気が付けば、店内に居た客はまばらになっていた。

今も、老婆は分厚い本を広げて俯いている。

「あれ、外が真っ白だ」

隣の席の客が言うのを聞いて、私は窓を見る。

窓の向こうは真っ白だった。

湯気のようにそよ風で重く流れているのがわかる。

たった今まで、外にあった広大な駐車場も全く見えない。

それどころか、窓の向こう側の一歩先が見えない。

そこに車があるのか、人が居るのかすら、見えなかった。

「窓を見てみな」

私が言う。

「うわー! 白い」

娘は窓ガラスに額をつけて、外を見る。

「凄い霧だね」

妻が言う。

「ああ。山はこんなに濃い霧が出るんだな」

私は返す。

「今日どうしようか」

妻は首を傾げて、私に聞く。

「山の天気は変わりやすいって聞くから、もう少し待ってみようか」

私は答える。

「そうだね。それにしても良かったね」

妻が小さくため息をついて言った。

「ん?」

私は疑問を返す。

「もしレストランで食べていなかったら、今頃、私達、遭難していたかもしれないから」

「言われてみれば、確かにそうだな」

店内は不思議と静かになっていく。

霧を見ていると、幻想的というか非日常で、見惚れてしまう。

「ねえ! お母さん、お父さん。今、霧の中で何かが動いた! ほら、今も光ったよ!」

娘は窓ガラスに額をつけながら言う。

娘の声が窓ガラスに響き、ふわんと反響する。

その反響は娘の声のすぐ後を追い、娘の声に厚みを持たせる。

「この中、帰ろうとする人も居るのか、凄いな」

私は窓の向こう側を見て言う。

私の目には人や車は見えない。

空の明るさも遮られ、まるで厚い雲の中に入ったかのようだった。

店内の照明が明るく感じる。

テレビのチャンネルが切り替わった。

テレビは地域のニュース番組が映る。

稀に見る濃霧が発生したとのこと。

警報を発令し、不要不急の外出は避けるよう促している。

ほとんどの客がテレビに注目している。

店内はざわつき始めた。

どの客も、この後の日程を考えているようだ。

その時、大きな声が轟いた。

「遂にこの時がきた」

声は、地鳴りのように足元を振動させる。

大型の猛獣が吠えるような低音が混ざった金切声。

ぶるぶると濁り、声が割れて二重に聞こえる。

客の誰もが驚き、その声の発生源に顔を向ける。

その視線の先には、あの老婆がいた。