今のこの雰囲気では何を言っても……。

 ……でも……でもこのままではいけない……‼

 私は心の中で思い切り深呼吸をして……。
 そして……。


「……あの……」


 勇気を出して言いかけた、そのとき……。


「聖志……」


 ……え……?

 突然、女の子の声がした。

 誰かが松尾のことを呼んでいる。

 気になった私は声がした方向を見た。

 すると、そこには同じ制服を着た女の子が松尾の方を見て立っていた。


 …………。

 私はその子を見た瞬間、圧倒された。

 顔立ちはとてもきれい。
 そして、その表情はほんの少しだけ涼しげに見える。
 見た目の年齢は高校生とは思えないくらい大人びて落ち着いた雰囲気。
 髪は羨まし過ぎるくらいのきれいでサラサラなストレートヘア。やさしく吹く風がその美し過ぎるくらいの髪をより美しくキラキラと輝かす。
 指は細くスッと伸びていて、手足は長く、頭から足のつま先まで全てが完璧。
 同じ女子としてこんなにも羨まし過ぎるくらいの……って……私はほんの一瞬でどこまでジロジロ見てるんだか……。

 って。
 ……ん……? あれ……?

 この女の子、どこかで見たことがあると思ったら……。




「……恵理……」


 ……やっぱり……?

 この子……松尾の……元カノの……。

 確か名字は香原さん……。

 香原さんは、もちろん私の名前は知らない。


 でも香原さんは同じ学年の中では少し有名だから……。


「……元気? 聖志……」


「……ああ……」


 ……なんか……。


「……恵理は……?」


「……うん……元気よ……」


 ……なんか……。

 ……なんか……松尾と香原さん……よそよそしくない……?

