この世界で俺だけが【レベルアップ】を知っている


「…………あァン? なんだァ……さっきから、うるせェな……」


 謁見の間を思わせる広間の奥に、人骨の山が築かれていた。
 その上にどっかりと腰かけているのは――銀色の毛並みをした二足歩行の狼。
 その額には“46”を示すレベル刻印。

 ――人狼(ワーウルフ)

 まさにこいつこそが、この城の主だ。
 人狼は、俺をぎろりと睨みつける。

「オレの食事中に……なんだァ、てめェは?」

「人間だ」

 俺は短く答えて、剣をかまえた。
 しかし、人狼は完全に油断しきっているのか食事の手を止めない。

「人間……? なんだ、どっかから逃げてきたのかァ? ったく、コボルトどもはなにをしてやがる……家畜(にんげん)の屠殺もろくにできねェなんて、これだから低レベルはよォ」

 人狼は手にしていた人間の腕を丸呑みにすると、ばりばりと苛立たしげに噛み砕いた。
 それから、人骨の山から飛び降りる。

「まァいい……ちょうど、こんだけじゃ足りねェと思ってたところだ。わざわざ自分から食われに来てくれるなんて、近ごろの食い物はいいサービスしてんなァ」

 人狼が舌なめずりをしながら、ゆっくりと俺に歩み寄ってくる。
 その顔に浮かんでいるのは底意地の悪い笑みだ。
 人狼は人間を好んで食べる魔物の筆頭――それも、とくに人間をいたぶって狩ることを好むことで知られている。

「……おィおィおィ、美味そうな人間だなァ。オレは噛みごたえのあるオスの肉が大好物なんだよ」

 人狼が脅すように、こちらに凄みをきかせた顔を近づけてきた。
 べっとりとした生温かい吐息が、顔にまとわりつく。
 鼻をつくような血と腐肉の臭いに、俺は思わず顔をしかめた。

(不愉快だから、さっさと殺すか……)

 そう思ったところで。

『ねぇ、そこのもふもふ』

 興味なさそうに黙っていたフィーコが、なんか会話に参戦した。
 人狼はそこで初めて、フィーコの存在に気づいたらしい。

「……あァ? 下級霊(ゴースト)がなんでこんなとこに? 仕事の話ならコボルトを通せって……」

『下級霊なんかと一緒にしないでほしいわ。それより……そこにいる人間はわたしの獲物よ。あなたの臭い息を吹きかけないでくれるかしら』

「あァン? 誰に向かって、その口を聞いてやがる? オレは爵位持ちのガルドだぞ? ザコは引っ込んでやがれ」

『……ザコ? あなた、今……この誇り高きわたしに向かって、ザコと言ったの?』

 フィーコのまとう雰囲気が一変した。
 その目からどろりと光が抜け落ち、底のない穴のような眼窩が、人狼をじっと見つめる。

『ねぇ、あなた……誰に向かってその口を聞いてるのかしら?』

「……ッ!?」

 人狼がびくっと後ずさる。

「な……なんだァ、てめェ? どこのもんだ……? まさか、この人間の味方か……?」

『敵よ』

「……そ、そりゃそうだよなァ。人間と魔物は食うか食われるかの関係でしかねェ。だったらよォ、獲物は狩ったもん勝ちでいいだろうが」

『ふんっ……ま、やってみればいいわ。やれるものなら……ね』

 フィーコの冷たい笑みを浮かべて、こちらに目配せしてきた。

 ――やっちゃいなさい。

 その瞳はそう語っていた。
 たぶん、“ザコ”って言われて内心かなりキレているんだろう。
 俺は肩をすくめてみせてから、人狼に話しかける。

「おい、人狼……1つ、聞いてもいいか?」

「なんだァ、人間がァ? 命乞いでもするかァ?」

「お前は今日、どれだけ人間を食った?」

「あァン? 1匹まるまる食ったが……それがどうかしたかァ?」

「そうか、わかった」

 聞きたいことは聞けた。
 なら、あとは――狩るだけだ。
 俺はしばし目をつぶったあと、ふたたび人狼に向き直る。


「なぁ……ひとつ、ゲームをしないか?」


「あァン? ゲームだァ?」

「ただ狩って終わりじゃ、お前もつまらないだろ? もちろん……負けるのが怖いなら乗らなくてもいいけどな」

「……はッ!」

 人狼が大きく鼻を鳴らす。

「べつに乗ってやってもいいぜェ? どうせ、なにをしたところで、レベル1の人間がレベル46の人狼(オレ)に勝てるわきゃねェからなァ。それに知ってるかァ? 人間の肉ってのは、絶望させればさせるほど美味くなるんだよ」

「……チョロいな」

「あァン? なんか言ったかァ?」

「べつになにも」

 まぁ、獣系の魔物は、“どっちが上か?”をかなり気にするからな。
 ちょっと挑発すれば、脊髄反射で乗ってくるのは目に見えていたが。

「でよォ、ゲームって、なにすんだ?」

「まぁ、ルールはびっくりするほど簡単だ」

 俺は両手に持った2つの剣を、人狼の眼前に掲げた。

「まず……この2つの剣のうち、片方を上に放り投げる」

 言いながら、俺は実演するように剣を真上に投げた。
 くるくると刃光の軌跡を描きながら、宙に舞う剣。
 それを人狼が目で追い――。




 ――――すぱんっ。




 と、俺はその首を剣ではねた。


「――そして、もう片方の剣で、俺がお前を狩る。以上だ」


「…………ぇ……は……?」

 一瞬遅れて、人狼の首から血が噴き上がった。
 その勢いに押されたかのように、首がぼとりと地面に落ちる。
 その首を見下ろしながら、俺はにやりと笑ってみせた。


「――ほらな、簡単だっただろう?」


 ……人狼のガルドの生涯は、これまで順調の一言だった。
 レベル46という高レベルの魔物として生まれ、生まれながらにして爵位が与えられることが決まっていた。
 戦闘力も、知力も、人間狩りのうまさも、周りの魔物より頭ひとつ抜けていた。

 出世間違いなしだと言われ、若くして城の管理を任された。
 ガルドの将来は輝かしいものになるはずだった。
 そのはずだった、のに――。

「…………な、なに……が……?」

 わけが、わからなかった。
 気づけば、視界がごろんと転がっていた。
 首を失った自分の胴体を見て、ようやく首をはねられたのだと気づいた。

(なんだ、これは……? なんだ、この状況は……?)

 ありえない。
 人間ごときが、この人狼の首をはねたとでも言うのか……?

