「うわぁ! いいカンジじゃん!」

 駅前には見晴らしの良い公園があって、そこからなだらかな丘陵地帯を一望している。これが山梨? マジか?
 山梨といえば富士山と武田信玄、そんな純和風な印象しかないイマジネーション貧乏の僕にとって、その景色は新鮮だった。
 緑の絨毯が敷き詰められたかのように、視界には葡萄畑が広がる。鮮やかな黄緑色がなだらかな丘を覆い尽くし、それは遥か向こうに見える市街地まで続いていた。ところどころに見える農家が、黒い瓦の日本式住宅なおかげで、かろうじてそこが異国でない事が理解できる。

「ほら、反対側の丘の上。あそこが"ぶどうの丘"だって」

 和華乃さんは、スマホを片手に指差した。公園の下はゆるい傾斜が続いていているが、数百メートル先で上り勾配に転じている。その勾配の頂上には、横に長いクリーム色の建物があった。

「ほら見て! すごいよ、200種類のワインが試飲し放題だって」

 みるからにウキウキな表情で、和華乃さんはスマホの画面を僕に見せてきた。

「へぇ、それじゃあ行きましょうか?」

 僕は、彼女と一緒に坂を下り始めた。一瞬だけ、職場のPCモニターにびっしりと貼り付けられた付箋と、チェックのレ点がまだついていないToDoリストを思い出す。……いや、やめよう。中野駅で反対側の電車に乗った時点で、今日欠勤するのは決まっていたんだ。

「へぇ~、本当にコレ全部ぶどう畑なんだ! あははっ! やっばい、テンション上がってきた!!」
「ほんと楽しそうっすね」
「そりゃあそうでしょ? だって駿吾とデートなんて何年ぶり?」
「先輩が卒業して以来だから4年です」

 イコール僕の苦悩の時間なので、すぐに返答できた。「デートしよう」か。彼女と遊びに行くときは、決まって彼女からの誘いで、その文句はもいつもそれだった。

『アレ? 駿吾じゃん、なにしてんのこんな所で?』

 確か、休講なのを知らずに大学に行き、することもなくて学食でぼんやりしてるときだった。バイト先の先輩で、僕の1コ上の柊さん。同じ大学なのは知っていたけど、構内で会うのは初めてだった。

『暇ならさ、デートしようよ!』

 そう言って彼女は僕を学外へ連れ出した。デートと言っても買い物につきあわされただけだった気がする。駅ビルの中をぐるぐる連れ回された後、安めの居酒屋で2時間位話す。それが僕の人生初デートだ。今思えば他愛のないものだったけど、同じ年代の女の子と二人だけで遊んだ経験のない僕は、それだけでコロッと引っかかってしまった。僕の頭の中には常に、和華乃さんの笑顔が輝いている……すぐに、そんな状態となっていた。