「お腹空いたー!」

田堂の息子が突然叫ぶ。

呼気を全て使いきり、深呼吸する。

その空気の吸い込みと同時に、ずびびびと鼻が鳴る。

「お腹空いたー!」

再び叫ぶ。

「どうしたの? 突然」

田堂の母は微笑んで、なだめる。

その笑みは固い。

「お腹空いたー!」

再び叫んだ時、老婆の眉が上がる。

老婆は立ち上がり、篠生からテープを奪い、田堂へ近づく。

田堂の息子は、老婆が近づいてくるのを見て怯えた表情を見せる。

眉を下げて、丸く目を開き、瞳が左右に揺れ動く。

「怖いよ! 怖いよ」

田堂の息子は老婆から少しでも離れようと、上体をのけぞる。

「黙りなさい!」

老婆は般若のような表情で怒鳴る。

老婆は、田堂の母にテープを突き出す。

「口をテープで閉じよ」

老婆は目を細めて言う。

「そんな事できないわよ」

田堂の母は抵抗する。

田堂の母は賛同を求めて、客の皆に目を送る。

しかし、誰も賛同する事は無かった。

私も賛同しなかった。

大きな声が外に漏れれば、悪魔に見つかってしまう。

そうなれば、家族も、私も、助からない。

私は田堂の母の眼差しから目をそらした。

そらした先に、篠生が居る。

篠生は私の顔を見ていた。

私は罪悪感の念に唇を噛む。

「皆、助かりたいから仕方ないんです」

篠生は私の心情を察して、優しく言う。

篠生の優しさにより、私の行いが際立つ。

「くそっ」

私の口から、どうしようも無い憤りが吐き出された。

私の手は固く拳を握っている。

私の複雑な心境に迷っている姿を田堂の母は見ている。

田堂の母は、私に期待しているようだった。

その眼差しは私の心に突き刺さり、かき乱す。

私は奥歯を噛み締めて、左手でギターの弦を押さえた。

右手は弾く事を拒む。

その手は細かく震えている。

田堂は落胆し、一つ目線を下げると、渋々、テープを受け取った。

少しずつ少しずつ、使う分のテープを出していく。

私は田堂の母の様子を横目で見る。

その目に涙がどんどん満たされていく。

ダムのように涙袋が平常心をなんとか保っている。