 ……あっ……そうか……私がいるから二人とも話しづらいんだ。

 私は、それに気付いたから。


「……あ……あの……」


 よそよそしくなっている二人の間の中で勇気を出して声をかけた。


「どうした? 遥稀」


「あっ、あのね、私、ちょっと急ぐからこれで」


 ちょっとわざとらしかったかもしれないけれど。

 私はそう言って、そそくさと二人の間から立ち去った。


「遥稀‼」


 私の名前を呼ぶ松尾の声がはっきりと聞こえたけれど、私は一度も振り向かずに走り続けた。





「……こ……ここまで来れば大丈夫かな……」


 私は走り続けていた足をゆっくりと止めた。


「…………」


 ……私……一体何やってるんだろう……。

 ……私……。

 私が松尾と香原さんのいるところから立ち去ったのは、私が二人のところにいたら二人は話しづらいだろうと思ったから。
 だから急いで二人のところから立ち去った。

 …………。

 ……違う。

 本当は……違う。

 本当は……。

 本当は……松尾と香原さんがいるあの空間が耐えられなかった。

 耐えられなかったから。

 だから。

 だから私は、松尾と香原さんから逃げるように走り去った。


 …………。

 ……今、松尾と香原さんは何を話しているのだろう……。


 ……‼
 嫌……っ。
 ……嫌だっ……嫌だっ、こんな……っ。
 こんな気持ちになんかなりたくない……‼

 私は松尾と香原さんのことを考えると胸が張り裂けそうになった。

 私はそんな気持ちを抱えながら家へ向かい歩き続けた。




 そんなつもりじゃ……。




 次の日の放課後。


 私は学校を出て家に帰る途中。

 学校を出て十数分歩いて家まであと半分。

 そこまで歩いたとき……。

 ……‼

 ……え……っ。

 ……なんで……。


「遥稀……」


 なんで……松尾……。


「……松尾……どうして……」


 どうしてここに……。


「……遥稀……ちょっといい?」


 松尾はいつになく真剣な眼差しで私を見ていた。


 …………。

 ……松尾……。

 松尾が……。
 松尾があまりにも真剣な眼差しだから……。

 私は松尾のそんな眼差しに戸惑ってしまった。

 戸惑ってしまったから。
 私の心の中がざわざわと忙しくなってきた。

 私は心の中が忙しくなりながら。


「……え……な……なに……?」


 戸惑いがまるわかりに混じった言い方で返事をした。

 すると。


「話があるんだ」


 そう言った、松尾。


 松尾の言葉に、さらに戸惑ってしまった、私。

 だって……話って……。




「……な……なに……話って……」


 私は、もっと戸惑いがまるわかりに混じった言い方で返事をしてしまった。

 ……のだけど……。


「……遥稀……」


 松尾の真剣な表情。そして真剣な眼差し。

 見た瞬間は戸惑った。

 戸惑ったけれど。
 なぜか今は。
 そんな松尾の真剣な眼差しに吸い込まれそうになる。

 松尾の真剣な眼差しは純粋過ぎるくらいに美しい。
 私は、そんな松尾の瞳から目を逸らすことができない。
 まるで金縛りにでもあっているかのような。
 それくらい松尾の眼差しは強力なものに感じる。
 そんな眼差しで見つめられたら、誰も逸らすことができないと思う。


 ……ドキッ……。

 え……。

 ドキッ、ドキッ……。

 うそ……。

 なんで……。

 なんで……どうして……。

 松尾に真剣な眼差しで見つめられていると……。
 胸の鼓動が……。
 胸の鼓動が……高鳴ってくる。

 そして。
 身体中の体温が。
 一気に顔に集中するかのように。
 ……熱い。
 顔が……。
 顔が急激に熱くなっている。
 急激に顔が熱くなって。
 まるで茹蛸のように。
 顔が真っ赤になって……。
 なんで……なんで、こんなこと……。

 ……嫌……。
 真っ赤になっている顔。
 松尾に。
 松尾に見られていること。
 すごく。
 すごく恥ずかしくて。
 恥ずかしくて……っ。

 …………。

 ……見ないで……。
 そんなにも私のことを見つめないでっ……松尾……っ。





「……昨日は……」


 ……‼


 ドキドキして顔が真っ赤になって困っているとき。

 松尾が口を開いた。


「昨日は悪かったな。なんか遥稀に気を遣わせたみたいになってしまって」


 松尾は申し訳なさそうにそう言った。


「……え……そ……そんなことないよ。私、本当に急いでいたから」


 ……噓。

 本当は噓。




 本当は急ぎの用事なんて何もなかった。

 何もなかったけれど、私は急いで松尾と香原さんのいる空間から立ち去った。

 ……だって……。
 だって……耐えられなかった……から……。
 松尾と香原さんの……あの二人の空間に……。
 だから、そそくさに二人のところから立ち去った。


 でも、そのことを松尾に知られたくない。
 松尾と香原さんの二人の空間に耐えることができなかったから……なんて、そんなこと……。


「遥稀?」


 ……‼

 松尾と香原さんの二人の空間に耐えられなかったことを思い出して。
 思い出して辛くなってきたから。
 だから。
 その辛くなってきた気持ちが、そのまま表情(かお)に出てしまったのだと思う。
 たぶん今の私は、かなり辛そうな表情(かお)をしているのだろう。
 だからだと思う。
 松尾が心配そうに私の名前を呼んだ。





 松尾に名前を呼ばれてハッとした、私。


 私……よほど辛そうな表情(かお)をしていたんだ……。

 だから松尾が心配そうに……。


 ……って。

 ……‼

 私の表情(かお)を見て松尾が心配そうに……。
 ということは……。

 松尾は私の表情(かお)を見たことになる、わけで……。
 だから……。

 ~~~っっ‼

 つまり。
 こんな表情(かお)を松尾に見られてしまった、ということになる。
 そう思うと……。
 そう思うと、とても恥ずかしくなってくる。
 だから。


「はっ……話って、そのこと? だったら気にしなくていいからっ」


 私は恥ずかしくなった気持ちを隠すように必死に作り笑いをした。

 ……ただ。
 作り笑いをしたのは恥ずかしくなってきたからだけではない。
 もう一つ理由がある。

 それは……。