フォークで細めのパスタを巻き取り、ソースをたっぷりと絡める。息を吹きかけ少し冷ましてから、私は滑らかなソースに覆われたそれを口に運んだ。
「んっ……!」
濃厚だ。ソースの風味が、ふつうのチーズで作ったものとは明らかに違う。
強いコクと、しっかりとした味の主張。ロックフォールの独特の香り。生クリームの優しさがそれらに滑らかさを加え、ピリッとした胡椒が全体のバランスを引き締めている。
「おいしっ」
もっと刺激が欲しい時は上に乗ったロックフォールを絡めると、風味がぐっと強くなる。これは……癖になるな。
――お次のターゲットは、生ハムだ。
見るからにぎゅっと旨味が詰まった濃い赤が、私を『食べて』と誘惑する。
一枚フォークで取って……口に入れた瞬間。ふわりと木の香りにも似た熟成臭が漂った。
スーパーなどに置いてある安めの生ハムは、水気が多く熟成臭がほぼしない。そしてものによっては塩気が強い。
……あれはあれで、まぁ好きだけれど。チーズと一緒にパンに乗せて焼いたりすると美味しいよね。
この生ハムはしっとりとちょうどいい食感と、甘みのある塩気を舌に伝えてくる。噛みしめれば噛みしめるほどにじわりと広がる凝縮された肉の旨味を、私はたっぷりと堪能した。
そして仕上げはワインだ。当然、ワインなのである。
グラスに注いだ白ワインを、少し口に含む。その瞬間……
――すべてが、完成された。
ロックフォール、生ハム、白ワイン。
ここに完全なる味のシンフォニーが完成したのだ。
「うーまっ」
おっさんくさいとわかっていつつも、私はぷはーっと勢いよく息を吐き出す。
そんな私を、エルゥは慈愛に満ちた目で見つめていた。うう……『拾った猫が元気になっていくなぁ』という目だ、完全に。
皿の上のパスタは、どんどん無くなっていく。私がつい名残惜しいという目を皿に向けると、エルゥが自分の分を少し分けてくれた。
「琴子は美味しそうに食べてくれるから、嬉しくなるね」
「エルゥのご飯が美味しいからやね。一人の時は、ご飯なんてどうでもよかったし」
一人暮らしのはじめたての時は、ちゃんとご飯を食べていたような気がする。だけど気づかないうちに疲れて、疲れて。エルゥの言うように『精気』も『体力』も枯れ果てた人間になっていたのだろう。
……夢にエルゥが現れたのは、本当に運がよかったんだろうな。
「エルゥ」
「ん?」
もくもくとパスタを頬張りながら、エルゥが首を可愛く傾げる。この男の仕草はいちいち可愛い。
「……いつも、ありがと」
照れくさいから小声で言って、コンソメスープを口にする。それはエルゥの気遣いに溢れた、優しい味がした。
「どういたしまして、琴子」
エルゥはそう返して、優しい笑みを浮かべた。
それを見た瞬間胸の奥がぎゅっとした気がするのは、きっと気のせいだ。
「じゃあ、そろそろソルベを用意しようかな」
綺麗な所作で食事を終えたエルゥが、冷蔵庫へと向かう。そして鮮やかなオレンジ色のアイスを皿に盛って戻ってきた。
「それは?」
「にんじんとバナナのソルベ。食物繊維がたっぷりだよ!」
スプーンに掬ったソルベを、エルゥが私の口に押し込む。
するとふわりと優しい甘さが、口中に広がった。
「……美味しい」
「でしょ?」
にこりと笑って私にソルベを渡すと、エルゥも自分を食べはじめた。
☆
エルゥが会社に現れた、その翌日。
出社すると……井上君が眼鏡からコンタクトになっていた。
分厚くデザインがやぼったい眼鏡からコンタクトになった井上君は、今までと印象がかなり違う。……これは髪も切ったのかな?
