「例えば明日、地球が滅びるとするよ」
高校2年生の7月頭。ちょうど先週、1学期の期末テストが終わった。来月から夏休みで、残りの1学期の1ヶ月間は消化試合みたいなものだ。
僕が、テスト明けの穏やかな気持ちでお弁当を食べていたら、隣の女子グループからぶっそうな言葉が聞こえた。なんだ、「地球が滅びる」って。女子たちの間で流行っている、何かのゲームだろうか。
窓を閉め切った教室は、ガンガンにクーラーが効いていて、クーラーのない廊下に出るのが億劫になるくらい快適だった。
「さあ、皆は今日何をする?」
そう訊いたのは、畑中凪という女子だ。彼女はいつも、昼休みには仲の良い4人で集まっている。
「えー、何するだろ。明日で終わってしまうなら、美味しいもの食べに行くかな」
「それはいいね。最後の晩餐ってやつ」
「あたしは、ディズニーランドに行く」
「混んでそうだねえ」
「いいじゃん。最後くらい、一番行きたい場所に行くのも」
禅問答のような畑中さんの問いに、足立さん、吉村さんが答えた。残るは、安藤和咲という女子だ。
「和咲は?」
何か意味があるのかどうか分からない質問なのに、畑中さんは真剣に彼女の答えを待っていた。
「私は……うーん、そうだなあ」
無意識に、僕は彼女の声を必死に聞き取ろうと耳をそばだてる。
周囲の話し声や運動場でサッカーなんかして遊んでいる人たちの声が、全部聞こえなくなった。
安藤さんは、少し考えたあとで、答えを口にする。
「好きな人と一緒にいたい、かな」
あまりにも、直球だった。
直球すぎて、質問をした女子も、二の句を継げずにいた。だって、普通こういう場面だったら、「今まで行きたかったけれど、行けなかった場所に行く」とか、「やりたかったことをする」とか、最後の日じゃないとできないことをすると言うのではないのか。
「そ、そっか。和咲は好きな人、いたんだっけ」
畑中さんの質問からして、安藤さんには恋人はいないようだ。
「うん、いるよ」
「へえ、それって」
誰? という言葉を、僕は聞き逃さないようにお弁当箱に突っ込んだお箸をそっと宙に浮かせた。
けれど、なんともちょうど良いタイミング、いやこの場合は間が悪いとでも言うか、教室の外から、「おーい凪」と、畑中さんを呼ぶ声がして畑中グループ全員が振り返った。
「ああ、美咲。ちょっと待って」
どうやら、畑中さんを呼んだのは隣のクラスの女子らしい。つくづく、友達が多い人だと思う。畑中さんは、先ほどまで話していた3人に「ちょっとごめん」と両手を合わせてそそくさと廊下に出て行った。
クラスの女子3人は、突然会話が強制終了させられた上に、畑中さんのあまりの行動の速さに呆気にとられていたようだが、まあいつものことなんだろう。「ねえ、昨日のドラマの続き見た?」と、いかにも女子がしていそうな日常会話を始めた。
ああ、もう少しだったのに。
もし、隣のクラスの女子が畑中さんを呼びにこなかったら、安藤さんの好きな人を聞くことができたかもしれない。
もちろん、それが自分かもしれないなんて、1ミリも思っていない。うん、本当だ。僕は自他共に認める“ただ要領が良いだけの男子”なのだ。部活は一応陸上部に入っているが、大きな大会に行けるほどの実力はない。ただ、走るのは速い方なので、短距離走者として毎日練習はしている。勉強はまあ、上々といったところだろうか。学年でトップまではいかないが、50番以内には入っている。小学校のときにそろばんを習っていたおかげで数学が得意。国語はさっぱりだが、その他の教科は普通に勉強をしていれば毎回の定期テストで80点は取れる。かといってトップほどではない成績をいちいち披露する場はない。僕の部活や勉強の成績を知っている人は小学校から同じだった、矢部浩人ぐらいだろう。
彼は、お調子者でクラスのムードメーカーだ。勉強はイマイチだが、サッカーをやらせると彼の右に出る者はいない。大学も、先生たちからはスポーツ推薦で進学できるだろうと言われている。
特別に格好いい、というほどでもない彼は男子も女子も関係なくみんなから好かれている。本人が「全員友達だ!」という勢いで初対面の人とでも一瞬で会話の緒を掴むのがその所以である。
