いつも通っている橋の真ん中までやって来たわたしは、これ以上走ることができずに立ち止まった。前屈みになってしばし荒い息を整える。
 呼吸が落ち着いたところで、今来た道を振り返った。そこにわたしを追いかけてくるレポーターやカメラマンの姿はない。彼女たちにしてみればわたしなど数多くいる取材対象の一人にすぎず、多少不審な行動をとったところでわざわざ追いかけるほどの価値はないのだろう。
 ひと息をついたわたしは、背負っていたスクールバッグを下ろして橋の欄干に背中を預けた。堆積した煤で制服が汚れてしまいそうだけど、そんなことをいちいち気にしていられない。
 スクールバッグのチャックを開ける。中には教科書やノートなどに混じって、机から出てきた例の封筒も入っていた。
 封筒を取り出し、口を下にする。すると、中に入っていた物がするりとわたしの手のひらの上に落ちてきた。
 それは、わたしたちを空に近い場所へと誘ってくれたあの屋上の鍵だった。
 鍵は松永先輩に見せてもらったときは銀色に輝き、まるで貴金属で作られているかのように思えたものだけど、今こうしてあらためて見てみると、スーパーの一角にある合鍵屋のロゴが刻印されている安っぽい代物にすぎなかった。
 封筒には他には何も、手紙のようなものは入っていなかった。なので、はっきりしたことはわからないけど、おそらく松永先輩は、わたしに空に近い場所を委ねようと考え、屋上から飛び降りる前にこの鍵を机の中に入れたのだと思われた。
 それは、先輩がわたしのことを誰よりも信用してくれたという証なのだろう。
 そんな松永先輩の想いに対し、わたしはというと――
 わたしは鍵をぎゅっと握りしめると、大きく振りかぶり、橋の上から勢いよく放り投げた。
 鍵は太陽の光を浴びてきらきら輝きながら、放物線を描いて落ちていく。その様子はまるで、スローモーションのようにゆっくりと見えた。
 鍵は下を流れる川へと吸い込まれていった。車がうるさかったにもかかわらず、その着水音がはっきりと耳に届いた。
 水面に広がった小さな波紋は川の流れによってあっという間に掻き消され、鍵がどのあたりに落ちたのかさえもわからなくなってしまった。

 松永先輩。
 先輩がわたしに屋上の鍵を託してくれたことはとても嬉しかったです。わたしはこれまで、真面目ないい子だと言われることはあっても、信用に足る人間だと思われたことなんてたぶんなかったはずだから。
 本当ならその気持ちに応えたかった。
 ……でも、駄目なんです。
 だって、わたしは先輩の考えているような人間ではないから。
 わたしは大人にとっての真面目ないい子でいたいがために平気で友達を裏切るような最低の人間なんです。
 自分の証を守っていくなんて偉そうに宣言しておきながら、先輩がみんなにどう思われているか知ったとたん怖くなり、決意がぐらついてしまうような情けない人間なんです。
 それに、わたしは松永先輩が死んだというのに、悲しいという気持ちよりも先に、わたしを見捨てて行ってしまった、裏切られたという憤りの方が先立ってしまうような薄情な人間なんです。
 わたしが松永先輩のことを何ひとつわからなかったように、きっと先輩もわたしという人間を理解していなかったんでしょうね。
 それにわたし、あの鍵を手にした瞬間、怖くなってしまったんです。先輩がこれを使ってわたしに後を追えと言っているように思えて……。
 結局のところ、沢田さんに指摘されたように、わたしには松永先輩のような強さなど持っていなかったのだと思います。
 だから、わたしにはあの鍵を持つ資格なんてありません。空に近い場所に近づいてはいけない人間なんです。だから、捨ててしまいました。
 ごめんなさい松永先輩……。本当にごめんなさい……。

 わたしは再びスクールバッグを背負うと、足早にその場を後にした。
 家に鞄を置いたら髪を切りに行こうと思う。