「…………はぁ……はぁ……ッ」
セイレーンの体が爆散したのを見届けたあと。
俺は全身から力が抜けて、思わず空中でよろける。
思ったよりも、最後の破壊音波のダメージが大きかったらしい。
自分の肉体強度を見誤った。
前世ではこれぐらいノーダメージだったが、さすがに自分よりもレベルが高い相手の全力攻撃を食らえば、致命傷になるのは当然のことだった。
とっさに“治癒”の魔法をかけて応急処置をするも、魔力が足りなすぎる。
「……くっ!」
空中機動に使っていた“風王脚”の魔法が切れて、そのまま落下していく。
さすがに長時間の空中機動は、魔力の消耗がでかすぎた。
セイレーンを市民から引き離すために上空へと誘導していたこともあり、地面までは遠い。満身創痍で、肉体強化も満足にできないこの状況で落ちたら――致命傷だ。
(……フィーコを憑依させておくべきだったか)
残りの魔力の全てで、“風王脚”の魔法を使い、なんとか落下速度を減衰させる。そして、来るであろう衝撃に備えるが……。
「…………?」
――ふわり、と。
俺の体がなにかに受け止められた。
視線を下に向けると、そこにあったのは無数の手だった。
(この町の市民か……?)
彼らは落下してきた俺の体を、自分が傷つくこともいとわず受け止めたらしい。
そのまま、俺をそっと地面に寝かせる。
彼らは必死になにかを叫んでいるが、鼓膜を潰したせいで聞こえない。
(……ずいぶんとしゃべるようになったな)
セイレーンがいなくなったからだろうか。
彼らはしゃべり方まで忘れていたわけではないようだ。
そんなことをぼんやり考えながら、意識が遠のいていくのを自覚した。
さすがに無茶しすぎたか。ゆっくりと目を閉じていく。
その最後の視界で、俺が見たのは……。
『…………まったく、世話が焼けるわね』
炎の羽根、だった――――。
◇
次に目覚めると、ベッドの上だった。
見覚えのない天井。やたらふかふかした布団。知らない家の匂い……。
「…………ここは?」
辺りを見回しながら、誰にともなく呟く。
返事は期待していなかったが……。
『ここは、依頼主の家よ』
フィーコが目の前にふよふよと飛んできた。
「……俺は意識を失っていたのか」
『そうよ。まったく、人間は軟弱ね。あの程度の怪我で、丸1日も寝込むなんて』
「怪我……」
そうだ、俺は満身創痍だったはずだ。
しかし、上体を起こして自分の体を見下ろしてみると、そこには傷ひとつない体があった。あれだけひどい怪我だったというのに。
「……【輪廻炎生】を使ったのか?」
『ええ。べつに必要はなかったけど、いったん憑き殺して【輪廻炎生】を使ったほうが、手っ取り早く治るでしょう?』
「ずいぶんとサービスがいいんだな」
『だって、あなたが寝込んでいたら、わたしがつまらないじゃない。あなたには毎時毎分毎秒、わたしを楽しませる義務があるのよ』
「そんな義務があったのか」
『それに……』
と、フィーコが続ける。
『――あなたとわたしは、“共犯”でしょう?』
「……共犯」
『まったく、このわたしが共犯になってあげたんだから、もっとちゃんとしてくれないと困るわ。“王”を殺すためには、こんなとこで足踏みしてられないでしょう?』
「……そうだな」
俺とフィーコは仲間ではない。協力関係でもない。
ただ、疑い合い、罵り合い、心は合わせず……だけど、たまに力を合わせて、“王”を殺すという同じ罪を犯そうとしている――共犯関係だ。
「……ふっ」
思わず笑ってしまう。
そういえば、俺も以前に同じようなことを考えたことがあるな、と思ったからだ。
『なにがおかしいの?』
「いや、お前って、やっぱりバカだなと思って……」
『こ、この人間……ッ! “王”を殺したら、絶対に食べてやるんだから!』
