「あれは違う!」

夢見心地に閃光が貫いたように男性の声がきこえ、目が覚める。

私は瞼を何度か、ぱちぱちと開閉して、覚醒を促す。

視界の違和感は無くなっていた。

徐に上体を起こす。

どのくらい寝ていたのか。

ふと時計を見ると、午後十一時を過ぎていた。

妻は娘と一緒に郷珠の近くにいる。

私が起き上がると、妻はすかさず駆け寄ってきた。

「大丈夫?」

妻は私に訊ねる。

「ならぬ! 今や、お前はすでに悪魔に感染している。近づいてはならぬ」

老婆が言う。

「ふざけないで、私の夫です! 夫を助けない妻がどこにいますか」

妻が目を尖らせて言う。

「ふん!」

老婆は顔を大きく横を向き、妻の強い口調を拒絶した。

娘も妻の元へと、たたたっと駆け寄った。

「あれは、そうだ。職場の同僚で愚痴を聞いていたんだよ、浮気なんかじゃない! なあ、や、やめてくれ!」

再び男性の声が聞こえた。

その声は、篠生だった。

篠生は寝ながら、汗をだらだらと掻いて、うなされていた。

はっと、篠生が飛び起きた。

乱れた呼吸を整えている。

「だいぶうなされていたけど大丈夫ですか?」

私が訊ねる。

「何か口に出していましたか?」

篠生はおどおどと声を曇らせて言う。

「少し寝言は言っていたかな」

私は答えた。

篠生は、「はあ」と一つ短いため息をついて話し始めた。

「当時付き合っていた恋人が自殺したんです」

私は簡単な話題では無い事をすぐに察知して、開いていた口を閉じる。

篠生は話を続ける。

「本当に、その彼女を愛していました。でも、ある時、私は一度の過ちをしてしまいました。その相手は、私の目を盗んで、私の携帯電話から彼女にメッセージを送り、ベッドに寝てる写真を送ったのです」

篠生は頭を下げ、頭を抱えて、床へ話し始めた。

「すぐに彼女は私の元を去り、風の便りでは自殺したと聞きました。それから、私は眠ると毎日のように、その彼女が夢に現れて、どうして裏切ったのと言ってくるのです」

篠生の声が小さく震えているのがわかる。

篠生はちらりとレストランの出入り口に視線を送る。

ひいっ!

篠生は、突然、体を仰け反り、長椅子の上で後ずさりしている。

私はレストランの出入り口を見た。

何も居ない。

しかし、篠生は腰を抜かして、冷や汗を滲ませている。

篠生の目は、見えていない何かを捉えている。

「はは。あれが彼女だよ。起きていても、迎えに来れるようになったんだね」

私には見えない。

「本当だったら、もう今頃、会う事ができたんだけどね。もう少し待っててね」

篠生は言う。

長椅子の背もたれにぶつかっているが後ずさりを続けている。

その時、後ずさりしている動きに、長椅子が軋み音を発した。

びくっと、篠生は体を強張らせて行動を止める。

「だめだ。この音は悪魔を呼び寄せる」

篠生は自問自答するように語る。

篠生の息は荒い。

篠生は顔を上に向ける。

「ああ、そうか。その両手は私の首を締めようとしているんだね」

篠生の目には、彼女が馬乗りになっているようだった。

「そうだね、呼吸すると、空気が気管を通る時の擦れる音が出ちゃうもんね」

篠生はそう言うと息を止め出した。

初めは苦しくなるとやめていた。

しかし、次第に、息を止める時間が長くなる。

息を止めるのを止めた時、激しく空気を取り込む。

呼吸が整う間もなく、再び息を止める。

目は血走り、体がぷるぷると震え出しても息を極限まで止める。