人間がフィフィにナイフを突き刺しながら体当たりをする。
フィフィが足を崖から踏み外し――そして、浮遊感。
スローモーションで体が傾いていく中で……。
「なぁ、不死鳥」
人間が悪魔のように笑った。
「――お前、炎がなくても蘇れるか?」
一瞬、問いの意味がわからなかった。
しかし、すぐに思い出す。
自分がこれから、どこに落ちようとしているのかを……。
「……ッ!」
フィフィの背後にあるのは――海だ。
不死鳥は、死んでも炎の中から蘇ることができる魔物。
逆に言えば、炎を浴びて灰にならなければ蘇ることはできない。
もしも、死んでも蘇生できなければ――死んだままだ。
(…………まずい)
フィフィの顔から血の気が引いた。
おそらく、これこそが――人間の言っていた“不死鳥の倒し方”。
単純に、“レベルで上回ること”が勝利の秘策なのだと思って、油断していたが……今さらながらに気づく。
人間はあえてレベルアップについて語ることで、自分の狙いをフィフィに誤認させ、海から注意をそらしたのだ。
そのうえで――。
(このわたしを殺し続けながら……ここまで誘導していたというの!?)
いったい、どれほどの戦闘技術と実戦経験があったら、そんな芸当ができるというのか。
人間の力を認めると言いつつも、やはり今の今まで油断があった。
それがここにきて、ようやく……フィフィの本能が警鐘を鳴らした。
しかし、もう遅い。
すでに、落下は――始まった。
「……ッ!?」
ぐるん――っ! と視界が回転する。
人間ともつれ合いながら、海へと真っ逆さまに落ちていく。
目に飛び込んでくるのは、血を流したように紅い夕焼け空……。
その落日の光景は、これからフィフィの身に起こることを不吉に暗示しているように思えた。
「……く、ぅっ!?」
中途半端に鳥の体になったのが、まずかった。
鳥は仰向けになると弱い。鳥の肉体は仰向けの体勢を想定して作られていない。仰向けのままでは飛ぶことができない。
しかし、体勢を変えようにも……。
腱や神経が切られたせいで、体がまともに動かない。
そしてなにより、上にいる人間が邪魔をしてくる――。
「……こ、のッ……人間の、分際で――ッ!」
海に落下するまでの、わずか2秒間……。
その時間内に体勢を立て直そうとするも――間に合わなかった。
どぶん――ッ! と。
抵抗むなしく、フィフィの体は海面に叩きつけられる。
「…………ッ!」
大きな水飛沫が上がる。
炎の翼が、じゅわぁあ……と一瞬でかき消える。
夕日に照らされた海中に、燦然と散りばめられる紅い羽根……。
全身に刃が突き立てられた体では、泳ぐどころか、もがくことすらままならない。
(…………ぁ、あ……)
海の底へと沈む……沈んでいく……。
光の揺らめく海面が、どんどん遠ざかる。
沈んでいくフィフィと、浮上していく人間。
彼のほうへと手を伸ばすも……届かない。
(…………わたしの……負け、か……)
フィフィは、ごぼっと最後の空気を吐き出すと。
そのまま、暗い海底へと落ちていくのだった――――。
◇
「…………はぁ……んぐっ……がはッ」
不死鳥との戦闘後。
俺はぼろぼろの体で、月光に照らされた砂浜へと這い上がっていた。
戦闘の疲労のせいでまともに泳げず、ずいぶん波に流されてしまったようだ。
思いっきり漂流してしまい、ここがどこだかわからない。
あれから、どれだけ時間が経ったのかもわからない。
見上げれば、空ははっきりと夜の色合いをたたえており、月はぼろぼろの俺を嘲笑うように冷ややかに輝いている。
「……はぁ」
俺は体を引きずって歩き、砂浜の上にどさっと倒れるように寝転がった。
そこで、しばらく呼吸を整えてから……。
ぼんやりと自分の手を眺めてみる。
「…………生きてる、のか?」
そんな当たり前のことを自問する。それほどまでに実感がなかった。
低レベルの人間が、レベル77の不死鳥に挑んで生き残るなんて……笑い話にもならない。
だけど、目に染みるような鮮やかな月空の色彩は、鼓膜を心地よく揺らす波のさざめき声は、鼻孔につんと突き抜ける潮の香りは、背中に伝わるじゃりじゃりと湿った砂の感触は……どれも、確かなものだった。
「……は……はは」
食料や装備は全て失った。体力も魔力も尽きて、ほとんど満身創痍だ。
疲労で体もまともに動かないし、頭も回らない。
しかし、それでも……生きている。
「――――ッ!」
遅れてやって来た実感に、思わず拳を空へと突き上げた。
快哉を叫ぶほどの余力はないけれど、心はかつてないほど高揚していた。
それから……ふと、手の甲に目を向ける。
そこに青白く輝いているレベル刻印が、先ほどよりも大きく変化していた。
(……レベル58か。一気に上がったな)
これほどまでに大幅なレベルアップは、前世でも経験したことがない。
このレベルアップは、俺が不死鳥に勝った証だ。
(……まさか、本当に勝てるとは)
相手が油断しきっていたことや、天恵の相性がよかったことが大きかった。
もちろん、不死鳥はあの程度で殺しきれるような魔物ではない。
ただ無力化して、次の蘇生までの時間を稼いだだけではあるが……。
それでも、俺が勝ったという事実は揺るぎない。
「……人は、魔物に勝てる」
俺は誰にともなく呟いた。
町では言うたびにバカにされていた言葉だ。
しかし、どれだけ時代が変わっても……。
この世界の誰もが、口をそろえて否定しようとも……。
それでも――俺は知っている。
この世界でただ1人、俺だけは知っている。
人間は食べられるだけの種族ではないのだと。
それどころか、レベルアップできる人間こそが、最強へと至ることができる種族なのだと――。
『…………たしかに、そのようね』
ふと、声が返ってきた。
はっとして顔を上げると、月を背景にして靄のようなものが漂ってきていた。
夜霧――では、ない。
あきらかに異質なその靄は、しだいに俺の前に集まっていき……。
やがて、幽霊のように人の形をなす。
「……なっ」
思わず、上ずった声が出た。
霊体になっていようが、その姿を見間違えるはずもない。
『ふふ……驚いてくれたかしら?』
いきなり目の前に現れたのは、さっきまで殺し合っていた少女――。
……先ほど、海に沈めたはずの不死鳥だった。
人間と不死鳥――。
本来、相容れないはずの俺たちは、こうして出遭い……。
――この奇妙な出遭いから、俺の冒険は幕を開けたのだった。