とにかく、僕がどういう要領で生きてきたかを知っているのは浩人だけで、その他大勢からすれば、僕などはなんとなく勉強ができるくらいの、フツーの男子なのだ。
自分の考えになんだか自分で悲しくなってきたところで、後ろから「あの」と声をかけられた。
「板倉奏太」
ぎこちなくフルネームでそう呼んだのは、同じクラスの岡田京子という女の子。
「なにかな」
「これ、落ちてたけど」
彼女はぶっきらぼうな口調で、僕に一枚の紙を差し出した。それは、4限目の英語の授業内で行った小テストだった。
「ああ、ありがとう」
どうやら僕の後ろの席のあたりに落ちていたらしかった。先ほど鞄にしまおうとした時に落としてしまったんだろう。自分でも気づかなかった。
「それだけだから」
そう言って彼女は自分の席に戻ってゆく。確か、彼女の席は窓際の一番後ろの席のはずだ。記憶の通り、彼女は授業中の居眠りにはうってつけのその席に座った。
わざわざ、あんな遠くの席からプリントが落ちていることを伝えてくれたんだろうか。
確かに、小テストとはいえ、誰かに見られるのは居心地が悪い。点数の良し悪しに関係なく、僕はテスト用紙はさっと隠すようにしてしまう癖があった。
もし、岡田さんがテストを拾ってくれなかったらと思うと、ちょっと身震い。彼女には見られてしまっただろうけれど、大勢の人に見られるよりはだいぶマシだった。
岡田さんが席についたところで、昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴った。僕はいそいそと5限目の国語の教科書を準備する。この時間帯の国語は、全生徒に対して「眠ってください」と言っているようなものだ。
ちらりと、右斜め後ろに座っている彼女を見た。岡田さんとは反対側の一番後ろの席にいる、安藤さん。彼女は僕と同じように、机の上に国語の教科書とノートを出し、左斜め前の方を眺めていた。誰か、特定の人を見ているのか、単にぼうっとしているのか分からないが、彼女の目線が浩人に続いていると感じるのは、醜い男の嫉妬心のせいだろうか。
高校2年生の7月頭。ちょうど先週、1学期の期末テストが終わった。来月から夏休みで、残りの1学期の1ヶ月間は消化試合みたいなものだ。
僕が、テスト明けの穏やかな気持ちでお弁当を食べていたら、隣の女子グループからぶっそうな言葉が聞こえた。なんだ、「地球が滅びる」って。女子たちの間で流行っている、何かのゲームだろうか。
窓を閉め切った教室は、ガンガンにクーラーが効いていて、クーラーのない廊下に出るのが億劫になるくらい快適だった。
「さあ、皆は今日何をする?」
そう訊いたのは、畑中凪という女子だ。彼女はいつも、昼休みには仲の良い4人で集まっている。
「えー、何するだろ。明日で終わってしまうなら、美味しいもの食べに行くかな」
「それはいいね。最後の晩餐ってやつ」
「あたしは、ディズニーランドに行く」
「混んでそうだねえ」
「いいじゃん。最後くらい、一番行きたい場所に行くのも」
禅問答のような畑中さんの問いに、足立さん、吉村さんが答えた。残るは、安藤和咲という女子だ。
「和咲は?」
何か意味があるのかどうか分からない質問なのに、畑中さんは真剣に彼女の答えを待っていた。
「私は……うーん、そうだなあ」
無意識に、僕は彼女の声を必死に聞き取ろうと耳をそばだてる。
周囲の話し声や運動場でサッカーなんかして遊んでいる人たちの声が、全部聞こえなくなった。
安藤さんは、少し考えたあとで、答えを口にする。
「好きな人と一緒にいたい、かな」
あまりにも、直球だった。
直球すぎて、質問をした女子も、二の句を継げずにいた。だって、普通こういう場面だったら、「今まで行きたかったけれど、行けなかった場所に行く」とか、「やりたかったことをする」とか、最後の日じゃないとできないことをすると言うのではないのか。
「そ、そっか。和咲は好きな人、いたんだっけ」
畑中さんの質問からして、安藤さんには恋人はいないようだ。
「うん、いるよ」
「へえ、それって」
誰? という言葉を、僕は聞き逃さないようにお弁当箱に突っ込んだお箸をそっと宙に浮かせた。
