「景ちゃんは自分のことを弱い人間だって卑下するけどさ、わたしも自分のことを弱い人間だなって感じるんだよね」
 いちごミルクをすすりながら田丸は言った。友達認定したとたん、すぐさま相手を名前で呼び出すのはさすがというか、なんというか。
「そうなんですか? えーと……佳乃さん」
 田丸が買ってきたレモンミルクをすすりながら応対する中沢。こちらはすぐさま名前で呼ぶことには抵抗があるようだけど、さっそく人に流されていた。
「うん、シカトされたせいで、そのことをまざまざと思い知らされたよ」と田丸は言った。「シカトの何が怖いってさ、これまで仲良くしていた友達が話しかけもしてくれなくなることもそうだけど、それまでたいして親しくなかった人たちまでもが、まるでわたしなんて最初から存在していなかったかのように扱いだすことなんだよね。それはまるで、世界の中にわたしひとりだけが取り残されてしまったかのような感覚で……。そのことが怖くて辛くてたまらなくて、いつもひとり、教室の自分の席で震えていたものだよ」
「……ごめんなさい」
 しなだれる中沢を、「別に景ちゃんを責めてるわけじゃないよ」と田丸はなだめる。
「ただ、人との繋がりを絶たれることがこんなにも辛いものなんだって嫌でも気付かされたんだよね」
「佳乃さんのその気持ち、わたしもよくわかります」
 中沢は実感がこもった様子でうなずいた。
「だからこそ――」田丸はわたしの方を向いて言った。「麻美ちゃんに声をかけてもらえて、本当に嬉しかったんだ」
 不意を突かれ、わたしは吸い込んでいたコーヒー牛乳を少しパックに戻してしまった。
「何よ、藪から棒に。……っていうか、人を馴れ馴れしく名前+ちゃん付けで呼ぶんじゃない!」
 たまらずわたしは抗議したものの、田丸は素知らぬ顔で、
「あの朝、麻美ちゃんがかけてくれた『おはよう』の一言は、わたしにとっては真っ暗な世界に差し込んだ一筋の希望の光のように思えたんだよ」
 田丸の脳内では、天上より遣わされし天使アサミエルによって福音を授けられるという、神々しい宗教画のような光景でも広がっているのだろうか。
「遅ればせながらだけど、麻美ちゃん、本当にありがとね」
 満面の笑みでそう言うと、田丸はぺこりとわたしに頭を下げた。
「う、うん……」
 こちらとしては感謝されるようなことをしたつもりなどまったくなかったので、なんとも居心地が悪くなってしまう。ちらりと中沢に視線を向けると、彼女は「ほら、言った通りじゃないですか」とばかりに微笑んでいる。それがわたしの居心地の悪さをさらに加速させた。
「でも、ちょっと不思議だったんですよね」小首を傾げながら中沢は言った。「どうして高屋さんが田丸……佳乃さんに声をかけたんだろうって。わたしの印象では、高屋さんは常に周囲からしかるべき距離を置き、わざわざクラスのもめ事に足を突っ込んだりするようなタイプではないと思っていたものですから」
「たしかにそうだね」中沢の疑問に田丸も同調する。そして、ストレートにわたしに尋ねる。「どうして?」
「いや、どうしてと言われても……」
 そんなこと、こっちが聞きたいくらいだ。中沢が指摘した通り、たしかにあれは普段のわたしからは考えられないような行為であったから。
 あのとき、自分はいったい何を考えていたのだろう。後になってただの気まぐれだの、一時の衝動だの、眠気のせいで頭が正常に働いていなかったせいだのといろいろと理屈をこねくり回してはみたものの、どうもしっくりこない。もっと根本的な理由があったような気がするのだ。
 そう、たしか――
「……どうせ死ぬんだから」
「「え?」」
 わたしがぼそりと呟いた一言に、二人が一様に驚きの表情を浮かべる。
 驚いたのはわたしも同様だ。なんで突然、〝死〟なんて不穏な単語が飛び出したのか、自分でもよくわからなかった。
 わからないながらもわたしは続ける。
「どうせ人なんていずれ死ぬんだから、そのときになって後悔しないよう、自分の心の命じるがままに行動してみよう――そんなふうに思ったんだ」
 口に出してみたところでやっぱりよくわからなかった。これではまるで、病気かなんかで今日明日ともしれぬ人間の境地じゃないか。
「いったい何を言っているんだろうね、まったく」
 ハハハ……と笑って誤魔化してみたものの、二人からは想定していなかった反応が返ってきた。
「かっこいい!」
 目をキラキラさせた田丸が発した一言に、わたしはぎょっとしてしまった。
「……か、かっこいい?」
「うん。普段は周囲に対し、『わたしには関係ないね』とばかりにクールを装っていながら、その実、胸の奥では正しきことを成そうという熱い想いが燃えているんだね。いやあ、麻美ちゃんは本当にかっこいいなあ!」
 ひとりで勝手に盛り上がっている田丸を見て、勘弁してくれと思った。わたしはそんな大層な人間ではないのだから。
 わたしは助けを求めるように中沢に視線をむけたものの、こっちはこっちでやはり同様に目を輝かせてわたしを見つめている。
「麻美さんは本当に素敵な人です」
 それこそ敬愛に満ちた表情で中沢は言った。
 だから、勘弁してくれっての!
 わたしはたまらず頭を抱えて机に突っ伏した。それはこのバカげた事態に参ってしまったのと同時に、ちょっとだけ――あくまでちょこっとだ――照れくささが顔に出そうになってしまい、慌ててそれを隠そうとしたのだということは否定できなかった。