わたしは目の前の男のことを全く知らない。見覚えもない。だけど、男のほうはわたしのことを知っているらしい。
わたしの本名は侑奈で、バイトのときは店の制服に『ゆーな』と自筆したネームプレートをつけて働いている。その名前を呼んできたということは、わたしが接客に入ったテーブルのお客さんなのかもしれない。
「あの、何か……」
「そんなに怖がんないでよ。ちょっとゆーなちゃんと話したいなーって思っただけなんだから」
どうやらこの男は、わたしが『ゆーな』だとわかっていて、何か目的を持ってわたしに声をかけてきたらしい。それに気付くと、血の気が引いて指先が震えた。
「あの、人違いだと思います……」
急いで店の中に逃げ込もうとすると、男が素早い動きでわたしの手首をつかんで引っ張った。全身でビクリと震えるわたしを見て、男がククッと笑う。
「いや、ゆーなちゃんじゃん。オレ、そこの居酒屋で何度かあんたに接客してもらったことあるよ。前から声かけたいなーって思ってたから、ひとりのときに会えてラッキー。今、バイト終わったとこ?」
「いえ、店に忘れ物を取りに……」
「そうなんだ? じゃぁ、ゆーなちゃんが戻ってくるまでここで待ってようかな」
「え?」
「駅まで一緒に行こうよ。送ってあげる」
「い、いいです。ちょっと時間かかると思うし……」
「オレは時間あるから大丈夫。夜遅いから、一人で帰るのは危ないでしょ」
男が怪しく笑いながら、わたしの手首をつかむ指にギリリと力を入れる。全く大丈夫ではないし、危ないのはむしろこの男のほうだ。