野暮ったい眼鏡や長い前髪の時は、彼の顔がこんなに整ってるなんて思いもしなかった。
井上君、イケメンだったんだね。元がよくても手入れは大事だということか。
「眼鏡やめたんだ。髪も切った?」
「……まぁ、そうですね」
私の言葉に答える井上君は、いつもながらに言葉少なだ。それに慣れている私は気を悪くすることもなく、彼の向かいのデスクに座った。
そして、ある言葉を言い忘れていたことに気づく。
「似合ってるね」
パソコンからひょいと顔を出してそう言うと、井上君は少し沈黙したあとに――
白い頬を真っ赤に染めた。
「おはようございまーす。なになに井上君~! 色気づいちゃって!」
出社してきた江村さんも、いち早く井上君のイメージチェンジに気づく。そして声をかけながら、彼の背中をバンバンを叩いた。そんな江村さんに井上君は『迷惑だ』とばかりの視線を投げる。
井上君と江村さんの相性は……あまりよくない。
井上君は極力人と関わりたくないタイプで、江村さんはぐいぐい関わってくるタイプだからなぁ。磁石の端と端みたいなものである。
「好きな子でもできたか? お姉さんに教えなさいよ~!」
「江村さん。それセクハラですよ」
「井上君、ノリ悪いなぁ~!」
江村さんは大きな声で言うと、わざとらしくため息をついた。
……社長のセクハラ発言を怒っていた人物と、同一とは思えないな。
私は井上君に助け舟を出そうと、江村さんに別の話題を振ることにした。
「そういえばバーベキュー。エルゥも来るって言ってましたよ」
「マジで!? やったー!! 目の保養って大事やもんねぇ!」
江村さんはあっさりとエルゥの話に乗り換える。視界の端で井上君がほっとしたように息を吐き、こちらに小さく頭を下げた。
「バーベキュー場の周囲ってスーパーとかありましたっけ?」
「あるよー。駐車場の近くにスーパーがあって、そこで買い出しをしてから徒歩五分のバーベキュー場に向かう感じ。現地で道具も貸してもらえるから、みんな手ぶらで大丈夫」
「それ、楽でいいですね」
「やろー! 井上君は来ないんだよね?」
江村さんが訊ねながら視線を向けると、井上君は少し困ったような表情になった。
バーベキューへの参加は強制ではない。そして井上君は、不参加を表明してたんだっけ。
「……気が変わったので。行きます」
井上君は小さな声でそう言うと、パソコンに目を向けた。
……めずらしい。
社内の飲み会も『暇じゃないので』と、ばっさり断る井上君が。
屋外なので陽がさんさんと差し、社長や江村さんのご家族も来る……飲み会よりも数段騒々しいバーベキューに来るなんて。
「へーめずらしい。社長が来たら言っといてね」
江村さんはそう言うと、手をひらりと振ってから自分のデスクへと向かう。
エルゥも来るし、大所帯になるなぁ。
「んっ……!」
濃厚だ。ソースの風味が、ふつうのチーズで作ったものとは明らかに違う。
強いコクと、しっかりとした味の主張。ロックフォールの独特の香り。生クリームの優しさがそれらに滑らかさを加え、ピリッとした胡椒が全体のバランスを引き締めている。
「おいしっ」
もっと刺激が欲しい時は上に乗ったロックフォールを絡めると、風味がぐっと強くなる。これは……癖になるな。
――お次のターゲットは、生ハムだ。
見るからにぎゅっと旨味が詰まった濃い赤が、私を『食べて』と誘惑する。
一枚フォークで取って……口に入れた瞬間。ふわりと木の香りにも似た熟成臭が漂った。
スーパーなどに置いてある安めの生ハムは、水気が多く熟成臭がほぼしない。そしてものによっては塩気が強い。
……あれはあれで、まぁ好きだけれど。チーズと一緒にパンに乗せて焼いたりすると美味しいよね。
この生ハムはしっとりとちょうどいい食感と、甘みのある塩気を舌に伝えてくる。噛みしめれば噛みしめるほどにじわりと広がる凝縮された肉の旨味を、私はたっぷりと堪能した。
そして仕上げはワインだ。当然、ワインなのである。
グラスに注いだ白ワインを、少し口に含む。その瞬間……
――すべてが、完成された。
ロックフォール、生ハム、白ワイン。
ここに完全なる味のシンフォニーが完成したのだ。
「うーまっ」
おっさんくさいとわかっていつつも、私はぷはーっと勢いよく息を吐き出す。
そんな私を、エルゥは慈愛に満ちた目で見つめていた。うう……『拾った猫が元気になっていくなぁ』という目だ、完全に。
皿の上のパスタは、どんどん無くなっていく。私がつい名残惜しいという目を皿に向けると、エルゥが自分の分を少し分けてくれた。