『あー、ずるいんだぁ』

 と、混乱しているガルドの耳に、下級霊の女の声が聞こえてきた。
 なにやら、人間と話しているらしい。

「はっ……こいつも言ってただろ? この世は狩ったもん勝ちだってな」

『まったく、美しくないわね。みんな、戦いの美学というものはないのかしら』

「ない」

『まぁ、でも……面白いぐらい綺麗に引っかかったわね』

「獣系の魔物は素早く動くものを目で追う習性があるし、上を向いたときに鼻っ面が邪魔で前方が死角になるからな。もっとも……油断してなければ、こんな手には引っかからなかっただろうが」

『つまり、このもふもふがザコだったってことね』

 もはや下級霊と人間は、ガルドなどいないかのように会話をしていた。

(……気に、食わねェ……ちょっと不意打ちで攻撃を当てたからって、いい気になりやがって……)

 まだ戦いは終わってないのだ。
 人狼の生命力と再生能力をもってすれば、首をはねられたぐらいで死ぬことはない。たとえ、首だけになっても相手に食らいつくのが人狼だ。
 まだ、ガルドは戦える。

「……てめェら……なに、勝った気になってんだァ……」

 ガルドが人間を睨みつけると、「ほぅ……」と感心したような目で見られた。

「まだしゃべれるのか。人狼の執念深さには恐れ入る」

「……はッ、なめてんじゃねェよ」

 ガルドは鼻で笑う。

「なァ……知ってるかァ? 人狼の天恵(ギフト)は、月光を魔力に変える力だァ。だけどよォ……それは昼間なら楽に倒せるって意味じゃあねェ。月はなァ……昼でも光ってんだよ……ッ!」

 ――再生能力。
 それこそが、人狼の最大の特徴だ。

 同じレベルの魔物と比べて、けっして力が強いわけじゃない。
 しかし人狼は、魔力があるかぎり肉体を再生することができる。それも月の光を浴びていれば――ほとんど不死身と言ってもいいほどの再生能力を誇る。

 無限に回復する肉体。尽きないスタミナ。
 首だけになっても敵に食らいついて離さない執念深さ。
 たとえレベルが少し上の相手と戦おうが、いつも最後に立っているのはガルドだった。

「月光の下にいるかぎり、俺は……無敵だ――ッ!」

 ガルドは下顎で地面を蹴って、人間に向かって飛びかかった。
 まさか、首だけで攻撃してくるとは思わないはず。反応すらできないはず。
 ガルドはがばっと大口を開けて、人間の首へと食らいつこうとし――。

 ――ごすっ。

 と、ガルドの目に剣が突き立てられた。

「…………ぁ……?」

 眼球と骨を突き破られ、頭蓋の内部にまで冷ややかな異物感が侵入してくる。
 剣を手にしているのは――人間だ。
 当然のようにガルドの攻撃は対処された。

「なぁ、知ってるか?」

 人間が冷たい声音で言う。

「人狼は――殺せば、死ぬんだ」

 その声色からは、戦闘の興奮などは微塵も感じられない。
 手順通りに淡々と処理されているような感覚さえ抱く。
 その人間の目は、まさに魔物が人間を屠殺するときと同じで……。

 …………怖い。

 生まれて初めて、敵に恐怖を覚えた。
 自分が食う側ではなく、食われる側だったのだと、このとき初めて認識した。
 今から、この人間に――喰われる。
 そのイメージが鮮明に脳裏に浮かび上がり――。

「――な、なめるなァッ!!」

 ガルドが咆哮する。
 脳裏のイメージを弱気もろとも吹き飛ばすように叫び続ける。

「……たかが人間がァッ! 食い物のくせに、調子に乗んじゃねェッ! オレはなァ、強いんだッ! 爵位持ちなんだッ! 本当は、もっとッ……人間なんて、足元にも及ばないぐらい……強い、んだよッ!」

 自分がこんなところでやられていいはずがない。
 これから輝かしい出世の未来が待っているというのに……。
 爵位持ちである自分が、家畜(にんげん)なんかに負けていいはずがない。

「俺はレベル46の人狼だッ! レベル1の人間なんかに負けるわけがねェだろうがァッ!」

「ああ、そういえば言ってなかったが……」

 と、人間が思い出したように呟いた。

「俺のほうがレベルは上だぞ?」

「…………あァ?」

 ふと、人間の手の甲が見えた。
 青白く輝いているレベル刻印。
 それが示しているレベルは――“58”。

「…………え…………な、なん……で……?」

 混乱する。言葉が出てこない。
 意味がわからない。理解ができない。

「さて、遺言はもう終わりだな?」

 人間がガルドに刺している剣の鉄鍔に親指をかけた。

「……ッ」

 嫌な予感がした。獣の本能が警鐘を鳴らした。
 このままでは――死ぬ。

「ま、待……ッ!」

 しかし、ガルドの言葉を待たずして。
 人間の手の中で、青白い雷光が弾けた。


「――雷手(ヴォルテ)


「――よし、レベルアップしたな」

 人狼を始末したあと。
 人狼の額にあるレベル刻印から光が浮き上がり、俺の手の甲へと吸い込まれた。
 俺のレベル刻印が58から59へと、かちりと変化する。
 レベルアップの証だ。

『えー、たった1だけしか上がらないの?』

「人狼とはレベル差もあったし、こんなもんだろ」

 レベルは高くなればなるほど上がりにくくなるし、1だけでも上がったなら御の字だ。
 そもそも、この人狼の城に来たメインの目的は、レベルアップじゃなくて物資調達だしな。

『とはいえ、魔物ならもうすぐ侯爵級になれるレベルだわ。まさか、人間がそんなレベルになるとはね』

「まあ、まだまだこれからだけどな。俺が目指しているのは、“そこそこ強くなること”じゃなくて、最速で最強へと至り――“王”を倒すことだ」

『ふふ……そうこなくっちゃ』

「できれば、レベル70まではすぐに上げたいな」

 レベル70になれば世界が変わる。
 魔力量的に、超級魔法を実戦レベルで使えるようになるからだ。
 今のレベルでは上級魔法を連発できても、超級魔法は発動すら厳しいからな。
 いずれフィーコレベルの追っ手と衝突したとき、上級魔法のみでは対処が難しいだろう。

『うーん、それにしても……』

 ふと、フィーコが小首をかしげた。

『さっきの質問って、なんの意味があったの?』

「質問?」

『ほら、人間をどれだけ食べてたか聞いてたでしょう?』

「ああ」

 そこまで言われて思い至る。
 さっき、人狼の首をはねる前のやり取りのことか。

『もしかして……同族を食べられて怒ったのかしら? ねぇ、悔しかった? 同族を食べられて悔しかった?』

 フィーコが意地悪くにまにまと笑う。
 こいつがそういう笑い方をするのは、俺を小馬鹿にするときだ。
 とはいえ……見当違いだな。

「そういうわけじゃない」

 この程度の悲劇なんて、どこにでも転がっている。
 仲良くなった者ですら何人も食われてきたのだ。今さら見ず知らずの相手が食われて悲しめるほど、俺は優しい人間ではない。

「俺がその質問をしたのは、長期戦になったときの対策のためだ」

『ふぇ?』

「再生能力持ちには、胃袋が立派な急所になるからな。とくに腹を満たしている場合は……剣を刺すと胃袋が破裂して、体内にその中身をまき散らすことができる。それが内臓にかかれば地獄のような痛みを味わい、まともに身動きできなくなり――そのうちショック死する。たとえ体を再生させたところで、体内にぶちまけられた胃の中身はどうにもならない。腹を切り開いて、中を丸洗いでもしないかぎりはな。だからこそ……」

