東京都千代田区九段下。
 東西線九段下駅を出てから徒歩十分の古びた雑居ビルの三階に、『株式会社ファンタジックツアー』はある。この絶妙にダサいネーミングの弊社は、創業二十年の『異世界人専用』の旅行代理店だ。

 その営業年数は……この世界に『異世界と繋がる穴』が開いてからと、ほぼ同じ年数である。

 二十ニ年前、新橋駅の西口広場に異世界へと繋がる穴が突如空いた。
 そこからワラワラと獣人、エルフ、ドワーフ……そんな異世界人たちが湧き出した時には『終末か』とテレビも週刊誌も連日大騒ぎだった。
 しかし案外気のいい異世界人たちは、すっかり日本に馴染んでしまい。新橋駅のぽっかり空いた穴の前には入出国の検査のゲートが設置され、異世界から来るもの、異世界に行く者とで賑わっているのが現状である。

 古いコンクリートの饐えた香りがする階段を上り、『ファンタジックツアー』というボロボロのシールが貼られた古びた鉄の扉の前に立つ。ちなみにエレベーターはこの六階建てのビルには存在しない。エレベーターの設置義務が法で決まる前から存在する建物なのだ。

「おはようございまーす」

 女の腕には重い扉をうんしょと開けると、そこには狭くて経年劣化を感じさせるオフィスが広がっていた。

 ここが――私、秋吉朝陽の職場である。

「秋吉君、遅い」

 机に積まれたファイルとパソコンのモニターの隙間から、金色の頭が覗く。それは不機嫌の見本のような、唸るような口調で言葉を発した。

「遅くないですよ、時間通りです」
「後の業務に集中するために、早く来て雑務を片付けるのは当たり前だ。上司がそうしているなら、なおさらだ」
「上司がしてるなら……って時代錯誤ですよ、ファニーニャさん。今日の午前中は、来店のご予約が三件でしたっけ。あっちの方々って、なかなかネット予約を使ってくれませんよねぇ」

 いつもの通りご機嫌斜めの上司……ファニーニャさんに言葉を返しながら、彼のデスクと向かい合わせの自分のデスクに腰を下ろす。
 ファニーニャさんはこの旅行代理店の店長で、私の上司である。
 視線を前に向けるとファイルの隙間からこちらを睨みつける、綺麗な緑の瞳と視線が交わった。

「四件だ。人間種は覚えが悪すぎる」
「そういう差別も時代錯誤です。長寿種は価値観のアップデートが遅いんでしたっけ?」
「……君のそれも差別ではないか」
「じゃあ、おあいこですね」

 ガタリと音を立てて、ファニーニャさんが立ち上がる。すると驚くくらいに整った絶世の美貌が姿を現した。うちの上司は……本当に顔だけはいいな。上司の種族は容姿が整った者ばかりなのだけれど、その中でもファニーニャさんのお顔は格段に整っていると思う。
 きめ細やかな白い肌。鼻筋がはっきりと通った、綺麗な形の鼻。大きくて少しつり上がった緑の瞳。軽く撫でつけられた、煌めくプラチナブロンド。
 そして――先が尖った長い耳。

 ……そう、うちの上司はエルフなのだ。

 ――エルフ。
 森、海などの自然環境が豊かな地域に住むことが多い異世界の種族だ。
 長い耳が特徴で、男女ともに容姿端麗で美しく、寿命は平均で千歳前後と長寿であること甚だしい。 
 ちなみに、異世界から東京に来たエルフに人気の土地は奥多摩である。自然豊かで二十三区にも比較的容易に出られるもんね。そしてファニーニャさんも、奥多摩に住んでいる。
 森エルフ、海エルフ、なんて住んでいる地域によってエルフは呼ばれ方が変わるらしい。九州人、関西人、みたいな分類だと私は思っている。
 ファニーニャさんはさしずめ奥多摩エルフだな。

「……秋吉君」

 ファニーニャさんは私の名前を呼びながら、くいっと銀縁眼鏡のブリッジを指で押し上げた。はじめて見た時は、こんな漫画のような神経質な動作をする人が実際にいるんだなぁと感動したものだ。今ではすっかり日常の見慣れた仕草になってしまっているけれど。

「秋吉君。君は僕よりいくつ年下だね」
「耳にタコなんでよく覚えてますよ。三百と二十五歳年下ですね。年功序列を主張するのも、時代遅れでとってもダサいと思います」

 私は二十五歳、ファニーニャさんは三百五十歳だ。すごい年齢だなぁと思うけれど、エルフの感覚で言うと『働き盛り』のお年らしい。

「ぐっ……」

 長く生きている割には口が達者ではないエルフは、顔を赤くしながら言葉を詰まらせた。