「バーベキュー? いいんじゃない?」

 帰宅してエルゥに訊ねてみると、彼はエプロン姿で洗濯物を畳みながらあっさりとそう返した。

「でも、エルゥって結構な不審者やんか」
「……うわぁ、不審者って言われた」
「だって見るからに外国籍のただ者じゃない美形だし。職質されそう」
「職質……」

 私の言葉にエルゥは少し傷ついたような顔をする。そして顎に綺麗な手を当てて、うーんと少し考えてから口を開いた。

「琴子が居ない間にね。ちょっと暇な時間ができる時があるんだけど」
「……まぁ、そうだろうね」

 エルゥはなにをやるにも、とてつもなく要領がいい。だから短時間で家事も完璧に終わってしまう。暇な時間くらい、あってもおかしくないだろう。

「だから実は、琴子のパソコンを借りて翻訳の在宅ワークをはじめてて。いろいろな国の子を相手にするから、何ヶ国語かは読み書きできるし」
「在宅ワーク? 身分証は!?」
「身分証が必要ない個人との取引でやってるよ。口座はさすがに持てないから、通販サイトのギフト券で支払ってもらってる」
「……ギフト券」

 悪魔の口から出てくる庶民的な単語の数々に私は呆然とする。エルゥがそんなことをはじめていたなんて、一体なぜ。

「なんで仕事なんて?」
「琴子のお金ばっかり使ってたら、悪いでしょ? ギフト券があれば、通販サイトでいろいろ食材を買えるからねぇ」

 そう言ってエルゥは可愛らしく、にこにこと笑った。
 ……なんて、常識的な悪魔なんだろう。
 しかし、確定申告はどうしたらいいのかな。経費を引いて年間二十万以内なら、申告しなくて済むんだっけ。うちは副業OKだし、いざとなったら私の方でまとめて申告するか。

「だから会社の人たちには、在宅で翻訳仕事をやってますーって言えばいいんじゃないかなって。本業はインキュバスだけど、最近は琴子のとこにずっといるからお休みしてるしね。ほら、不審者じゃない!」

 エルゥはえへんと胸を張る。
 ……悪魔が不審者じゃないとはこれいかに、という感じだけれど。面倒だからツッコむのはやめよう。

「それでね。ギフト券で通販したものがそろそろ来るはずなんだけど……」

 その時、玄関からチャイムの音がした。

「はーい!」

 羊の下半身のまま玄関に走り出そうとするエルゥの尻尾を、私はグイッと引く。
 エプロンをしてたから気づいてなかったけど、こいつ今日も下半身裸だな!

「私が受け取るから! 配達員さんに見えないとこにいて!」
「……はぁい」

 エルゥはしぶしぶと部屋の隅っこへ行く。
 ドアを開けると通販サイトの大きな箱を抱えた配達員がいて、私は目を丸くした。この大きさ……一体なにを買ったんだ。
 判子を押してドアを閉めると、いつの間にか背後に来ていたエルゥが私の手から荷物を受取る。そして鼻歌を歌いながら、ダンボールを開封しはじめた。

「エルゥ、なにそれ」
「お酒が大好きな琴子が喜ぶもの。なんだと思う?」
「……おつまみセットとか?」
「んー、近くて遠い!」

 そう言いながらエルゥが取り出したのは……

「……でっかい棍棒?」
「違う! 生ハムの原木だよ! イタリアン系のお店のカウンターとかで見た事ない?」

 茶色の大きな棍棒みたいな……『生ハムの原木』だった。

「エルゥ! 高かったんじゃ!?」
「大丈夫だよー安めのを買ったから。ニ万円くらいだったかな。ほら、専用の台座とナイフもついてるの」

 エルゥはワクワクした表情で、台座やナイフを見せながら説明してくれるけれど……二万円ってそこそこいい値段だな?
 しかし……これは正直魅力的だ。
 私は、生ハムが好きだ。特に青カビ系のチーズと白ワインと一緒に食べるのが好きだ。
 この原木があれば生ハムがしばらく食べ放題なんだよね!?

「そしてもう一つ、通販したのがあるんだよねぇ」

 そう言ってエルゥは冷蔵庫に向かうと……手のひらサイズの白い塊を持って戻ってきた。

「それは?」
「ロックフォールだよ。ちなみに三百グラムあります」

 ロックフォール。三大青カビチーズの一つだ。
 山羊の乳を使用したもので、ピリッとした風味と濃厚な香り、そして深いコクを味わえる。
 匂いが独特なため好みが分かれる部類のチーズだけれど……私の大好物だ。
 百グラムで千五百円くらいするから、なかなか手を出せないんだよね。エルゥ、翻訳業で結構稼いでるな?

