「ちょっと~~嶺井さん! あんなすごい彼氏おったん!?」
「彼氏じゃないですよ!」
「じゃあなんなん!」
「……う」

 エルゥが帰った後。すぐさま江村さんに激しく詰め寄られ、私は言葉に詰まってしまった。
 エルゥとの関係は説明できない。説明、できるわけがない。

「たまに家に来てご飯を作ったくれたりする……友達ですよ」
「ええー。あんないい男と一緒にいて、なにもないわけないやろー!」

 たしかにキスはしているけれど、本当にそれ以上のことはないのだ。しかし江村さんが言うように、自分の言っていることが客観的に説得力がないこともわかる。
 だから私は、曖昧な笑みを浮かべることしかできなかった。

「……遊ばれてるんじゃ、ないですか」

 静かな声が空気を打った。そちらに目を向けると、少し機嫌が悪そうな井上君がこちらを見つめている。騒がしくしてしまったから、機嫌を損ねたかな。

「遊ばれてるもなにも、本当になにもないから」

 愛想笑いをしながら井上君にそう返すと、私は江村さんと一緒に休憩室へ足を向けた。
 ……早くしないとお昼休みが終わってしまう。騒動を起こしたとはいえ、せっかくエルゥが持ってきてくれたんだからお弁当を食べないと。

「ねね、今までのお弁当もあの彼氏が作ってくれとったん?」
「……彼氏じゃないですけど、そうですね」
「なんで今まで言ってくれんかったと!」
「こうなるのが、わかってたんで」

 休憩室で江村さんに引き続き質問攻めをされながら、私はお弁当箱を開けた。
 すると中身は……美味しそうなハンバーグとサラダ、ゆで卵。そしておにぎりが二つ入ったお弁当だった。メモ紙が入っていたのでそれを開くと『お豆腐も混ぜて作ってるから、ヘルシーだよ!』と、可愛らしいエルゥの文字で書いてある。

 ……女子力の塊か。

 追加で渡された包みを開けると、スリムなタンブラーとタッパーに詰められた手作りプリンが入っていた。タンブラーを開けて匂いを嗅ぐ。匂いからすると、中身はにんじんと林檎のジュースらしい。家にジューサーなんてあったっけ……。まぁいいか、エルゥはなんだかんだで悪魔だしな。別の手段があるんだろう。

「すごいね……」

 私のお弁当を眺めながら、江村さんがため息をつく。そう言う江村さんのお手製お弁当だって、とても美味しそうだ。

「そうですね」

 私は同意しつつおにぎりを一つ手に取った。おにぎりには枝豆と塩昆布が混ぜ込んであって、見た目の彩りがとてもいい。

「愛されてるねぇ。ハンバーグに、混ぜ込みご飯のおにぎりにって朝から作るの結構大変だと思うよ」

 江村さんは感心したように言いながら、自分のお弁当の唐揚げを口にした。
 ……愛されてるわけじゃ、ないんだよなぁ。
 やつは痩せた子猫を育てているつもりなのだ。しかも、食べるために。
 そんなことを考えつつも、私はおにぎりを口にした。
 爽やかな枝豆の香りと、塩昆布の旨味のある塩気。それがもっちりと炊けたお米とよく合っている。

「うわ、もちもちしてる。うま!」

 口から称賛の言葉が零れ、江村さんが羨ましそうな顔をする。
 今までは自分のお弁当を自画自賛しながら食べる変な人になってしまうので、できるだけ反応しないようにしていたけれど。もうエルゥが作ったものだとバレてしまったもんね。

「ちょっと食べます?」
「食べる! イケメンご飯! 代わりに私のもあげる!」

 おにぎり半分とハンバーグ三分の一を江村さんのお弁当箱に入れると、私のお弁当箱には厚焼き玉子一切れと唐揚げが入れられる。なかなかフェアなトレードだ。
 江村さんはうきうきする様子を隠しもせずにエルゥのハンバーグを口に入れると、カッと目を剥いた。

「なにこれ。美味しすぎる! 主婦の自信を失いそうなんだけど!」

 江村さんはあっという間にハンバーグを平らげてしまう。それを見た私もハンバーグを口にした。

「……っ!」

 ふわふわだ。ふわふわのハンバーグだ。
 お弁当のハンバーグって水気が抜けて少しぱさつくイメージだけれど、エルゥのハンバーグはふわふわでしっとりとしている。これは豆腐を入れたからかな。
 下味がしっかりと付いているからか、ソースはケチャップだけなのに味気ないなんてこともない。手作りジュースを口にすると、それはにんじんと林檎をバランスよく使ったもので、野菜の臭みを感じない爽やかな味だ。
 あの悪魔は本当に……好みに刺さるご飯を作る。
 江村さんの卵焼きと唐揚げもとっても美味しいもので、それを伝えたら『旦那の好みの味付けなんだ』と少し照れたように彼女は言った。江村さんご夫婦は本当に仲がいいな。

「プリンも食べます?」
「食べる!」

 訊ねてみると、元気のいい返事が返ってくる。
 気はそこそこ強いけれど生活態度は大人しめの私と違って、江村さんはいつもはつらつとしている。同じクラスだったら絶対グループが違ったな。
 プリンはタッパーに入っていて、開けるとふるりと可愛く黄色の体を揺らした。カラメルも横着せずきちんと乗っていて、エルゥのマメさに感心する。
 江村さんがお弁当の蓋を差し出してきたのでプリンを半分それに乗せて、私はプリンを口にした。

「……おいし」
「んーまっ!」

 私と江村さんが声を発したのは同時だった。
 なめらかなプリンは、濃い卵の味を感じさせながら口の中で崩れ落ちる。カラメルのほろ苦い味も実に絶妙だ。

「ほんと美味しい! うちの旦那も料理はしてくれるんだけど、男の料理! って感じやけん。それなりに美味しいし、不満はないんだけど」

 江村さんの家は、晩ご飯と休日の三食は旦那さんの担当らしい。
『どっちも働いてんだから、当たり前でしょ』と旦那さんは当然のように言ったそうだ。共働きが当たり前になっても『家事は女性がやるもの』なんて意識が根強い日本で、自然にそういう行動ができる旦那さんはちゃんとした人なんだなと思う。

「いや~嶺井さんの彼氏さん、すごいね」

 江村さんはプリンを口にしながら、うんうんと何度も頷く。
 ……彼氏じゃ、ないんだけど。
 しかし否定するのも面倒になってきたので、私は曖昧な笑みを浮かべた。

「エルゥは、なんでもできる人なんです」

『人』という部分に疑問符を浮かべつつも、私はそう言った。
 女の子とイチャイチャするためとはいえ、ここまで技術を高められるエルゥはすごいと思う。自分がインキュバスの女性版――サキュバスというらしい――に生まれていたとしても、面倒くさがりの私にはこんなことはできなかっただろう。
 江村さんが、ずずいとこちらに詰め寄ってくる。
 その妙にキラキラした表情に……嫌な予感を覚えた。

「二週間後にさ、社内のバーベキューあるやん。彼氏、連れてきなよ! うちの旦那も来るんだし!」
「えっ!」

 ガッ! と強く肩を掴まれ、激しく何度も揺さぶらる。これは……拒絶させるつもりが最初から無い!?
 勢いに飲まれた私は「エルゥが了承したら」と、ついそんな返事をしてしまった。