エルゥと母が会う日は、三日後に決まった。
メッセージへの返信は驚くくらいに早くて、私はそれに眉を顰めた。
十二年も放置しておいて本当にどういうつもりなのだろう。祖父母の葬儀にさえ、母は現れなかったのだ。
私の内心の葛藤にはお構いなしで、日々は淡々と過ぎていく。
そしてエルゥと母が会う前日になった。
「戦の準備をしよう、琴子」
「戦の準備?」
エルゥの言葉に私は首を傾げた。
「明日に備えて、美味しいものを食べよう! 具体的に言うと、蟹です」
そうだ。北海道物産展で買った蟹をまだ食べていないのだ。
蟹はボイルされ、冷凍庫に保管されている。
「焼き蟹だっけ? それって、どうやって食べるの?」
「今日はこれを使います」
そう言ってエルゥが流しの下から取り出したのは……小型のホットプレートだった。
いつの間に買ったんだろうな。我が家にはエルゥが通販したものが、細々と増えていっている。それで美味しいものが食べられるのだから、いいんだけど。
エルゥはホットプレートを猫脚テーブルの上に置くと台所へと向かう。そしてもうすでに食べやすいように、殻をカットした蟹を皿に乗せて戻ってきた。エルゥは準備が非常にいい。
蟹は豪奢な白い身を晒しながらお皿の上に並んでいる。
「すごい、いっぱいある!」
「大きなサイズを買ったもんね」
熱したホットプレートに蟹が並べられ、少し水を入れてから蓋が閉められた。するとじゅうじゅうと蟹が焼ける音とともに良い香りが漂ってくる。
「そのままで食べても美味しいと思うけど、ポン酢も用意するね」
エルゥは市販品のポン酢を持ってくると、お皿に注いでこちらに渡した。
「ビール、飲んでいい?」
「いいよ戦の前だし。いっぱい飲もう」
近頃飲みすぎの自覚があるのでおそるおそる訊くと、笑いながらそう言われた。やった『いっぱい』のお許しが出た! 私はいそいそとビールを取りに冷蔵庫へと向かう。そしてちょっと贅沢なビールを二缶冷蔵庫から出して、一缶をエルゥに渡した。
「……あの人に会いに行くのはエルゥなのに、私まで戦支度をしていいのかな」
「いいの! だって待ってる方もしんどいでしょう」
エルゥはそう言いながらホットプレートの蓋を開ける。すると蟹の焼ける香ばしい香りが、部屋中に広がった。
「美味しそう!」
「じゃあ、食べようか」
腰を下ろして「いただきます」を二人でする。箸で蟹の足を摘んで皿に移し、ふーふーと息を吹きかけ少し冷ましてから最初はなにも付けずにかぶりついた。
適度な塩気と、深い旨み。そして濃厚に漂う蟹の香ばしい香り。
「あつ! 美味しいっ……!」
「琴子、火傷しないように気をつけて」
はふはふと身を口の中で転がしながら食べる私に、エルゥが心配そうに声をかける。
「らいじょぶっ、あつっ!」
熱い身に口内を焼かれて、私は慌ててビールを飲んだ。しゅわりとした炭酸が、熱さを和らげ喉を滑り落ちる。蟹の風味とビールの苦味が交わり、味覚を充足感が満たしていく。
「――最高」
私は自然に、そんな声を漏らしていた。
「良かったねぇ。……実はこんなものも用意したんだけど」
「雲丹だ!」
皿に載った黄色の塊を見て、私は歓声を上げた。
殻付きで買った雲丹は、エルゥが蒸して冷凍保存してくれていた。そうしていると長持ちするそうだ。……なんてマメなインキュバスなんだろう。
手渡された醤油とわさびを付けて、雲丹を口に放り込む。すると口の中で、雲丹が甘みを残しながらとろりと蕩けた。
「美味しい……!」
「どれも素材のままで美味しいねぇ」
エルゥも顔を綻ばせながら雲丹を口にし、ビールを上品に一口飲む。
「幸せだなぁ」
しばらく蟹を無言で食べたあとに、そんな言葉を口にしながらふっと息を吐き出すと、エルゥにくすりと笑われた。
母のこと、という懸念はあるけれど。きっと大丈夫。
