今すぐ手を振り払って逃げ出したかったけど、手足が震えて思うように動かない。下手に叫んだり余計なことを言ったりして、男を刺激するのも怖かった。

 どうしよう。どうしたらいいんだろう……。今さら後悔しても遅いけど、サオリに付いてきてもらえばよかった。

「ゆーなちゃん」

 男に名前を呼ばれて、逃げるように目を伏せる。

 せめてスマホを持っていれば、誰かに電話したり助けを求めたりできるのに。肝心なスマホは店のスタッフルームに置きっぱなしだ。

 ジリジリと近付いてくる男からは、強めの香水の匂いがする。男の手に髪を撫でられそうになったとき、居酒屋の入り口の引き戸がガラガラと開いた。

「あれ、ゆーなちゃん?」

 背中から聞こえてきた佐川店長の声に、男の気が逸れる。その隙をついて手を振り解くと、わたしは店の中に走って逃げ込んだ。
 駆け出す直前に男が舌打ちするのが聞こえてきて、佐川店長の陰に隠れたあとも、なかなか震えが止まらない。

「ゆーなちゃん?」
「店長、わたし、スタッフルームにスマホ忘れちゃって」

 震える声でそう言うと、佐川店長は入り口の向こうをちらっと見てから店の引き戸を閉めた。