「塩分濃度が高いから、一日に食べる量は制限するからね」

 チーズを眺めながらよだれを垂らしそうになっている私に、エルゥがきっちりと釘を刺した。……くそぅ。

「今晩はこの生ハムとロックフォールを贅沢に使用した、パスタを作ります」
「エルゥ様!」

 私は思わず喝采を上げた。エルゥは得意げな顔で、ふふんと胸をそらす。
 なんて素晴らしいメニューなのだろう! だけどせめてパンツは履いて欲しい!

「あとはスープでも作るかな……。家にはビールしかないから、ワインが欲しいなら買ってきてね?」
「今すぐ買ってくる!」

 私は財布を握ると一目散に、片道十分のコンビニへと走った。生ハムとチーズがあってワインがないなんて、片手落ちというやつになってしまう。
 ワイン二本を手にして戻り、アパートの玄関を開けた瞬間。チーズの濃厚な香りが鼻腔を刺激した。

「いい匂い……!」
「おかえり、琴子」

 私の帰宅に気づいたエルゥがにこりと笑う。エプロンを着けて髪をポニーテールにしたその姿は、どこか色っぽい。
 手元を見ると彼はフライパンでチーズを溶かし、パスタソースを作っているようだ。その濃厚な香りに、喉が自然にごくりと鳴った。

「琴子。我慢できないようだったら、先にこれを食べてて」

 そう言ってエルゥが差し出した小皿には、チーズ用のクラッカーにロックフォールを乗せたものが数切れ乗っていた。

「いいの?」
「うん。お腹空いてるでしょ?」

 エルゥはさらに、小さなグラスを渡してくる。……先にワインを飲んでもかまわないというお許しだろう。
 ちなみにワインは少し奮発して、二千円のものを買ってきた。生ハム様とロックフォール様をいただくのに、平素のワンコインのワインではバチが当たる。今日はなんて贅沢な食卓なのだろう。
 私はお皿を受け取るといそいそ部屋に向かった。そしてクッションに腰を下ろし、グラスに白ワインを注いでからチーズ乗せクラッカーを口にする。

「くぅっ!」

 青カビの味わいが舌を刺激する。このチーズは、塩気も、香りも、舌に伝わる感覚も。とにかくすべてが『濃い』のだ。
 その濃さをクラッカーがほどよく和らげ、ワインを飲むと口中で豊かな調和が生まれる。

「は~最高に美味しい。さすが世界三大青カビチーズ……」

 うっとりしながら二口、三口と夢中で口にする。するとあっという間に、お皿の上は空っぽになってしまった。

「琴子、テーブル出して~」

 ロックフォールの味の名残に浸っていると、エルゥに声をかけられた。どうやらご飯ができたらしい。私はエルゥにお皿を返してから、猫脚テーブルを広げた。我が家は収納が少ないので、収納用の家具がそれなりに多い。だからテーブルを出したままにしておくスペースの余白がないのだ。
 ……最近はエルゥがいるから、さらに狭いしな。

「エルゥ、出したよ」
「ありがとう。今日のご飯はなかなか美味しいと思うよ」

 テーブルの上に、エルゥがランチョンマットを敷いてからお皿を並べる。
 湯気を立てる温かなお皿を見ると、そこには真っ白なソースがかかったパスタが鎮座していた。ソースの上から乗せられているのは、ロックフォールを刻んだものと……たっぷりの生ハム。
 生ハムは赤の艶めかしい断面を惜しげもなく晒しながら、小山のように重なり合っている。
 ああ、スーパーで買う時には高くて躊躇する生ハムがこんなにたっぷり乗っているなんて!

「美味しそう!」
「あとはコンソメスープと、デザートに手作りのソルベもあるよ」
「ソルベ?」
「シャーベット」

 エルゥはニコニコしながらテーブルにマグカップをコトリと置く。それには、いい香りを立てる茶色のシンプルなスープが入っていた。

「今日は野菜が少ないから、明日は多めにしないとね」
「エルゥ、食べてよか?」
「もう、琴子は人の話を聞かないんだから。いいよ、食べても」

 ため息とともに零されたエルゥの言葉を聞いて、私は勢いよくパスタの皿に手をかけた。