『あ、うん……もういいわ。ストップ』

 フィーコに話を遮られた。
 なぜか顔を青くしながら、お腹を押さえている。

『……いつかまた、あなたと戦うときは……お腹をすかせておくことにするわ』

「好きにしろ」

 俺はそう言ってから。

「……それはそうと、だ」

 ひゅん――っ! と、背後から飛来してきた矢をキャッチする。
 ふり返ると、部屋の入り口にコボルトたちが陣取っていた。

 俺が人狼と戦っている間に、ここまで追いついてきたらしい。
 リーダーの人狼を倒されたことで混乱もあるようだが、戦意は失っていないようだ。

 縄張り意識が強いのか、数がいれば勝てるとでも思ったのか。
 それとも……しょせん人間だと甘く見ているのか
 なんにせよ、俺がやることに変わりはない。

「どこぞの不死鳥といい……わざわざ喰われに来てくれるなんて、近ごろの魔物(くいもの)はいいサービスしてるんだな」

 どうせ、あとで狩り尽くすつもりだったが、こちらから出向く手間が省けた。
 人狼戦の直後とはいえ、魔力も体力も充分に残してある。
 俺は剣をかまえて舌なめずりをした。

「それじゃあ、お待ちかねの……レベル上げの時間だ」



   ◇



 俺は城内を駆けめぐって、コボルトの集団をばっさばっさと斬り捨てていた。
 とはいえ、それほど爽快感のある絵面でもなく……。

「…………ちょこまかと、逃げるな……ッ!」

 コボルト殲滅戦はわりと泥仕合みたいになっていた
 なにせ、敵の数が多すぎるのだ。
 最初は数十匹ぐらいかとたかをくくっていたが、その予想の10倍はいた。

 しかも、コボルトは賢いというかずる賢いというか……弓を使ってひたすら遠距離からヒット&アウェイ戦法を取ってきたり、城のあちこちに罠を仕掛けてきたりと、やたらと面倒臭い戦い方をしてくる。

 そのうえ、体が小さいせいで的も小さく、攻撃も当てづらい。
 温存していたはずの体力や魔力も、戦いが長引くにつれて消耗が激しくなってきた。

 前世でもコボルトの群れと戦ったことは何度もあるが……。
 だいたい巣穴に煙を流し込んで、(いぶ)り出した相手をまとめて叩くだけだったからな。
 まともに巣穴の中に突っ込むとこれだけ面倒な相手なのかと、今さらながらに思い知らされた。
 なんなら人狼よりも、よっぽどやっかいな相手だ。

「くそっ……粘着(ディーバ)!」

 やけくそ気味に魔力を惜しみなく使って、水属性の付与魔法を発動する。
 城全体の床や壁に粘着力が付与され、逃げようとしていたコボルトたちの足がぴたりと止まった。まさにコボルトほいほいと言ったところか。
 床から足を剥がそうともがいているコボルトたちを斬り捨て、俺はその場で膝に手をつく。

「……これで、終わり……か?」

 “魔力色覚(ライラ)”を使って残党の気配を探ってみるが。
 とりあえず、反応は――なし。

 どこかに討ち漏らしがいるかもしれないけど、少なくとも近くにコボルトはいないだろう。
 俺はようやく安堵の息を吐いて、自身にかけていた強化魔法を解除した。

「…………疲れた」

 ぐったりと壁にもたれかかる。
 そんな俺とは対照的に、フィーコはつやつやとした顔をして笑っていた。

『まったく……人間は軟弱ね。たかがコボルト相手にこんなに疲れるなんて。いったい、なんでそんなに疲れてるのかしら?』

「くそっ、こいつ……人が必死に戦ってるのに、全力で邪魔しにきやがって……」

 フィーコは途中から退屈しだしたのか、なんか裏切ってコボルト側に回っていた。
 というか、いつの間にかコボルトたちのリーダーポジションになってたな、こいつ……。

 コボルトたちに俺の居場所を教えたり、俺が仕掛けた罠の位置を教えたり、目の前をふよふよ漂って視界をふさいできたりと、霊体でもできる範囲であらゆる妨害をし……。
 なんかもう、途中から“俺vsフィーコ”みたいな構図になっていた。

『だって、あなたの苦痛に歪む顔が見たかったんだもの。どうせ、あなたならちょっと邪魔しても勝てるし、それなら楽しまないと損でしょう?』

「こいつ……絶対に、あとで泣かす」

『やれるものならやってみなさい』

 フィーコが、べーっと舌を出す。
 まぁ、とはいえ……こいつの邪魔がなかったところで、ここまでコボルトの数が多いと消耗戦にはなっただろうけどな。

 ただ、それだけ苦労したかいもあり、コボルトを狩り尽くすころにはレベルが1上がってくれていたが。
 これでレベルは60だ。


 そんなこんなで、とくに見どころのないコボルト戦が終わったあと。
 俺は物資調達のために、城壁内にある倉庫へと向かった。

 そんなこんなで、とくに見どころのないコボルト戦が終わったあと。
 俺は物資調達のために、城壁内にある倉庫へと向かった。

 というか、物資の調達こそがここに来た目的だったからな。
 案内用の看板があるわけでもないので少し道に迷ったが、だいたい荷車のわだちをたどっていったら倉庫の群れが見つかった。
 とりあえず、倉庫の内のひとつに入ってみると。

「おお……」

 どうやら武具の倉庫だったらしい。
 倉庫内には、多種多様な武具が並んでいた。おそらく魔物によって体の作りが違うためだろう、同じ種類の武器や防具でもさまざまな大きさや形のものがある。
 少し探せば、人間が使えるサイズのものもたくさんあった。

「これは……魔剣か?」

 ふと、目についた剣のひとつを手に取ってみた。
 剣身にはうっすらと青白く発光している魔術紋様が刻まれている。
 たいした魔力が込められているわけではないが、なかなかに質はよさそうだ。

『それは不朽の魔剣ね。魔物の間でよく使われてるやつよ。保護魔術をかけてあるから、手入れなしでも切れ味が落ちにくいらしいわ』

「へぇ、それはいいな」

 本来、剣のような磨かれた刃はすぐに錆びる。
 ちょっと雨に濡れただけでも、放っておけば、その日のうちに錆び始めているぐらいだ。

 だからこそ、頻繁に刀油を塗り替えたり研ぎ直したりと手入れしなければならないが……今の環境だとそうはいってられない。
 互助組合(ギルド)があった時代とは違い、定期的に拠点に戻れる環境ではないのだ。

「とりあえず、この剣を4つもらっていこう」

『4つも?』

「剣は消耗品だ。どうせ魔物と戦えばすぐに折れるし、敵の体に刺しっぱなしにすることも多いからな」

 強敵との接近戦になったときに、剣をいちいち抜いている余裕はないのだ。
 刺さった剣を抜くのはけっこう大変だし、魔物は急所を刺しても平気で反撃してくるやつが多いからな。
 素人冒険者が剣1本だけ持って狩りに出たあげくに、剣を抜くのに手間取って殺されるのはよくある話だった。