「はっ……焼き鳥がなに調子に乗ってんだ」
『焼き鳥!?』
きーきーとわめきだしたフィーコを見ながら、俺は肩をすくめた。
正直なところ、俺はまだこいつを信じきれていなかった。
だからこそ、俺はフィーコを自分には憑依させずに、こいつの力なしで勝てるように策を考えたのもある。
だが……だんだん、この魔物について理解できてきた気がする。
『そもそも、なんで……わたしを自分に憑依させなかったのよ。最初からわたしを憑依させてれば、こんな面倒なことにならずに済んだのに』
「まぁ、護衛依頼だったからな」
今回の戦闘では、フィーコを護衛対象に憑依させていた。
万が一、セイレーンが護衛対象を狙ったら、その時点で依頼失敗だ。
「……俺は誰かを守るのが苦手だ。ひたすら前に突っ走って、相手を狩ることしか知らない。だから、まぁ……今回はお前がいてくれて助かった」
『ふ、ふんっ、せいぜい感謝するといいわ。どっちみち、セイレーン程度に殺されてたら、わたしが許さなかったんだから』
誇り高き不死鳥、チョロかった。
と、そんな話をしていると。
「……ああ、目を覚ましたみたいだね」
俺とフィーコの話し声を聞きつけたのか、依頼主が部屋に入ってきた。
その妹――今回の護衛対象も一緒だ。
ちゃんと守りきることができたらしい。
「もう動いて大丈夫なのかい? なんだか、すごい怪我をしていたけど……」
「安心しろ。この通り、もう無傷だ」
ベッドから立ち上がって、無事を知らせるためにその場でぴょんぴょんとジャンプしてみせる。
いつもより軽快な動きだ。【輪廻炎生】によって文字通り生まれ変わったためか、ここ最近で一番調子がいいまである。
「は、はは……君が本当に人間なのか疑いたくなるよ」
兄が引きつった笑いを浮かべる。
「でも、君のおかげで本当に助かった。妹のマリーもこの通り、無事だ」
「あ、あの……ありがとうございました」
マリーという少女からも礼を言われる。
「あなたのおかげで、私も……この町のみんなも救われました」
「いや、俺は依頼を解決しただけだ。たいしたことはしていない」
俺がしたことは、ただ目の前にいる2人を延命させただけだ。
それに、セイレーンを討伐したところで……。
『どうせ、しばらくしたら次の魔物が来るわ。いつか食べられる運命は変わってないし、今度の魔物はもっとひどいことをしてくるかもしれないわね』
フィーコが口元をつり上げながら、いたずらに現実を突きつける。
おそらくは兄妹の怯える顔が見たかったのだろう。
しかし、2人は動じなかった。
「……それでも、無駄なんかじゃありませんよ」
『ふぇ?』
フィーコがちょっと拍子抜けとばかりに、つまらなそうな顔をする。
「テオさん……あなたに見せたいものがあります」
「なんだ?」
「ついて来てください」
兄妹が先導するように部屋から出た。
俺とフィーコは一度顔を見合わせてから、ついて行く。
玄関までやって来たところで、マリーがこちらをふり返った。
「……テオさんは命よりも、もっと大切なものをくれました」
「……?」
まったく心当たりがない。
俺はただセイレーンを倒しただけだ。
他になにもしていない。なにも与えたりはしていないが。
「それは、なんだ?」
マリーは微笑みながら、その答えを口にする。
「――希望、ですよ」
ゆっくりと玄関の扉が開かれる。
扉の隙間から差し込む光はだんだんと大きくなり――やがて弾けた。
目覚めたばかりの目には、眩しくて前が見えないほどの光量だ。
その光の先へと進むように、兄妹がうながしてくる。
わけがわからないまま、俺が家の外へと出ると。
その瞬間――。
――――わぁぁぁあぁぁあああ……ッ!!
