セイレーンの命令から脱したあと。
 俺たちはいったん通りから離れ、人目――というより、魔物の目がなさそうな路地裏へと移動した。

 青年は近くにあった椅子へと縛りつけて動けないようにする。
 そうして、青年はようやく落ち着いたらしいタイミングで、先ほどの言葉について尋ねてみた。

「で、妹を助けてくれってどういうことだ?」

「……今朝、妹がセイレーンにつれて行かれたんだ」

 青年が拳を握りしめながら語りだす。

「君も見ていたからわかると思うけど、セイレーンの声には誰も逆らえないんだ。彼女に命令されると、なんというか……僕らは自動的になる。だから、僕らは魔物に反抗することも、魔物から逃げることも、自殺することさえできない。セイレーンに命じられるがまま、彼女の愛玩動物としての暮らしを強いられているんだ……」

 青年が通りのほうに目を向ける。
 そこには、列をなして歩いている人間たちがいた。

 たしかに、誰も自分の意志で動いている様子はない。
 先ほど自分の首を握りつぶしたハーピィにしてもそうだ。
 これが、フィーコが話していたセイレーンの天恵(ギフト)――【絶対王声】の力なのだろう。

 なるほど……この町の人間の目が死んでるわけだ。
 いかに見栄えのいい生活だろうと、それが全て自動的ならば……それは一種の地獄みたいなものだ。

「それと……」

 と、青年は一呼吸置いてから続けた。

「……時々、セイレーンの気まぐれで、僕らの中から“歌鳥”が選ばれる」

「“歌鳥”?」

「ああ、そうか。外の人間には通じないのか。なんと説明したらいいか……」

『とりあえず、この都市特有の生贄のとり方でしょう?』

 フィーコが焦れったそうに助け船を出す。

「生贄っていうと……俺がいた町の“投票”みたいなものか」

『そうね。というより、管理者(かいぬし)の魔物がひねくれてなければ、だいたい“投票”だと思うわ』

「生贄か……そうだね、まさにその通りだ」

 青年が忌々しげに呟いた。

「“歌鳥”は、綺麗な悲鳴を出しそうな人間の中から選ばれる。そうして選ばれた人間は、死ぬまで鳥かごに入れられて、セイレーンに悲鳴を聞かせるための愛玩動物(ペット)にされるんだ」

「ああ、なるほど。ここの人間がやけに声を出さないのは……」

「そう、日ごろから魔物に声を聞かれないようにしてるんだ。万が一にも、『綺麗な悲鳴を出せそうだ』なんて思われないようにね」

『あれって、ただ生贄になるのを怖がってただけなのね』

「あ、ああ」

 フィーコの声に、青年がぎこちなく頷く。
 いかにも魔物っぽいフィーコの前で声を出していいのか、まだ判断しかねているところもあるんだろう。
 それはそうと、だ。

「つまり、その“歌鳥”に選ばれたお前の妹を助けてほしいってことだな」

「……ああ」

 青年がうつむく。

「実は、僕自身も助けに行ったんだ。監視も甘かったし、セイレーンは人間のオスメスの区別もついてないから、こっそり僕が妹と入れ替わればバレないと思って。だけど……この町の人間にかけられている『魔物に逆らってはいけない』という命令のせいで途中で動けなくなった。そこでハーピィたちに見つかって……あのざまだよ」

 自嘲気味に笑う。

「だけど、外から来た人間なら……セイレーンの命令の影響はほとんどない。魔物たちは人間が反抗するなんて思っていないから、妹につけられている監視も甘いんだ。まだ妹が“歌鳥”にされるまで時間がある……だから、それまでに僕と妹を入れ替えてほしい」

「…………」

「こんなことを外の人間に頼むは筋違いだとわかっている。あまりにも危険すぎる。それでも、お願いだ…………妹を、助けてくれ」

 そして、青年が唇を噛みしめながら、深々と頭を下げた。
 その血が出そうなほど噛みしめられた唇から、その白くなるほど握りしめられた拳から、その震える背中から……彼がどれだけの覚悟をしているかわかった。