「ふむ……」

 いくつか試しに剣を握って、軽く素振りしてみる。

『なにか違うの? どれも同じ剣じゃない』

「いや、剣を見るうえで重要なのは持ち手部分だ」

『持ち手?』

「剣の扱いやすさに直結するのが持ち手だ。いくら剣身がよくても、握りにくければそれだけで剣の威力も技の冴えも格段に落ちる」

 剣身はよほど粗悪なものじゃないかぎりは、“物質強化(ミ・ベルク)”の魔法で強靭化すれば使うことができるが。
 しかし、持ち手部分はそうもいかない。

 とくに柄が握りにくいのは致命的だ。
 戦闘中は血や汗で手が滑りやすいので、うまく握れないと剣がすっぽ抜けてしまうことが多い。

 それに粗悪な剣の柄は、戦闘の衝撃ですぐに壊れてしまう。
 いくら剣身がよくても、柄が壊れてしまえば、ほとんど使い物にならなくなる。
 ……と、そんなことをフィーコに語ったのだが。

『これっぽっちも興味ないわ。わたし、武器なんて軟弱なものは使わないもの』

 退屈そうなあくびで一蹴された。

『それより、食べ物を見に行きましょう? 人肉の瓶詰めとかあればいいんだけど……』

「それを俺の体で食うつもりか」

『冗談よ。わたしはグルメなの。若くて綺麗で新鮮なメスの肉しか食べないわ』

「でも、俺のことは食おうとしてただろ」

『あれは……あなたから美味しそうな匂いがしたから、つい……』

 俺に顔を寄せて、すんすんと鼻を鳴らす。

『うーん……前より美味しそうな匂いになってるわね。レベルが高いほうが肉質もいいのかしら? もっとレベルが上がったあなたを食べるのが楽しみだわ』

「言ってろ」

 ともかく、装備を整え終わる。
 剣は左右に2振りずつ腰にさげ、他にもナイフをいくつかもらっておく。

 食料や道具類もそろえ、最後に荷物袋や装備の隙間に、防音や擦れ防止のための布切れをつめれば準備完了だ。
 補給がほとんどできない環境のため荷物は多めだが、レベルが上がったおかげで、これぐらいの重量なら難なく運ぶことができる。

「よし、一気に戦力アップだ。お前の情報のおかげだな」

『……ふぇっ!?』

 なんか、びっくりされた。

『な、ななな、なによ、突然。そ、そんなこと言っても、わたしたちは敵同士なんだからね! 勘違いしないでよね!』

「…………」

 誇り高き不死鳥、チョロかった。
 そんなことより、これで物資も手に入ったな。
 これでようやく、まともに冒険をすることができる。

「それじゃあ、行くとするか」

 こうして、俺は人狼の城を後にしたのだった。
 人狼の城を出発してから3日後。
 俺は森の中で、魔猪(ランスボア)と対峙していた。

 魔猪の口元にぶら下がっているのは、食べかけの人間の腕。
 おそらくは近くの村にでも入って、人間をつまみ食いしてきたんだろう。
 食事の邪魔をしたせいか、ふしゅるるる……と魔猪はでかい鼻を不機嫌そうに震わせ――。

『来るわよ』

「……ああ」

 突撃槍(ランス)を思わせる巨大な牙が、高速回転しながら迫ってくる。
 魔猪が牙を振り回すたびに、樹齢うん百年はありそうな大木が軽々とちぎれ飛ぶ。障害物などこいつの前では、ただこちらの視界を遮るだけのものでしかないようだ。
 俺は魔猪の突進を避けながら、近くで退屈そうにふよふよしていたフィーコをちらりと見た。

「フィーコ、こいつの天恵(ギフト)はわかるか?」

『知らないわよ、こんな野良の魔物の天恵(ギフト)なんて。どうせ、牙がぎゅいーんって回る天恵とかじゃないの?』

「まあ、だろうな」

 魔猪の額を見ると、そこに刻まれているレベルは14。
 野良にしてはそれなりのレベルだが……同じくレベルが10台のオーガが“筋肉量を操作させる天恵”であったことからも、たいした天恵ではないと予想はつく。

「とりあえず、やっかいな天恵でもないなら話は簡単だな」

 俺はこちらを睨んでくる魔猪と向き直った。
 ふたたび突進しようとしてか、牙がまた高速回転を始める。

「俺を食うつもりか? 残念だが……」

 手にした剣に、風の魔力をからみつかせる。

「――俺が、お前を喰うんだ」

 森をえぐり飛ばしながら突進してくる魔猪。
 俺はその突進と真っ向から対峙し――剣を振り下ろした。

「――風王剣(フゥゼ・ハルテ)

 剣が、虚空を斬る――。
 その刹那、剣身にからみついていた風が、鋭い衝撃波となって放たれた。
 それは、まさに飛び翔る剣撃。
 ひゅん――ッ! と、風はうなり声を上げながら魔猪へと迫り、その巨体の中心を……通過した。

 魔猪の突進は止まらない。
 だが、俺に衝突する寸前……。
 その巨体はまるで俺を避けようとするように、左右に真っ二つに分かれ――ずしんっ! と、ふたつの肉塊が地面を転がり、衝撃で木々がざわざわと震えだす。

 そして……静寂。


「――討伐完了だ」


 しばらくして、魔猪の額のレベル刻印から光が浮き上がり、俺の手の甲へと吸い込まれた。
 かちり、と手の甲に刻まれた紋章が変化する。

「……これで、ようやくレベル61か」

 3日ぶりのレベルアップだ。
 さすがに、そろそろ上がりにくくなってきたか。

 人狼の城を出た時点でのレベルは60。
 そこから3日間、それなりに野良の魔物を倒したのに、レベルは1しか上がっていない。
 いや、前世でのペースを考えれば充分に早いのだが。

『そんなことより……それが、今日のランチかしら?』

「ん? ああ、そろそろ人狼の城で補給した食料も減ってきたしな」

 魔猪を狩ったのは、文字通り、食べるためでもある。
 俺はさっそく魔猪の足を切り落とし、肉を剥ぎ取った。
 巨体だから足だけでも充分な量だ。
 それから、鍋に“水塊(ミルズ)”の魔法で水を張り、“手火(フェオ)”の魔法で熱した石を適時入れ、湯気があまり出ない程度に湯を沸かす。これなら焚き火をするというリスクをおかさずに温かいものを食べられる。