――だって、私にはエルゥが居る。
メッセージへの返信は驚くくらいに早くて、私はそれに眉を顰めた。
十二年も放置しておいて本当にどういうつもりなのだろう。祖父母の葬儀にさえ、母は現れなかったのだ。
私の内心の葛藤にはお構いなしで、日々は淡々と過ぎていく。
そしてエルゥと母が会う前日になった。
「戦の準備をしよう、琴子」
「戦の準備?」
エルゥの言葉に私は首を傾げた。
「明日に備えて、美味しいものを食べよう! 具体的に言うと、蟹です」
そうだ。北海道物産展で買った蟹をまだ食べていないのだ。
蟹はボイルされ、冷凍庫に保管されている。
「焼き蟹だっけ? それって、どうやって食べるの?」
「今日はこれを使います」
そう言ってエルゥが流しの下から取り出したのは……小型のホットプレートだった。
いつの間に買ったんだろうな。我が家にはエルゥが通販したものが、細々と増えていっている。それで美味しいものが食べられるのだから、いいんだけど。
エルゥはホットプレートを猫脚テーブルの上に置くと台所へと向かう。そしてもうすでに食べやすいように、殻をカットした蟹を皿に乗せて戻ってきた。エルゥは準備が非常にいい。
蟹は豪奢な白い身を晒しながらお皿の上に並んでいる。
「すごい、いっぱいある!」
「大きなサイズを買ったもんね」
熱したホットプレートに蟹が並べられ、少し水を入れてから蓋が閉められた。するとじゅうじゅうと蟹が焼ける音とともに良い香りが漂ってくる。
「そのままで食べても美味しいと思うけど、ポン酢も用意するね」
エルゥは市販品のポン酢を持ってくると、お皿に注いでこちらに渡した。
「ビール、飲んでいい?」
「いいよ戦の前だし。いっぱい飲もう」
近頃飲みすぎの自覚があるのでおそるおそる訊くと、笑いながらそう言われた。やった『いっぱい』のお許しが出た! 私はいそいそとビールを取りに冷蔵庫へと向かう。そしてちょっと贅沢なビールを二缶冷蔵庫から出して、一缶をエルゥに渡した。
「……あの人に会いに行くのはエルゥなのに、私まで戦支度をしていいのかな」
「いいの! だって待ってる方もしんどいでしょう」
エルゥはそう言いながらホットプレートの蓋を開ける。すると蟹の焼ける香ばしい香りが、部屋中に広がった。
「美味しそう!」
「じゃあ、食べようか」
腰を下ろして「いただきます」を二人でする。箸で蟹の足を摘んで皿に移し、ふーふーと息を吹きかけ少し冷ましてから最初はなにも付けずにかぶりついた。
適度な塩気と、深い旨み。そして濃厚に漂う蟹の香ばしい香り。
「あつ! 美味しいっ……!」
「琴子、火傷しないように気をつけて」
はふはふと身を口の中で転がしながら食べる私に、エルゥが心配そうに声をかける。
「らいじょぶっ、あつっ!」
熱い身に口内を焼かれて、私は慌ててビールを飲んだ。しゅわりとした炭酸が、熱さを和らげ喉を滑り落ちる。蟹の風味とビールの苦味が交わり、味覚を充足感が満たしていく。
「――最高」
私は自然に、そんな声を漏らしていた。
「良かったねぇ。……実はこんなものも用意したんだけど」
「雲丹だ!」
皿に載った黄色の塊を見て、私は歓声を上げた。
殻付きで買った雲丹は、エルゥが蒸して冷凍保存してくれていた。そうしていると長持ちするそうだ。……なんてマメなインキュバスなんだろう。
手渡された醤油とわさびを付けて、雲丹を口に放り込む。すると口の中で、雲丹が甘みを残しながらとろりと蕩けた。
「美味しい……!」
「どれも素材のままで美味しいねぇ」
エルゥも顔を綻ばせながら雲丹を口にし、ビールを上品に一口飲む。
「幸せだなぁ」
しばらく蟹を無言で食べたあとに、そんな言葉を口にしながらふっと息を吐き出すと、エルゥにくすりと笑われた。
母のこと、という懸念はあるけれど。きっと大丈夫。
――だって、私にはエルゥが居る。