けれど、なんともちょうど良いタイミング、いやこの場合は間が悪いとでも言うか、教室の外から、「おーい凪」と、畑中さんを呼ぶ声がして畑中グループ全員が振り返った。
「ああ、美咲。ちょっと待って」
どうやら、畑中さんを呼んだのは隣のクラスの女子らしい。つくづく、友達が多い人だと思う。畑中さんは、先ほどまで話していた3人に「ちょっとごめん」と両手を合わせてそそくさと廊下に出て行った。
クラスの女子3人は、突然会話が強制終了させられた上に、畑中さんのあまりの行動の速さに呆気にとられていたようだが、まあいつものことなんだろう。「ねえ、昨日のドラマの続き見た?」と、いかにも女子がしていそうな日常会話を始めた。
ああ、もう少しだったのに。
もし、隣のクラスの女子が畑中さんを呼びにこなかったら、安藤さんの好きな人を聞くことができたかもしれない。
もちろん、それが自分かもしれないなんて、1ミリも思っていない。うん、本当だ。僕は自他共に認める“ただ要領が良いだけの男子”なのだ。部活は一応陸上部に入っているが、大きな大会に行けるほどの実力はない。ただ、走るのは速い方なので、短距離走者として毎日練習はしている。勉強はまあ、上々といったところだろうか。学年でトップまではいかないが、50番以内には入っている。小学校のときにそろばんを習っていたおかげで数学が得意。国語はさっぱりだが、その他の教科は普通に勉強をしていれば毎回の定期テストで80点は取れる。かといってトップほどではない成績をいちいち披露する場はない。僕の部活や勉強の成績を知っている人は小学校から同じだった、矢部浩人ぐらいだろう。
彼は、お調子者でクラスのムードメーカーだ。勉強はイマイチだが、サッカーをやらせると彼の右に出る者はいない。大学も、先生たちからはスポーツ推薦で進学できるだろうと言われている。
特別に格好いい、というほどでもない彼は男子も女子も関係なくみんなから好かれている。本人が「全員友達だ!」という勢いで初対面の人とでも一瞬で会話の緒を掴むのがその所以である。
とにかく、僕がどういう要領で生きてきたかを知っているのは浩人だけで、その他大勢からすれば、僕などはなんとなく勉強ができるくらいの、フツーの男子なのだ。
自分の考えになんだか自分で悲しくなってきたところで、後ろから「あの」と声をかけられた。
「板倉奏太」
ぎこちなくフルネームでそう呼んだのは、同じクラスの岡田京子という女の子。
「なにかな」
「これ、落ちてたけど」
彼女はぶっきらぼうな口調で、僕に一枚の紙を差し出した。それは、4限目の英語の授業内で行った小テストだった。
「ああ、ありがとう」
どうやら僕の後ろの席のあたりに落ちていたらしかった。先ほど鞄にしまおうとした時に落としてしまったんだろう。自分でも気づかなかった。
「それだけだから」
そう言って彼女は自分の席に戻ってゆく。確か、彼女の席は窓際の一番後ろの席のはずだ。記憶の通り、彼女は授業中の居眠りにはうってつけのその席に座った。
わざわざ、あんな遠くの席からプリントが落ちていることを伝えてくれたんだろうか。
確かに、小テストとはいえ、誰かに見られるのは居心地が悪い。点数の良し悪しに関係なく、僕はテスト用紙はさっと隠すようにしてしまう癖があった。
もし、岡田さんがテストを拾ってくれなかったらと思うと、ちょっと身震い。彼女には見られてしまっただろうけれど、大勢の人に見られるよりはだいぶマシだった。
岡田さんが席についたところで、昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴った。僕はいそいそと5限目の国語の教科書を準備する。この時間帯の国語は、全生徒に対して「眠ってください」と言っているようなものだ。
ちらりと、右斜め後ろに座っている彼女を見た。岡田さんとは反対側の一番後ろの席にいる、安藤さん。彼女は僕と同じように、机の上に国語の教科書とノートを出し、左斜め前の方を眺めていた。誰か、特定の人を見ているのか、単にぼうっとしているのか分からないが、彼女の目線が浩人に続いていると感じるのは、醜い男の嫉妬心のせいだろうか。