 最後に、魔猪の骨と肉とハーブをぼとぼとと鍋に投入して、岩塩で味を整えつつ煮ていけば――。

「――完成だ」

 本日の献立に名前をつけるなら、『魔猪のスープ~冒険者風~』といったところか。
 冒険中に食べるものといえば、だいたいこんな感じのものだ。

「ああ……懐かしい味だ」

 前世では食い飽きていたが、久しぶりに食べてみるとやたら美味く感じる。前世でも現世でも家族の記憶がない俺にとっては、これこそが故郷の味みたいなものだ。

「……はぐ……はぐ……ッ」

 作法など無視して、豪快に肉をむさぼり、骨の髄をすする。
 その様子を、いつものことながらフィーコが指をくわえて眺めていた。

『ふ、ふん……野蛮な料理ね』

「とか言いながら、どうせ食べたいんだろ」

 肉の塊をスプーンですくって、ほいほいと目の前で揺らしてやると。

『あっ……あっ……』

 と、猫のようにつられる誇り高き不死鳥。

『……って、霊体だと食べられないじゃない!』

 誇り高き不死鳥、学習能力がなかった。
 そんなこんなで、なごやかな食事が続き……。

「それにしても……快適、だな」

『なによ、いきなり?』

「いや、なんとなく……そう思ってな」

 そう、ここ3日間の道中は、まさに快適の一言だった。
 人狼の城では派手に暴れたが、まだ追っ手には見つかっていない。
 たまにフィーコに街道のほうを調べさせているが、どうやら追っ手らしき魔物たちは、俺がいたオーガの町の方面へと向かっているとのことだった。まさか、魔物の支配から脱した人間が、一直線に魔界へと向かっているとは思っていないのだろう。

 だからこそ、快適な旅となっていたが……。
 しかし、俺の冒険は“快適”ではいけないのだ。

「で、だ……」

 俺はスープの椀をいったん置いてから切り出した。

「そろそろ、まともにレベル上げがしたい」

 前世でのレベルアップのペースを考えれば、それでも充分に早いが。
 しかし、“充分に早い”では――まだ遅い。
 城を1つ潰した時点で、追っ手に見つかるのは時間の問題だ。
 フィーコぐらいの魔物に見つかる前に、どれだけレベルを上げられるかが勝負となってくるが。

「……やっぱり、これぐらいのレベルになってくると上がりにくくなるな。野良のザコをいくら倒してもダメだ」

『ま、野良の魔物は、強くてもレベル20ぐらいだものね。それ以上のレベルの魔物はだいたい知性があるし、みんな爵位を与えられて領地管理をしてるんじゃないかしら』

 爵位というのは魔物の階級だと、フィーコから説明を受けたことがある。
 目安としては、レベル20台で騎士爵、レベル30台で男爵、レベル40台で子爵、レベル50台で伯爵、レベル60台で侯爵、レベル70台で公爵……といったところらしい。
 爵位持ちの魔物は、軍事拠点や領地の管理にあたっており、野生でうろうろしていたりはしないとのこと。

「なら、強い魔物を倒したいと思ったら……どこかの町に入って、爵位持ちの魔物と戦わないとダメってことか」

『まあ、そうね』

 となれば、次にすべきことは――都市の襲撃か。

「強い魔物を倒したいと思ったら……どこかの町に入って、爵位持ちの魔物と戦わないとダメってことか」

 となれば、次にすべきことは――都市の襲撃か。

『ま、そうね』

「……なかなか面倒な時代になったな」

 レベルを上げなければならないが、そのためには都市や軍事拠点を襲わなければならない。
 だが、そうすれば当然、目立ってしまう。

「そうだ、お前がそこらの魔物に憑依して、【輪廻炎生】の力で復活しまくれば……」

『却下』

「ダメか?」

『ダメ。痛いし』

「痛くしないなら?」

『いや、そもそも、そんなぽんぽん憑依なんてできないわ。べつにわたしは憑依が専門ってわけじゃないもの。相手がわたしの憑依を嫌がれば体から追い出されちゃうみたいだし、高レベルの魔物だと憑依にも耐性がありそうだし』

「そんなうまい話はない、か」

 どのみち、不死系の魔物は、倒すたびにレベルも上がりにくくなっていくからな。
 先ほどの案を実行するにしても、それなりに強い魔物と戦いたいところだが……。

「で、この辺りに強い魔物はいるか?」

『えっ、教えてほしいの? ねぇ、教えてほしい?の』

 ……たいてい、ただでは教えてくれないんだよな。
 この不死鳥、性格悪いし。
 少しでも頼ろうとすると、すぐ弱みにつけ込もうとしてくる。

「……今回の代価はなんだ?」

『うーん、そうね……あなたの指1本食べさせてくれたら考えなくもないわ?』

「そんなに俺を食べたいのか」

『ふふふ……そろそろいい感じに肉もついてきたし、味見したいと思って……』

「おい、よだれ垂らすな」

 霊体のくせに匂いをかいだり、よだれ垂らしたり、なんでもありすぎるだろ。

『指が嫌なら、わたしを満足させるものを貢ぎなさい』

 そして、霊体のくせに無駄にわがままだ。
 思わず、溜息が出る。

「それじゃあ……猪の骨髄でどうだ?」

『骨髄?』

 鍋に突っ込んでいた出汁用の骨をひとつ取り出し、ナイフで縦に割った。
 中につまった(にく)はまだ溶けきっておらず、ぷるぷるの肉といった感じだった。軽く塩をふって“手火(フェオ)”の魔法で表面を炙ってやると、次から次へと肉汁がとめどなくあふれ出てくる。

「骨髄はスープの出汁として食べたことはあるだろうが……そのまま焼いて食べたことはあるか?」

『そ、そんな野蛮なもの、食べたことあるわけないでしょう?』

「まぁ、骨髄といってもぷるぷるの肉みたいなものだ。濃厚な脂がたっぷりで口の中でとろけるぞ。パンにつけてもなかなかいける」

『……魔界七公爵であるこのフィフィ様の力を借りるのよ? わたしが骨なんかで釣れるほど、安い魔物に見えるのかしら?』

「なら、いらないんだな」

『そ、そんなことは言ってないじゃない! もう仕方ないわね! 今回だけよ!』

 誇り高き不死鳥、安い魔物だった。
 いや……なんでこいつって、意味もなくいったん否定から入るんだろうな。

 まぁ、骨髄なんていくらでも手に入るし、いくらでもくれてやるが。
 冒険していれば、どうせ嫌ってほど食べることになるし。
 どこでも簡単に手に入って、栄養豊富で、保存が効くからな。

「で、情報は?」

『ちょっと空飛んで見てくるわ』

「この辺りの地理は知らないのか?」

『知ってた気がするけど忘れたわ』

「……インコ頭」

『ほ、他の魔物の領地なんて、わざわざ全部覚えてるわけないでしょう? どうせ空を飛べば、どこになにがあるかなんてわかるんだから』

 そう言って、フィーコは両手を広げてぱたぱたさせながら飛んでいった。
 それから、俺がスープをあらかた食べ終わったころ、地上に戻ってくる。

『あー! スープ、もうほとんど残ってないじゃない!』

「お前が遅いのが悪い。で、情報は?」

『……遠くに大きな“養殖場”があったわ。人間の足で2~3日の距離かしら』

「養殖場……というと、魔物が人間を食うために育ててる町か」

 俺がいたオーガの町みたいなところだろう。
 前にフィーコから聞いた話では、今では人間の町のほとんどが、そういう“養殖場”とのことだった。それ以外の町でも、人間が魔物に支配されて税や生贄を捧げてはいるらしいが。

「大きな町ってことは、そこを管理してる魔物もそれなりのレベルだと考えていいのか?」

『そうね。町の大きさは領土の大きさみたいなものだし。町が大きくなるにつれて管理する魔物もたくさん必要になってくるから、そうなるとまとめ役になる高レベルの魔物がいるはずだわ』