「琴子は美味しそうに食べてくれるから、嬉しくなるね」
「エルゥのご飯が美味しいからやね。一人の時は、ご飯なんてどうでもよかったし」
一人暮らしのはじめたての時は、ちゃんとご飯を食べていたような気がする。だけど気づかないうちに疲れて、疲れて。エルゥの言うように『精気』も『体力』も枯れ果てた人間になっていたのだろう。
……夢にエルゥが現れたのは、本当に運がよかったんだろうな。
「エルゥ」
「ん?」
もくもくとパスタを頬張りながら、エルゥが首を可愛く傾げる。この男の仕草はいちいち可愛い。
「……いつも、ありがと」
照れくさいから小声で言って、コンソメスープを口にする。それはエルゥの気遣いに溢れた、優しい味がした。
「どういたしまして、琴子」
エルゥはそう返して、優しい笑みを浮かべた。
それを見た瞬間胸の奥がぎゅっとした気がするのは、きっと気のせいだ。
「じゃあ、そろそろソルベを用意しようかな」
綺麗な所作で食事を終えたエルゥが、冷蔵庫へと向かう。そして鮮やかなオレンジ色のアイスを皿に盛って戻ってきた。
「それは?」
「にんじんとバナナのソルベ。食物繊維がたっぷりだよ!」
スプーンに掬ったソルベを、エルゥが私の口に押し込む。
するとふわりと優しい甘さが、口中に広がった。
「……美味しい」
「でしょ?」
にこりと笑って私にソルベを渡すと、エルゥも自分を食べはじめた。
☆
エルゥが会社に現れた、その翌日。
出社すると……井上君が眼鏡からコンタクトになっていた。
分厚くデザインがやぼったい眼鏡からコンタクトになった井上君は、今までと印象がかなり違う。……これは髪も切ったのかな?
野暮ったい眼鏡や長い前髪の時は、彼の顔がこんなに整ってるなんて思いもしなかった。
井上君、イケメンだったんだね。元がよくても手入れは大事だということか。
「眼鏡やめたんだ。髪も切った?」
「……まぁ、そうですね」
私の言葉に答える井上君は、いつもながらに言葉少なだ。それに慣れている私は気を悪くすることもなく、彼の向かいのデスクに座った。
そして、ある言葉を言い忘れていたことに気づく。
「似合ってるね」
パソコンからひょいと顔を出してそう言うと、井上君は少し沈黙したあとに――
白い頬を真っ赤に染めた。
「おはようございまーす。なになに井上君~! 色気づいちゃって!」
出社してきた江村さんも、いち早く井上君のイメージチェンジに気づく。そして声をかけながら、彼の背中をバンバンを叩いた。そんな江村さんに井上君は『迷惑だ』とばかりの視線を投げる。
井上君と江村さんの相性は……あまりよくない。
井上君は極力人と関わりたくないタイプで、江村さんはぐいぐい関わってくるタイプだからなぁ。磁石の端と端みたいなものである。
「好きな子でもできたか? お姉さんに教えなさいよ~!」
「江村さん。それセクハラですよ」
「井上君、ノリ悪いなぁ~!」
江村さんは大きな声で言うと、わざとらしくため息をついた。
……社長のセクハラ発言を怒っていた人物と、同一とは思えないな。
私は井上君に助け舟を出そうと、江村さんに別の話題を振ることにした。
「そういえばバーベキュー。エルゥも来るって言ってましたよ」
「マジで!? やったー!! 目の保養って大事やもんねぇ!」
江村さんはあっさりとエルゥの話に乗り換える。視界の端で井上君がほっとしたように息を吐き、こちらに小さく頭を下げた。
「バーベキュー場の周囲ってスーパーとかありましたっけ?」
「あるよー。駐車場の近くにスーパーがあって、そこで買い出しをしてから徒歩五分のバーベキュー場に向かう感じ。現地で道具も貸してもらえるから、みんな手ぶらで大丈夫」
「それ、楽でいいですね」
「やろー! 井上君は来ないんだよね?」
江村さんが訊ねながら視線を向けると、井上君は少し困ったような表情になった。
バーベキューへの参加は強制ではない。そして井上君は、不参加を表明してたんだっけ。
「……気が変わったので。行きます」
井上君は小さな声でそう言うと、パソコンに目を向けた。
……めずらしい。
社内の飲み会も『暇じゃないので』と、ばっさり断る井上君が。
屋外なので陽がさんさんと差し、社長や江村さんのご家族も来る……飲み会よりも数段騒々しいバーベキューに来るなんて。
「へーめずらしい。社長が来たら言っといてね」
江村さんはそう言うと、手をひらりと振ってから自分のデスクへと向かう。
エルゥも来るし、大所帯になるなぁ。