「なにか燃えてるなー、と思って来てみれば……どうして、こんなところに人間が落ちてるのかしら?」
町の外へと脱出した俺は、1人の少女と対峙していた。
それは、夕空から染み落ちてきたかのような、紅い少女だった。
炎のようにけぶる繊細な髪。
燃えるように爛々と輝いている真紅の瞳。
そして――その背を飾っている、紅炎の翼。
……人間、ではない。
人間のはずがない。
こんなものが人間であっていいわけがない。
どれだけ擬態していようが、人間とはまとっている空気が違いすぎる。
ただ、そこにいる。
ただ、それだけのことで。
俺の本能が、この少女を――“災厄”だと断じた。
こいつは――魔物だ。
「……っ!」
町の外に出たからと油断しきっていた自分を呪う。
魔物がいるのは町の中だけ、なんてはずがない。
外の世界の美しさに足を止めている暇なんてなかった。
ここから見える世界の全ては――魔物の支配領域なのだ。
「あなた、とっても美味しそうな匂いがするわね? いつもは若くて綺麗なメスの肉しか食べないのだけど、それよりもずっとずっと美味しそうだわ。どうして、そんなに美味しそうなのかしら? 不思議だわ」
少女は唇をなめてから、地面にとんっと降り立った。
「それに……どうやって、ここまで来たのかしら? どうやって、魔物の支配を抜けたのかしら? もしかして、ここの町が燃えてるのもあなたの仕業? そうだったら、とても不思議でうれしいのだけど……」
一歩、また一歩……と、少女が近づいてくる。
その一歩ごとに、残酷な理解を突きつけられる。
今の俺では、この少女とあまりにもレベルが違う――違いすぎる。
このままでは……食われる。
「……ッ!」
とんっ、と少女が無防備に足を前に出し。
俺の間合いに――入った。
その瞬間、俺はぎりっと足に力を込めながら叫んだ。
「――肉体強化ッ!」
強化魔法の発動とともに、少女に飛びかかる。
少女へと一息に接近し、そして――。
「――物質強化ッ!」
その白い首筋に向けて、強靭化したナイフを抜き放つ。
まだ少女は、俺がただの人間だと油断しているはずだ。
ただの、どこにでもいる――レベル1の家畜だと。
もちろん、この攻撃でこの化け物を倒せるはずがない。
あっさり回避されてしまうだろう。
だが、それでいい。
わずかでも少女の体勢を崩すことができれば……その隙に、彼女の背後にある海へと飛び込むことができるかもしれない。
それだけが、この状況から逃れるための道だ。
しかし、俺は予想に反し――。
「…………は?」
少女は回避をしなかった。防御をしなかった。反撃をしなかった。
ただ、無抵抗にその場に立ったまま――。
――すぱんっ、と。
少女の首は、あっさりと飛んだ。
首の切断面から、果実が破裂するように新鮮な血が飛散する。
ゆっくりと宙に舞う、少女の首――。
その首についている双眼が、わずかに見開かれる。
俺は思わず逃げることも忘れて、その場に留まってしまった。
(…………殺した、のか?)
一瞬、そんな希望が芽生えたが……。
「――――あ……ッははははははッ!」
突然――首が、笑いだした。
その笑い声に呼応するように、少女の体から爆発的に炎が噴き上がる。
「……ぐっ!?」
半ば宙に浮いたままだったせいで、踏ん張ることができない。
俺の体が勢いよく吹き飛ばされる。
とっさに受け身を取って顔を上げると、辺り一面は火の海になっていた。
「――あッ、ははははははッ!」
少女は壊れたように笑い声を響かせながら。
自ら発した炎に包まれ――炭と化し、そして灰と化す。
……かと思えば、その灰が意思を持ったように渦を巻いて、みるみるうちに人間の形をなした。
「……不思議だわ。不思議、不思議、とっても不思議。こんな不思議なこともあるのね」
そうして現れたのは、先ほどまでと変わりない少女の姿だった。
そう……まったく、変わりないのだ。
傷ひとつない。焦げ跡ひとつない。炭になったことも、灰となったことも、首を切断されたことすら――全てがなかったことにされている。
まるで本当に何事もなかったかのように、少女はしゃべり続ける。
「魔物に反抗する人間なんて、まだ絶滅していなかったのね。それも、このわたしの1回も殺すなんて……生まれてこの方、こんなにびっくりしたのは初めてよ。どうして、レベル1の人間ごときがそんな力を持っているのかしら……?」
そこで少女の目が、俺の手の甲――レベル刻印へと向けられた。
とっさに隠すが、遅かった。
少女はしばし、目を丸くする。
「――ねぇ、あなた……どうして、レベルが上がっているの?」
「…………」