「なるほど……まぁ、とりあえず、その町に行ってみるか」

 そんなこんなで、次の目的地が決まったのだった。

 それから3日間、川沿いに森を進んでいき。
 やがて、海辺に出たところで、その都市は見えてきた。

「……でかいとは聞いてたが」

『近づいてみると、予想以上にでかいわね……』

 前世基準で言うと、小国の都ぐらいのサイズはあるかもしれない。
 そんな規模の都市が、背の高い鉄柵の中にすっぽりと収まっていた。

「ここは城壁じゃなくて柵なのか。これじゃあ、わりと簡単に登れそうだな」

 柵が内側に反っているため登りにくいかもしれないが、人間を閉じ込めるにしては心もとない。なんなら、頑張ればこの柵を壊すこともできそうだ。

「なんか檻としての機能よりも、デザイン面を重視して作られてるって感じだな」

『ま、こういうところ、管理者(かいぬし)の趣味が出るわよね』

「趣味で決まるのかよ」

『人間をちゃんと管理できるなら、あとはなんでもいいってことよ』

「けっこう適当だな」

『その分、人間を脱走させたりしたら罰も厳しいって言うけど』

「へぇ。それじゃあ、ここの管理者とやらは、ずいぶん管理に自信があるってことか」

『わたしの名推理によると……たぶん、ここを管理してるのは鳥系の魔物ね。なんか柵が鳥かごっぽいし』

「そうか?」

 だが、言われてみれば鳥かごを模している、と言えなくもない気がしてくる。
 上部が内側に反っているのが、とくに鳥かごっぽさを演出しているというか。

「でも、鳥かごっぽいと、なんで鳥系の魔物だってわかるんだ?」

『鳥系の魔物にとっては鳥かごは支配の象徴なのよ。ソースは、わたし』

「そういえば、お前も炎で鳥かごを作ってたな」

『ふふ、なかなか出来がよかったでしょう? ……仕事が退屈すぎて、数百年ぐらい炎でインテリアとか作ってたから……』

「働けよ」

 というか、鳥系の魔物がいるってわかってたなら、もっと早く言ってほしかった。
 魔物は夜行性が多いからあえて昼に接近したのに、鳥系の魔物はほとんどが昼行性だ。これでは意味がない。

 とはいえ、フィーコとは完全な協力関係でもないから、そんなにサービス精神を求めることはできないが。
 それはそうと。

「……しかし、監視がここまでないと逆に気味悪いな」

 辺りを見るが、やっぱり監視の魔物はいない。
 俺がいた町は、オーガに四六時中監視されていたから、なんだか違和感がすごい。
 こんな柵なんて、レベル1の人間でもよじ登れると思うのだが。

『よっぽど人間の管理に自信があるんでしょうね』

「まぁ、ここで考えていても仕方がないか――風王脚(フゥゼ・デルタ)

 風属性の上級付与魔法で、足に魔法の風をまとわせて飛び上がった。
 宙を蹴ってさらに高くへ飛び、柵を越える。
 最後に軽く宙を蹴って、着地の衝撃と音を消せば……。

「はい、侵入成功……と」

『あっさり入れたわね。一悶着あったら面白かったのに……つまんないわ』

「いや、あまりにもあっさりすぎる気もするが……」

 監視がないにしても、侵入すればどこかから魔物が飛んでくることも考えていたが……そういう気配もない。

「……こんなの入りたい放題じゃないか」

『ま、わざわざ侵入したがるのなんて、あなたぐらいでしょ。せっかく養殖場から脱出した人間がわざわざ別の養殖場に入ってくるなんて、さすがに誰も想定してないわ』

「でも、ここまで簡単に出入りできると、オーガの町から脱出するのに苦労したのがアホらしくなってくるな……」

 それはそうと。

「とりあえず、魔物を探すか」

 この町に入った理由は、ただ1つ。
 魔物を狩ってレベルを上げるためだ。
 フィーコレベルの追っ手と衝突するのも時間の問題だろうし、早いうちに超級魔法が使えるようになるレベル70まで上げたいところだ。

「まずは、そこらの人間に聞き込みでもするか」

『そうね』

 そんなこんなで、俺は町の通りへと出ていき――。


「…………は?」


 思わず、足を止めた。
 俺の目に入ってきたのは――美しい町だった。

 清潔で、綺麗で、色彩も豊か。
 町ゆく人たちの服装も、ちゃんと洗練されている印象がある。

「外から見て、綺麗な町だなとは思っていたが……ここまでだとはな」

『……ほ、本当に、ここの人間は家畜化されてるのかしら?』

 魔物であるフィーコでさえも戸惑う光景らしい。
 ここにいる人間は家畜というには、あまりにも豊かな暮らしをしているように見える。
 むしろ、魔物の支配下にないはずの俺の格好のほうが、みすぼらしくて浮いているほどだ。

 しかし、なぜだろうか。どこか……嘘っぽい。
 その違和感の正体はすぐにわかった。


「……」「…………」「……」「………………」「…………」「……」「………………」「……」「…………」「………………」「……」「……」「…………」「……」「…………」「………………………………」「……」「………………」「……」「……………………』「…………」「……」「……………………」「……」「……」「…………………………」


 誰も、なにもしゃべっていないのだ。
 談笑しているらしき人々も、口を動かしているが……無言。

 死んだ目で、顔に笑顔の失敗作のようなものを貼りつけているだけだ。
 その様子は、外見だけを作り込んだドールハウスを思わせた。

「…………なんだ、この町は?」
 俺が魔物を狩るために入ったのは――美しい町だった。
 清潔で、綺麗で、色彩も豊か。
 町ゆく人たちの服装も、ちゃんと洗練されている印象がある。
 しかし……。


「……」「…………」「……」「………………」「…………」「……」「………………」「……」「…………」「………………」「……」「……」「…………」「……」「…………」「………………………………」「……」「………………」「……」「……………………』「…………」「……」「……………………」「……」「……」「…………………………」


 誰も、なにもしゃべっていなかった。
 談笑しているらしき人々も、口を動かしているが……無言。
 死んだ目で、顔に笑顔の失敗作のようなものを貼りつけているだけだ。
 その様子は、外見だけを作り込んだドールハウスを思わせた。

「…………なんだ、この町は?」

『なんだか、趣味が悪いわね』

 全てが綺麗に整えられているが、それゆえに全てが偽物臭い。
 これならまだ、ボロ布をまとったいかにも家畜な人間たちが歩いていたほうが健全に思えてくる。

「……俺たちのいた町が家畜小屋だとしたら、この町はペットハウスといったところか」

『そうね。その認識でいいと思うわ』

 フィーコが頷いた。

『魔物の中には2種類のタイプがいるの。人間を家畜として見るタイプと、ペットとして見るタイプよ。上流階級の魔物ほどペット扱いは多いわね』

「なんでだ?」

『それはもちろん、小汚い人間を食べるのは嫌だし、見栄だって張りたいのが魔物心じゃない』

「なるほど、お前も人間をペット扱いするタイプか」

『当たり前でしょう?』

 そんな話をしながら、町を歩いていく。
 住民たちは俺に目を向けると、ぎょっとしたように顔をそむける。
 というか、フィーコを見て顔をそむけている。

「魔物を恐れてるのか……? とすると、それなりに魔物に虐げられてはいそうだな」

『そんなことより、せっかくだし、なにか食べていきましょう?』

 フィーコがそわそわと屋台のほうを気にしていた。
 俺も視線を追って見ると、食べ物の屋台も多く出ているようだ。
 これなら今日の分の食事には困らないだろう。
 と、そこで――はっとした。

