「お母さん、お父さん、あれ見て! 綿菓子」

娘が空を見上げて好奇心のままに大声で言う。

私と妻も空を見上げる。

綿雲が一つ浮かんでいた。

「あ、本当だ。あれは、綿雲と言うんだよ」

私が答える。

その綿雲は少しずつ遠くへ運ばれていく。

「綿菓子食べたい!」

娘がくりくりした瞳で私の顔を見る。

私は屈んで、娘と同じ目線になる。

「帰りにスーパーマーケットに寄ろうか」

私は言う。

「やった!」

娘は浅く屈伸を繰り返して喜びを表している。

その娘を気にして、前列の老夫婦がこちらへ振り向いた。

その老夫婦は、娘を見て、ふふふとにこやかな表情を浮かべる。

「可愛いねえ、何歳?」

その老婦が妻に話かけてきた。

「あ、9歳です」

妻は気さくに返す。

「そうかい、綿菓子を食べたのはだいぶ前だな」

老父が言う。

「あのね、凄く美味しいんだよ! 食べてみてよ」

娘が元気良く、老父に言う。

「ほらほら、そういうことは言わないの」

妻は娘に言う。

娘は唇を尖らせて、頬を膨らませる。

「すみません、そそっかしくて」

妻が老夫婦に言う。

「いやいや、子供が元気なのは、見ていて、わしも楽しくなる」

老父は優しく口角を上げて言う。

老父の目は笑みを浮かべている。

「ありがとうございます」

私は、老父に言う。

 列は徐々に進み、老夫婦も店内へ入る。

いつの間にか、私達は列の先頭になっていた。

私は立ち上がり、店員に呼ばれるのを待つ。

ふと後ろを振り返ると、私達の後ろには十人程並んでいる。

周囲を見渡す。

駐車場は変わらず多くの車が駐まっている。

車に乗って帰る人もちらほら見える。

その動きのある駐車場を見ていると、一人の老婆が視界に入った。

私はその老婆に顔を向ける。

白髪混じりのごわごわした長髪で、そよ風になびくことがない。

僅かに腰が曲がり、顔は足元を向いている。

茶褐色に色褪せた白いワンピースを着ている。

襟は煤汚れ、袖は破れて、繊維がほつれ出ている。

くしゃくしゃでしわが目立ち、首回りは、よれている。

首元には、煌びやかな宝飾が光る。

目線を下げると、ぼろぼろのスニーカーをはいていた。

重たそうに足の裏をひきづりながら、一歩一歩と歩く。

その歩きに合わせて、宝飾が高貴を演じる。

両手でA3サイズ程のとても分厚い本を持ち、胸元で抱えている。

老婆は、レストランへ近づいてくる。

老婆の手足の皮膚はラップのように光を反射し、しみが複数見える。

血管が浮き出ている。

老婆は列の横を歩き、先頭の私達へ近づく。

浮浪者のような風貌に、列に並ぶ人々は怪訝そうな眼差しで見る。

老婆は私達の目の前に来ると立ち止まった。

腰を曲げ、顔も足元に向けたまま、何も言わない。

私達は異様な気味悪さに駆られる。

娘は妻のズボンをぎゅっと掴む。

私は眉間にしわが寄る。

老婆は黒目だけを動かして、私の顔をぎろっと見る。

私の背筋にぞぞっと恐怖が走り、鳥肌が立つ。

老婆の口は開いて、口呼吸をしている。

歯茎が細り、長くて黄色く汚れた歯が見える。

列に並ぶ人々は静まり返る。

「次のお客様、どうぞ」

レストランの出入り口が開き、店員が誘う。

「あ、ああ、はーい」

妻はその場から離れるように、店員に応える。

老婆は、娘をちらりと見て、私を再び見る。

「この先、あなたには、不吉なことが起きる」

老婆は、かすれた低く濁った声で呟いた。

私はそれに不快感と苛立ちが込み上がる。

しかし、この気持ちをどのように表現したら良いのかがわからない。

諭すべきなのか、怒鳴るべきなのか。

娘や妻の目がある。

人の目がある。

ここで反論しては、私は悪く見られるのではないか。

私はただ立ちすくむことでしか、気持ちを表すことができなかった。

私が立ちすくんでいると、老婆は歩き出す。

老婆は重く強張った体を動かして、店内へ入っていった。