田堂の母は息子の口に指を入れて、下顎を持つと、こじ開ける。

その口に生肉を詰め込んだ。

息子は、げほげほとむせ返る。

それも構わずに、息子の口にテープを貼り付けて塞いだ。

くちゃくちゃと咀嚼音が聞こえる。

そして、一つ、ごくりと飲み込んだ。

再び、咀嚼音が聞こえる。

また一つ、ごくりと飲み込んだ。

少しずつ飲み込んでいく。

「偉いねー。これで私達は助かるよー」

田堂の母は息子さん頭を撫でている。

その田堂の母は頬を上げて笑みを浮かべているが、目が笑っていなかった。

皆は顔を引き攣らせて見ている。

その時だった。

レストランの出入り口の扉をノックする音が聞こえた。

「ここを開けてくれないか?」

男性の声だった。

皆はびくっと固まる。

「遂に、悪魔の手がここまで来ました」

老婆が言う。

「話がしたい」

扉の向こうで男性が言う。

「人に化けた悪魔め。こうなっては、悪魔を人質にしましょう」

老婆は立ち上がり言った。

「この後、扉が開きます。そうしたら、掴みかかり、引き入れるのです。そして、ロープで縛りなさい」

老婆は言う。

それを聞いた客。

真っ先に老婦が立ち上がった。

続いて、田堂の母。

私の妻も徐に立ち上がる。

「いや、行く必要は無い。頼むから座っていてくれ」

私は妻に言う。

「ううん。このままだと、私達、皆、気が狂っちゃう。だから、早く何とかしないと」

妻は言う。

その表情は真剣だった。

「奥さんを一人では行かせません。私も一緒に行きます」

篠生が、妻の横に立つ。

私は、娘を郷珠に預けて立ち上がった。

郷珠と娘を除いた私達は、出入り口の扉へにじり寄る。

私達は扉の前で待ち伏せている。

その時、扉が僅かに開いた。

その隙間から人の目が見えた。

店内を覗き込んでいる。

私達を確認すると、更に扉を開けた。

「今だ!」

老婆が私達の背後から指示を出す。

私達は無我夢中で、その悪魔に飛びかかった。

悪魔の全身に掴みかかり、店内に引きずり込む。

悪魔は店内に入り、床へ倒れた。

がたいの良い男性の姿をした悪魔だった。

半袖のシャツから出る二の腕は太くたくましい。

悪魔は仰向けで両足を使って、抵抗する。

私達で制止させようとしても容易ではない。

悪魔は店内に逃げる。

悪魔は動揺している。

私達を見ながら、後ずさりする。

「話をしよう」

悪魔の問い掛けも、私達の耳からすぐに出ていった。

悪魔は何かにつまずくと、尻餅をついた。

それは老父の死体だった。

立ち上がろうと試みるも、老父の血液で足が滑る。

噴水前に着いた。

悪魔は噴水に背を預けるように立ち上がる。

田堂の母が包丁で斬りかかる。

悪魔はすかさず避ける。

それに続けて、篠生が椅子を両手で担ぎ、振るい落とす。

間一髪で、悪魔は避ける。

その椅子は噴水に当たり、噴水が一部欠けた。

その欠けた部分から水が漏れ出す。

水は床を濡らす。

逃げ場を失った悪魔は、机を倒して、通路を封鎖した。

私達は、我を忘れて、悪魔に攻撃した。

食器を投げ付けたり、家具を投げ付けたり。

通路を封鎖した机を境に、攻防が繰り返される。

悪魔は傷だらけになりながらも何とか防御をしていた。

しかし、田堂の母が投げた包丁が防御をすり抜けて、腹部を突いた。

悪魔の戦意が著しく下がる。

私達もそれに伴い、落ち着きを取り戻していく。

私達は机をどかして、悪魔へにじり寄る。

「お前達は何が望みだ」

悪魔は激痛に顔を歪ませながら言う。

「縛り付けよ」

老婆の指示に私達は従い、悪魔を拘束した。

「壁に立たせよ」

老婆の指示の通りに、私達は壁に立たせた。

腹部から血がどんどん溢れる。

その血は、ふくらはぎ、膝を通り、ズボンを染めていく。

靴の中に血が溜まると、溢れ出た。

溢れ出た血は床をぎらつかせる。

私達は席に戻る。

私達も、気が付かなかったが、小さな傷を負っていた。

妻の額にも小さな切り傷があった。

その切り傷を介抱しようと、妻の席へ向かおうとした。

しかし、篠生も妻の額の傷に気が付いた。

篠生は、妻に声を掛けて、妻の額の傷にタオルをあてがった。

私は妻の元へ行く事を止める。

娘を見た。

娘は、ひくひくと涙を堪えて郷珠にしがみついていた。

私は娘と郷珠の居る席へ向かう。

歩く度に、散乱した家具や食器の破片をざくざくと踏み歩く音が鳴る。

私は娘の目の前に着いた。

私を見た娘は涙を堪えている。

両腕を私に伸ばして、抱っこをせがむ。

私は娘を抱きしめる。

娘は鼻を啜り、声を殺して泣いていた。

郷珠は僅かに口を開いた。

「もう、娘さんから離れてはいけません」

その口調は、教え諭すように冷静だった。

泣いている娘に気が付いたのか、妻も駆け寄る。

妻も涙が滲んでいた。

二人の涙を見て、私はどうしたら良いのかと悩んだ。

人道的な理性が円満に解決を望む。

しかし、助かりたい気持ちが動物的な闘争で解決しようとする。

さっきもそうだ。

悪魔が抵抗しなければ、悪魔は刺される事は無かった。

こんなに店内も荒れる事は無かった。

こうしてまた、私は誰かのせいにする。

誰かを否定する他、私の行いを肯定する事が出来なかった。

無意識のうちに、精神を保とうとしていた。