「こ、これは……“甘きもの”の匂いッ!?」

『え……いきなり、なに?』

「……ッ! こっちだッ!」

『え、なに? なんなの?』

 俺は駆けだした。いても経ってもいられなかった。
 まさか、この時代に“あれ”があるとは……。
 嗅覚を頼りに、ひとつの屋台へと駆け込む。
 その屋台の店主がぎょっとしたような顔をしてきたが、かまってはいられない。

「あの、“甘きもの”は……ありますか?」

『敬語?』

「…………?」

 店主には伝わらなかったらしく無言だ。

「こ、言葉が通じないのか……?」

『いえ、“甘きもの”じゃ意味不明でしょう? それって、なに? スイーツのこと?』

「“甘きもの”をそんな軽々しい名前で呼ぶな」

『とりあえず、プリンとかあるならよこしなさい。なんか、わたしも食べたくなってきたわ』

 フィーコが言うと、店主がびくっとしながら頷いた。
 まぁ、魔物に管理された町に暮らしているところに、いかにも魔物っぽいやつが話しかけてきたら、そりゃ怯えるだろう。

「そういえば、代価だが……」

 他の屋台のほうを見ると、客は配給札らしきものを通貨代わりにしていた。ここは俺のいたオーガの町と同じだ。
 とはいえ、この町の配給札なんて持ってないから物々交換をしたいところだが……。

「猪肉とかいるか?」

「…………」

 店主はぶんぶんと首を横に振る。
 いらない、ということらしい。
 他にもなにか出そうとしたところで、店主は制止するように手を出してきた。

「なにもいらないってことか?」

「…………」

 こくこくと頷く。

「まぁ、無料(ただ)でいいなら助かるが」

 そこでなんとなく察したが、おそらくここにある屋台は魔物のために用意された店なんだろう。とくに贅沢品の屋台は、採算が取れるほど客が入っていないように見えるし。

「…………」

 それからしばらくすると、皿に飾りつけられたプリンが現れた。
 皿を受け取ると、店主はそれ以上は関わり合いになりたくないとばかりに、あからさまに顔をそむけてくる。

『ふふ……完全に魔物だと思われてるわね、あなた』

 フィーコがにまにまと笑う。

「たしかに、お前みたいなのをつれ歩いてたら、そうなるだろうな」

『つまり、わたしのおかげで甘い汁が吸えたってことね……スイーツだけに』

「………………」

『無言やめて』

 まぁ、ともかく今は“甘きもの”だ。
 とりあえず、近くにあったテラス席で食べることにする。

 プリンが乗った皿をテーブルに置き、俺は居住まいを正して向き直った。
 “甘きもの”との18年ぶりの再会だった。

「…………ずっと……ずっと……会いたかった」

『泣いてる……』

「人はパンのみによって生きるにあらず。“甘きもの”によって生きるのだ」

『ちょっと、なに言ってるのかわからない』

 前世では、“甘きもの”こそが俺の活力だった。
 冒険者だから長期間の粗食にも耐えられるとはいえ、それが18年も続くとさすがに精神が摩耗する。“甘きもの”を知ってしまっている舌にとっては、なおさらだ。

 もはや、この時代では“甘きもの”と出会えないだろうとあきらめていたが。
 まさか、こんなところで出会えるとは……。

「――――いただきます」

 厳かに食前の祈りを捧げて、俺はスプーンを手に取った。
 わずかな所作にも手を抜けない。そうしなければ、“甘きもの”に失礼だ。

『……あら? あれって、魔物じゃない? ねぇ、テオ……ねぇってば……』

 フィーコがなにか言っているが無視だ。
 どうせ、いつものように『一口食わせろ』とか言っているのだろう。
 そんなのは不可能に決まっている。
 それよりも、全神経を目の前の“甘きもの”に集中させよう。

「……………………」

 周囲から雑音が消える。色が消える。あらゆるノイズが取り払われる。
 もはや、この宇宙には俺と“甘きもの”のふたつしか存在しない。
 そして、今――俺は“甘きもの”とひとつになるのだ。

 俺はスプーンで、すっと、やらわかなプリンをすくい取った。
 そして、一口……食べようとした、ところで――――。


 ――どしゃんッ!!


 突然、空から人間が降ってきた。

「…………は?」

 隕石のようにテーブルに着弾したその人間は、テーブルをべきっと真っ二つにへし折り、その衝撃で皿に乗っているプリンを宙へと飛翔させた。
 “甘きもの”に集中しきっていた俺には、とっさに反応できなかった。

 死の間際のようにスローモーションで流れる世界。
 その中で、ぷるぷると波打ちながら放物線を描くプリン……。

「――ッ!? ――肉体強化(バ・ベルク)ッ!」

 我に返り、とっさに手を伸ばすも――すでに遅い。
 その手はむなしく宙を切り。
 べちゃっ、と“甘きもの”は地面に落下した。


「……ぁ…………ぁあああぁああ――――ッ!?」


『かつてない悲痛な叫び……』

「ま、まだだ……ッ!」

 俺は地面に落ちた“甘きもの”へとスプーンを向けた。
 まだだ……まだ、全てが終わったわけではない。
 地面に落ちようが、“甘きもの”は“甘きもの”だ。
 まだ食べられる。
 否――食べなければならない。
 俺はスプーンをふたたびプリンにさし入れ――。

 ――ぐちゃっ。

 と、空から降ってきた鉤爪つきの足によって、プリンが踏み潰された。
 手にしていたスプーンも、べきり、とへし折れる。

「くすくす。人間壊れちゃったぁ?」「くすくす。まーだだよぉ」「くすくす。まだまだ遊べるねぇ」

 子供のような妙に舌っ足らずで甘ったるい声。
 顔を上げると、そこには3匹のハーピィがいた。

 鳥のような翼を持っている少女――のような怪鳥の魔物。
 ハーピィたちは踏みつけたプリンのことなど気にすることもなく、くすくすと悪戯っぽく笑いながら、今しがた降ってきた青年へと襲いかかる。
 いたぶることが目的なのだろう。あえて急所は狙わず、生きたまま人間を食っている。

「――――ぁァァッ!」

 青年の絶叫が辺りに響きわたる。
 他の人間たちはそれから顔をそむけながら、逃げるように離れていく。
 そんな中、俺だけはその場から動かなかった。

「…………おい」

 ハーピィたちは、その声で初めて俺に気づいたらしい。
 ぎらぎらとした黒真珠のような瞳を、こちらに向けてきた。
 幼さが残る女の子のような顔とは対照的に、その口元は凄絶なまでに血で汚れている。