歓声が、爆発した。
大気がびりびりと震えるほどの激しい声の嵐。
やがて、光に慣れた目がとらえたのは、町中にあふれ返った市民たちだった。
人々が街路に集まり、窓から身を乗り出し、誰にはばかることもなく歓喜の雄叫びを上げている。
昨日まであれほど静まり返っていた町が嘘のように……。
ここには、うるさいほどの声が満ちあふれていた。
「…………これは」
目の前の光景が信じられず、思わず兄妹のほうをふり返る。
「まぁ、この都市にいるみんなは、君がセイレーンを倒すところを全部見ていたからね。そりゃあ、町中大騒ぎにもなるよ」
兄のほうが苦笑しながら言った。
「……この町のやつらは、ちゃんと声も出せたんだな」
そういえば、昨日もなにか叫んでいるようだったが、鼓膜を潰していたせいで聞こえなかった。
この町の住民たちの声をまともに聞いたのは、これが初めてとも言えるかもしれない。
「声を忘れたわけじゃないよ。むしろ、魔物の耳がないところでは、よく歌ったりもしていたんだ」
「歌?」
「この町は、昔――“歌の都”と呼ばれていたんです」
マリーが町中の声を受け止めるように、両腕を広げながら言った。
「街の隅から隅まで歌と希望に満ちあふれた、そんな都――だったそうです。昨日までの町を見ていると信じられませんし、当時を知っている人はもういませんが……今でも、この町のみんなは歌が好きなんです。本当はみんな、いつかこうやって歌いたいと夢に見ていたんです。だから……」
彼女の瞳がこちらを向く。
その涙をためた瞳には、まっすぐな光が宿っていた。
「あなたがセイレーンを倒してくれたのは、絶対に無駄なんかじゃありません。いつか魔物に食べられるのだとしても、こうしていられるのが、たった一瞬なんだとしても――みんなの夢が、叶ったんですから。私たちは生まれて初めて……生きていてよかったと、そう思えたんですから」
「…………そう、か」
俺は無言で辺りを見回した。
歓声に混じって、どこからか陽気な歌声が響きだす。
魔物たちに“養殖場”と呼ばれている家畜の町とは思えない活気だ。
ここにいる人々はみんな、少なくとも今だけは――この世界の誰よりも自由で、そして生き生きとしていた。
(…………懐かしいな)
前世では、こういう町はいくらでもあった。
人間が魔物に支配されておらず、どこの町でも歌と希望が満ちあふれていた。
そんな光景がいつまでも続くのだと、そう思っていた。
いつまでも続いてほしいと、そう思っていた。
だから……。
「……一瞬なんかじゃない」
「え……?」
その言葉は、俺が考えるよりも先に口をついて出ていた。
俺は傍らにいたフィーコのほうを見る。
「おい、フィーコ。この町に次の魔物が来るまで、どれぐらい時間がかかる?」
『ふぇ? ま、そうね……領地の権利の問題もあるし、人手不足もあるし、管理体制が整うまでに早くても数か月はかかるんじゃないかしら?』
「そうか、なら……」
俺はふたたび兄妹に向き直った。
「それまでに――俺が、魔物の“王"を討伐してやる」
「……え?」
「俺がこの手で、人類全員解放してやる。だから、もうお前らが食われることはない。歌なんか、これからいくらでも歌えばいい。俺がそんな世界を作ってやる」
たとえ、俺だけしか魔物を倒せない世界だとしても。
たった1人で、世界に反逆することになるのだとしても。
何度も魔物を倒して、何度もレベルアップして――。
そうして、いつか“最強”へと至ってみせる。
『ちょっと、なに手柄を独り占めしようとしてるのかしら?』
と、フィーコが横から口をはさんできた。
『あなたは、あくまでわたしの共犯よ。“王”殺しの功績は、わたしが9で、あなたが1ぐらいの配分なんだから』
「いや、実際に戦ってるのは俺だろ。お前はただ、ふよふよしてるだけだろうが」
『い、今まではザコばかり相手にしてきたからでしょう! これからは、わたしの力を借りたいって泣きつくに決まってるんだから!』
「どうだかな」
『そもそも、“王”を殺したあとは、このフィフィ様が世界に君臨するのよ。勝手に人類を解放しないでくれるかしら』
「安心しろ。その前に、俺がお前を討伐してやるからな』
『……ふーん? どっちがえらいのか、一度はっきりさせたほうがいいようね?』
「はっ、今のお前になにができるんだよ……そんなに喰われたいのか、焼き鳥風情が?」
「「…………」」
そんな俺たちのやり取りに、しばし唖然としていた兄と妹だったが……。
やがて、マリーがくすっと微笑んだ。
「――あなたたちなら、本当にできてしまいそうですね」