんな事考えても何にもならない。
「……あがるか」
僕は湯から立ち上がり、シャワーへと向かった。
「混浴じゃなくてがっかりした?」
「だからぁ、そういうの辞めましょうって……」
「ふふっ、じゃあ後でね」
和華乃さんはレンタルタオルを抱え、僕とは反対側の暖簾をくぐっていった。
「ふぅ……」
露天風呂に足を踏み入れる。じんわりとした熱さがつま先から立ち上ってくる。目の前には、いかにも"甲府盆地!"といった感じの、周囲を山に囲まれた田園と市街地の景色が一望できた。あの奥に霞んでいるのが南アルプスってやつか? 富士山はどこにあるんだろう? 山梨県の地理をほとんど知らないので、どこにどんな山が見えるのかわからない。ただ、太陽の位置から自分が今西を向いていることだけは、なんとなく想像できた。
……あの嘘って、そういうことだよな?
湯に肩までつかって考える。さっきの、僕から目をそらしていたときの表情には見覚えがあった。それこそあの夜、バローロでグデグデになった翌日だ。
その頃の僕と和華乃さんは、毎日のようにラインでやり取りをし、三日に一度は遊び歩くくらいの仲になっていた。
最初に学食で声をかけた時は、彼女もほんの気まぐれだったんだと思う。けど、遊んでいるうちに、映画や漫画の趣味、好きな俳優、ファッション、音楽、そしてものの考え方……いろいろな所で波長が合うことに気がついた。
趣味が全く同じだった、というわけではない。波長が合うという言葉がしっくりくる。僕は彼女と遊ぶことで、それまで未知だったものを色々教わった。和華乃さんによって世界が広がった。それは多分、彼女も同じだったと思う。
そんなわけで、気づけば僕は24時間彼女のことを考え続けるようになった。さっき彼女が話したことが本当だとすれば、そんな僕のことは他のバイトメンバーたちも知っていたし、もちろん彼女自身も察していたんだろう。
幸いだったのは当時の僕に「告白してからが恋人同士」という変な信念があった事だ。この良く言えば純粋、悪く言えばヘタレな思想のおかげで「こいつは俺の女」みたいなイキり方をしないで済んだ。
ただ、いつまでもそのままでいるつもりもなかった。きちんと好意を伝えて、恋人同士になるつもりでいた。だから行ってみたいレストランがあると言われた時は、そここそが勝負の時だと確信したのだ。
『アタシ、付き合ってる人がいるんだ。駿吾が入る前に辞めた女の子……』
でもその日、バローロが1本空になった所で、彼女は思いがけない話を始めた。『駿吾にだけは話すね』という前置きの後の告白に、僕の酔いは一瞬で冷めた。
『上手くいってなくてさ……女同士なら気持ちが伝わりやすいなんて大嘘。アタシ、あの子のことがわからない……』
聞き間違えかと思った所は、そうではなかった。
そして僕は、全てに合点がいってしまった。なぜ何故に気さくに僕と話していたか、何故あんなに頻繁に僕と遊んでいたのか。そして何故そのたびに「デート」という言葉を使ったのか。
彼女にとって、一緒に遊ぶ相手に男も女もなかったんだ。恋愛か友情か、少なくとも彼女の中でその基準線は性別にはなかった。もっと別の、おそらくは彼女にしか理解し得ない基準があったんだ。でも、それを誰かに知られたくなくて、彼女は頻繁に僕と「デート」をしていた。
本当に彼女が甘く激しい想いをぶつける相手は他にいた。僕ではなかった。それは、僕が名前すら知らない女性だった。
そのあと、彼女の相談に乗ったはずだけど、どう答えたかはよく覚えていない。どうせヤフー知恵袋の恋愛カテゴリから借りてきたような、誰でも言えるアドバイスをしたんだと思う。腹の奥そこでボコボコと泡立つタールのような感情をこらえながら……。
翌日、バイト先のバックヤードで和華乃さんは僕を待っていた。
『あのさ。全然覚えてないんだけど、昨日アタシ変なこと言ってなかった?』
あのときの気まずそうな、そして今にも泣き出しそうな表情をよく覚えている。
『いえ、何も……』
僕が何かを察してそう言うと、ほっとしたような表情を見せて笑った。そして僕に言った。
『ありがとう。それと……ごめんね』
今思えば和華乃さんは、記憶が無いなりに僕に残酷なことをした自覚があったんだと思う。そのときの彼女の表情と、さっきの僕と目を合わさずに嘘をついたときの表情は、全く同じものだった。
それはつまり……あの喪服って……そういうことなのか……?
彼女の服装の理由、あのときの彼女の告白、どうしても繋げてしまう。
「いや、やめよう」
意識的に声に出して、思考を打ち切った。下衆な勘ぐりにもほどがある。そんな事考えても何にもならない。
「……あがるか」
僕は湯から立ち上がり、シャワーへと向かった。