「くすくす。人間だぁ」「くすくす。人間がしゃべってるぅ」「くすくす。あーあ、しゃべっちゃったぁ」「くすくす。気に入らなぁい」「くすくす。いじめちゃう?」「くすくす。爪をはいでぇ」「くすくす。手足をもいでぇ」「くすくす。目玉をつついてぇ」「くすくす。綺麗に飾りつけをしてぇ」「くすくす。綺麗な悲鳴(おうた)を聞きながらぁ」「くすくす。食べちゃおーっと」

「……今、俺を食うと言ったか?」

「くすくす。そうよぉ?」「くすくす。だって人間はぁ」「くすくす。魔物に食べられるために生まれてきたんでしょお?」

「……逆だ」

 一番手近にいたハーピィの首をつかみ――ぐしゃりと握りつぶした。

「…………え?」

 果実が破裂したかのように、勢いよく血が()ぜ散る。
 仲間の返り血を浴びて、笑顔のまま凍りつくハーピィたち。
 俺はそんなハーピィたちを順繰りに見下ろしながら、死刑を宣告するように言った。


「――――()()()()()()()()()()


「――――()()()()()()()()()()


 殺したハーピィのレベル刻印から光が浮き上がり、俺の手の甲へと吸い込まれていく。
 その様子を、残りのハーピィたちが呆然と眺めていた。

 狩ろうとしていた人間に、仲間が狩られた――。
 そのことを、すぐには頭が受け入れられないのかもしれない。
 だが、俺がハーピィたちに歩み寄ると、我に返ったようにびくりとした。

「こ、この……ッ!」「……人間がァッ!」

 悪戯好きの女の子のような顔から一変……。
 笑顔の仮面がぐにゃりと体熱で溶け落ちたかのように、その顔が苛烈なまでの憤怒に歪んだ。
 おそらく、こちらが本性なのだろう。

「死ねッ! 死ねッ! 死ねェッ!」

 ハーピィのうちの1匹が、その場に竜巻を作り出す。
 レベル13の魔物の魔法にしては、竜巻の規模が大きい。
 おそらくは、天恵(ギフト)の力。

「竜巻を操る天恵(ギフト)、といったところか」

『そうね。たしか、【風廻鳥(カザミドリ)】って天恵(ギフト)だったかしら』

「まぁ、それなら――問題ないな」

 風を操ることにかけては、俺のほうが上だ。


「――風操(フゥゼ)


 俺とハーピィのレベル差では、初級魔法で充分だろう。
 指をくいっと曲げると、俺に迫ってきていた竜巻があっさりとかき消える。

「……ッ!? な、なんで……ッ!?」

 戸惑うハーピィへ向けて、さらに風を動かした。
 竜巻を打ち消した風を、勢いそのままにハーピィの体中の穴に流し込む。

「…………ッ!?」

 ハーピィの体がみるみる膨らんでいき――ぱんッ、と破裂する。

「さて……あと1匹」

 俺が残りのハーピィに目を向けると、彼女はようやく力の差を悟ったらしい。

「……ひっ!?」

 その場から羽ばたいて逃げようとするが。

「――風操(フゥゼ)

 指をくいっと下に向けると、ハーピィが地面に墜落した。

「……ぁ……ぐッ!?」

 そのまま見えない巨人の足に踏み潰されているかのように、めきめきと音を立てて地面にめり込んでいく。

「く、くそっ……人間がッ! こんなことして、ただで済むと……!?」

 ハーピィが苦しげに叫ぶ。

「このことをセイレーン様が知ったら、人間なんて……ッ!」

「セイレーン様?」『セイレーン?』

 俺は風を操る手を少し弱めた。
 興味なさそうにしていたフィーコも、その名前に反応する。
 おそらくは、この町を管理している魔物の名前か。

『セイレーンか……なるほどね』

「知ってるのか?」

『ま、同じ鳥系の魔物だもの。どんな魔物かぐらいは知ってるわよ』

「そうか」

 俺もセイレーンという魔物の話だけは聞いたことがある。
 俺自身は戦ったことがないが、海辺の町の人々に恐れられていたのは覚えている。

「たしか……魅惑的な歌声によって船を岩礁に誘い込んで沈めさせる、海鳥の魔物だったか」

『いや、なんで知ってるのよ』

「オーガたちが話してるのを聞いた」

 なにはともあれ。 
 これは思わぬところで、魔物の情報が手に入りそうだな。

「なぁ、ハーピィ……そのセイレーンとやらについて教えてくれるよな? セイレーンは今どこにいる?」

「だ、誰が、人間なんかに……ッ!」

「言っておくが……俺は、“お願い”をしてるんじゃないぞ?」

 指をさらに下へと向けて、風圧を高める。

「――“拷問”を、しているんだ」

 ハーピィが地面にめり込み、潰れたような悲鳴を上げた。

「……ま、待って……セイレーン様のことは、話せない」

「“話せない”ということは、“話すこともできる”ということだな?」

「違うッ! 本当に話せないッ! そう、命令されてるの!」

「その命令は、命よりも大事なのか?」

「……な、なにを言ってるの、人間ッ!? セイレーン様の命令に逆らえるわけないでしょう!? だって、セイレーン様の天恵(ギフト)は……」

 ハーピィはなにかを言いかけた途端、はっとしたように表情を一変させた。
 突然、ハーピィが自分の首を握りしめたのだ。
 自殺するつもりか……と思ったが、様子がおかしい。

「や、やめッ! 違うのッ! 違う違う違うッ、話してないッ! わたしはなにも話してませんッ! お赦しをッ! お赦しを、セイレーン様――ッ!」

 ぎょろぎょろと誰もいない虚空を見つめながら、ハーピィが叫びだす。
 わけもわからず見ていると、ハーピィはそのまま自分の首を握りつぶして絶命した。
 そして、静寂……。


「…………な、なんだ?」


 さすがに戸惑う。
 辺りを見回すが、セイレーンらしき魔物の姿はない。

 なにやら、命令に逆らえないとか言っていたが……。

(これが、セイレーンの天恵(ギフト)の力か?)

 いや、それよりも、今は考えるべきことが他にある。
 俺は地面に倒れていた青年に目を向けた。先ほどまでハーピィに食べられていたやつだ。
 ずいぶんと血まみれではあるが……。

『生きてはいるようね』

「ハーピィがあえて急所を狙わずに食べてたんだろうな」

 ハーピィは獲物をいたぶるのが好きだという。
 思えば、人間を空から落とすというのも典型的なハーピィのいたぶり方だ。

「あんた、大丈夫か?」

 俺はその場にしゃがんで、ぱしぱしと青年の頬を叩いた。
 一応、まだ意識もあったらしい。

「……は、ハーピィは……?」

「もう殺したぞ」

「こ、殺した……? バカな……」

 青年がうっすらと目蓋を持ち上げて、怯えたようにこちらを見てくる。

「……き、君は…………人間、なの……か……?」

「ああ」

 青年にも見えるように、俺は大きく頷いてみせた。

「――俺はテオ。この町の外から来た人間だ」