 魔物にとらわれ、“歌鳥”にされることへの恐怖がないわけではないのだ。
 それぐらい妹は大切な存在なのだろう。
 だが……。


「――断る」


 俺は即答する。
 青年はしばらく黙っていたが。

「……そうか……そうだよね」

 やがて力なく笑った。

「いや、いいんだ……勝手に希望を持っただけで、本当はこうなることが当たり前だったんだから」

「そうじゃない。俺が断ると言ったのは、お前のクソみたいな作戦のことだ」

「え……? でも、妹を助けられる方法なんて、他に……」

「いや、あるだろ――“セイレーンの討伐”って方法がな」

「……っ!?」

「簡単な話だ。セイレーンさえいなくなれば、お前も妹もどっちも犠牲にならずに済む」

 結局、この都市に来た目的をそのまま果たせばいいだけだ。

「む、無理だ。セイレーンは強すぎる。レベルだって65もあるんだぞ……?」

『わたしも、やめたほうがいいと思うわよ?』

 黙っていたフィーコが口を開いた。

『セイレーンの天恵(ギフト)の話はしたわよね?』

「レベルが下の相手に対する、絶対的な命令力だろ?」

『ええ。セイレーンのレベルが65に対して、あなたのレベルはまだ61。この町にいるハーピィたちをみんな倒しても、セイレーンのレベルにまでは達しないわ。ただでなくてもレベル差があるうえに……今のあなたではセイレーンに命令されただけでおしまいよ』

「だろうな」

『肉体が死ぬだけなら、わたしの【輪廻炎生(リンネエンセイ)】の力があればなんとかなるけど、精神操作まではどうにもならないわ。セイレーンを倒すにしても、外でレベルを上げてからにしたほうがいいんじゃないかしら?』

 ずいぶんとぺらぺらと話してくるな。
 たしかに、もっともな意見だ。反論なんてできない、が……。

「フィーコ、俺を試そうとしても無駄だ」

『あら、なんのことかしら?』

「とぼけても無駄だ」

 フィーコを睨みつける。

「……俺は、ここで逃げるような生き方はしていない」

 セイレーンを倒さないのならば、青年か妹のどちらかを犠牲にすることになる。
 たとえ、この程度の悲劇はいくらでも転がっているのだとしても。
 魔物に好き放題させて、まだ助けられる誰かを見捨てて……そうして、自分に失望するのはもうこりごりだ。

 なにより、今はもう戦うための力がある。
 そして、この世界で魔物を倒せる人間は――俺だけだ。
 逃げるが勝ちなんて知るか。
 ここで戦わなかったら……俺は一生、自分を許せなくなる。

『……へぇ』

 フィーコがしばらく俺を品定めするように観察してから。

『そうこなくっちゃ!』

 と、顔を一気にほころばせた。

『それでこそ、わたしが見込んだ人間だわ。そうよね……あなたは、このわたしから逃げなかったんだもの。もしも、セイレーン程度の相手から逃げるようなら……そんなつまらない人間は、この場でわたしが食べてやってたわ』

「やれるもんならやってみろ。また一方的に殺し続けてやるよ」

「……え? え?」

 青年が1人、状況についていけてないように混乱していた。

「えっと、さっきから気になってたんだけど……2人は、いったいどういう関係で?」

「敵だ」『敵よ』

「……そのわりに、仲が良さそうですが」

「そんなことはない」『そんなことはないわ』

「またハモってる……」

 青年がわずかに苦笑した。

「なんだか、不思議と……君たちなら、セイレーンも倒してしまいそうな気がするよ」

「君たちじゃない。セイレーンを倒すのは、俺だ」

『わたしが力を貸してあげてもいいのよ? 死んじゃったら困るでしょう?』

「いや、セイレーンとは1人で戦う。お前には、他にやってもらいたいことがある」

『へぇ……?』

「ともかく、お前の妹を助けるという依頼は――この俺が引き受けた」

 俺はそれだけ言うと、青年に背を向けた。


「――あとは、俺に任せろ」