老婆のぱりぱりと硬い、ビニールのような薄い皮膚の感触が、拳に伝わる。

拳の衝撃で、その皮膚は、ぴりっと破けて、血が滲む。

ずっと抱いていた分厚い本が床に落ちた。

老婆は、脳しんとうを起こしたように、目を回して倒れ込む。

その拍子に、机の角に側頭部をぶつける。

側頭部から血が滴る。

老婆は動かない。

私は、分け目も触れずに、その足で、妻へ駆け寄る。

「さあ、行こう! もうここから出よう。外がどうなっているかわからないけど、ここに居続けて、外に出ないでじっと何もできないのは、生きていないのと変わらないよ。さあ、ここを出よう」

私は、妻の手を握り、腕を引っ張った。

しかし、力の入らない妻の体は動かない。

妻は、首を横に振った。

「どうしたの?」

私は妻に言う。

その声に、急ぐ気持ちが混ざる。

「殺して」

妻は言う。

「え?」

私は耳を疑った。

「疲れちゃった」

妻の声に、ほんの小さなため息が混ざる。

「出来ないよ」

「お願い。私を殺して」

私は、言葉を失う。

妻は、私を見ている。

その目は、はっきりとしている。

しかし、私は妻を殺めるなど出来るはずなかった。

きっと、誰もが結婚する時に、愛する人を殺める結果になるなんて想像もつかないだろう。

妻を殺める事に抵抗があるのか?

いや、私はわかっていた。

独りぼっちになるのが怖いのだ。

最後の最後まで、私は自身の事を考えていた。