「どうやってレベルを上げたのかしら? それに、どうやってさっきの魔法を覚えたのかしら? わからないわ。すごく不思議だわ。いいわ……あなた、とっても面白いわ。世界は不思議に満ちていなければ、このわたしが生きてあげる価値がないもの。だけど……あなたにとっては相手が悪かったわね」
と、少女は悪戯っぽく微笑する。
「わたしは魔界七公爵の一柱、フィフィ・リ・バースデイ。永遠に死と再生をくり返す、不死鳥――」
そして、少女は告げる。
「――わたしのレベルは77よ」
炎に染め上げられた世界の中。
少女の胸元のレベル刻印が青白く輝いていた。
そこに刻まれているレベルは、少女の言葉通り――77。
(……不死鳥……聞いたことはある)
それは、“太陽の化身”と称される世界最上位の魔物の名だ。
はるか空の高みでその身をまばゆく燃やしながら、世界を巡り廻り、回り廻る――円環の炎鳥。
死んでも、死んでも、死に尽きることなく、炎の中から永遠に蘇生し続ける不死の鳥。
文字通り、レベルが違いすぎる。
こんな冒険の始まりには、絶対に出遭ってはいけない存在だった。
「あなたはここに来るまでに、たくさんの夢を見たのよね? たくさんの希望を抱いたのよね? そして、たくさんの努力をしたのよね? それは、とても素敵なことだわ。でもね……」
少女がぱちんっと指を鳴らすと、周囲の炎たちが意思を持ったかのように俺のもとに集まってきた。炎は渦を巻きながら鳥かごの形をなして、俺を逃さないように閉じ込める。
「それでも、人は魔物には勝てない。あなたは、わたしには絶対に勝てない。あなたの壮大な冒険の旅は――幕を開けない」
くすくすと、悪戯っぽく、楽しげに――。
少女はスキップでもするような弾んだ動きで、俺へと顔を寄せてくる。
「でも、そうね……あなたは面白いから、特別に2つの選択肢をあげるわ」
「……選択肢?」
「えぇ、よーく考えて好きなほうを選ぶといいわ」
少女がもったいぶるような間をあけながら指を立てた。
「まず1つ、わたしにここで食べられる。そして、もう1つ――」
炎の鳥かごの隙間から、少女がくいっと俺の顔を持ち上げる。
「――わたしの愛玩動物として生き続ける」
◇
不死鳥のフィフィが目の前の人間をすぐに食べなかったのは、ほんの気まぐれのためだった。
永遠に続く同じ日々に飽きていた、というのもあるかもしれない。
――【輪廻炎生】
それが、不死鳥の身に宿っている天恵だ。
それは、死んでも永遠に蘇えることができる祝福にして――死ぬことができない呪いでもある。
この退屈な永遠を吹き飛ばしてくれるような刺激が欲しかった。
そして、この人間ならば、そんな刺激を与えてくれるのではないかと思ったのだ。
この人間はあきらかに他の人間とは違っていた。
魔物の家畜であることに甘んじ、死んでいるように生きているだけの人間ではない。
それも、なぜか魔法を覚え、なぜか武器を扱うことができ、そして……なぜかレベルが上がっている。
(……面白すぎるわ)
だからこそ。
たとえ、魔界の掟に反しているのだとしても。
たとえ、“王”に逆らうことになるのだとしても。
……殺すのはもったいない、と思ってしまった。
「あなたは面白いから、特別に2つの選択肢をあげるわ」
炎の鳥かごにとらえた人間の頬をなでながら、フィフィは告げる。
ここで食べられるか、それとも愛玩動物として生き続けるか。
あきらかに偏った2択。
選択肢を与えると言いつつ、どちらを選ぶかなんて明白だった。
「答えは決まったかしら?」
「……選択の余地なんてないだろ」
人間が忌々しげに睨んでくる。
血濡れの刃を思わせる、紅い眼光――これだけ絶望的な状況だというのに、この人間はいまだ反抗的な瞳を揺らがせない。
それどころか、こちらが隙を見せたら飛びかかってきそうな戦意さえ感じる。
「ふふ……やっぱり面白いわね、あなた」
こんなにわくわくしたのは、いつぶりだろうか。
とても不思議で、興味深く、刺激的な人間だ。
やはり、ただ食べて終わりではもったいない。
「それじゃあ、一応、答えを聞かせてもらうわ」
「……ああ」
とはいえ、どうせ答えは決まっている。
そもそもこれは、どちらが上位者なのかを思い知らせるためのパフォーマンスでしかないのだから。
人間がこちらに首を差し出すかのように、頭を垂れる。
そして――。
――――どすっ、と。
フィフィは胸の辺りに衝撃を感じた。
「…………え?」
一瞬、なにが起こったかわからなかった。
理解より先に、フィフィの口元から血が垂れる。
そこで、フィフィはようやく気づいた。
……自分の心臓にナイフが突き立っていることに。
そのナイフを握りしめているのは――目の前にいる人間だ。
「……言っただろ? 選択の余地なんてない、と」
気づけば、人間は不敵な薄笑いを浮かべていた。
「――――俺の答えは、“選択肢なんて知るかボケ”だ」