「? ……誰だろ」
フローリングの上で音を立てたスマホを私は手に取った。そして見知らぬ番号からのSMSの通知に眉を顰める。
数少ない大学時代の友人ならばメッセージアプリを使う。会社の人たちも概ねそのような感じだ。
迷惑メッセージか間違いかと思いながらメッセージを開いて……その文面を見た瞬間、呼吸が止まった。
『元気にしていますか? 久しぶりに話がしたいので、一度会いましょう』
「お母、さん……」
そして久しぶりに口にする、もう二度と発することはないと思っていた、その言葉が零れた。
嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ。なんで今さら母から連絡が来たの?
体が震え、冷や汗がじわりと背中を伝った。
そういえば……どうして母は、私の携帯番号を知っていたのだろう。
母とは十年以上会っていない。だから私の所在や連絡先を彼女が知るわけがないのに……誰が連絡先を漏らした?
大学生の時に祖母の葬式で会った口が軽い叔母の顔を思い浮かべる。
彼女とは葬儀の打ち合わせの関係で、連絡先を交換した。おそらく……彼女だ。
携帯の番号を変えていなかったことを心底後悔しながら、私は舌打ちをした。
叔母は私の現住所までは知らない。だからこのメッセージや、今後かかってくるかもしれない電話を無視すればいいだけの話。
そうは思っていても、突然絡みついてきた『過去』が心を黒く侵食していく。
嫌だ、怖い。どうして。
体を震わせながら、ぐるぐるとそればかりを考えていた時……
「琴子~! ココアだよ!」
脳天気なエルゥの声が部屋に響いた。ぱっとそちらを見ると、彼は真剣な表情でこちらに近づいてくる。そしてココアを手渡してから、じっと私の瞳を覗き込んだ。
「顔色が悪いよ。怖いこと、あった?」
両手で頬を包まれて、優しく囁かれる。それだけで心の緊張が緩んだ気がした。
「母から、連絡が……」
「母親? それは……琴子にとっての怖い人?」
エルゥの問いに、何度も頷く。すると彼はぽんぽんと優しく頭を撫でてくれた。
「とりあえず、ココア飲んで。そして僕で良ければ、話を聞かせて? 無理にとは言わないから」
「……わかった」
ココアを飲んでいる間、エルゥがそっと寄り添ってくれる。右肩に感じる温かさとココアの甘さが、体の震えを少しずつ鎮めてくれた。
「……美味しい」
「それはよかった」
「ありがとう、エルゥ」
「いいえ、どういたしまして」
何気ない日常の会話。それが今はありがたい。
唯一の肉親からのメッセージ。それは隣に居るインキュバスよりも、私にとっては非日常だ。
ココアを冷ましながらちびちびと飲み干していく。底に残った黒いどろどろとした溶け残りは、私の心に積もった淀みのようだ。それを見つめながら、私はふうと息を吐いた。
「エルゥ、聞いてもらっていい?」
大学で知り合った仲がいい友人たちにも、元恋人にも話していない……私の話。
「いくらでも聞くよ。ゆっくり話して」
エルゥはそう言うと、私の緊張を解すためだとわかる柔和な笑みを浮かべた。
深呼吸を数度してから口を開く。だけど緊張でなかなか言葉が出てこない。そんな私を、エルゥはなにも言わずに辛抱強く見守ってくれる。
「……私、十二の時に母に捨てられて」
やっと口にした言葉は、酷く震えていた。
フローリングの上で音を立てたスマホを私は手に取った。そして見知らぬ番号からのSMSの通知に眉を顰める。
数少ない大学時代の友人ならばメッセージアプリを使う。会社の人たちも概ねそのような感じだ。
迷惑メッセージか間違いかと思いながらメッセージを開いて……その文面を見た瞬間、呼吸が止まった。
『元気にしていますか? 久しぶりに話がしたいので、一度会いましょう』
「お母、さん……」
そして久しぶりに口にする、もう二度と発することはないと思っていた、その言葉が零れた。
嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ。なんで今さら母から連絡が来たの?
体が震え、冷や汗がじわりと背中を伝った。
そういえば……どうして母は、私の携帯番号を知っていたのだろう。
母とは十年以上会っていない。だから私の所在や連絡先を彼女が知るわけがないのに……誰が連絡先を漏らした?
大学生の時に祖母の葬式で会った口が軽い叔母の顔を思い浮かべる。
彼女とは葬儀の打ち合わせの関係で、連絡先を交換した。おそらく……彼女だ。
携帯の番号を変えていなかったことを心底後悔しながら、私は舌打ちをした。
叔母は私の現住所までは知らない。だからこのメッセージや、今後かかってくるかもしれない電話を無視すればいいだけの話。
そうは思っていても、突然絡みついてきた『過去』が心を黒く侵食していく。
嫌だ、怖い。どうして。
体を震わせながら、ぐるぐるとそればかりを考えていた時……
「琴子~! ココアだよ!」
脳天気なエルゥの声が部屋に響いた。ぱっとそちらを見ると、彼は真剣な表情でこちらに近づいてくる。そしてココアを手渡してから、じっと私の瞳を覗き込んだ。
「顔色が悪いよ。怖いこと、あった?」
両手で頬を包まれて、優しく囁かれる。それだけで心の緊張が緩んだ気がした。
「母から、連絡が……」
「母親? それは……琴子にとっての怖い人?」
エルゥの問いに、何度も頷く。すると彼はぽんぽんと優しく頭を撫でてくれた。
「とりあえず、ココア飲んで。そして僕で良ければ、話を聞かせて? 無理にとは言わないから」
「……わかった」
ココアを飲んでいる間、エルゥがそっと寄り添ってくれる。右肩に感じる温かさとココアの甘さが、体の震えを少しずつ鎮めてくれた。
「……美味しい」
「それはよかった」
「ありがとう、エルゥ」
「いいえ、どういたしまして」
何気ない日常の会話。それが今はありがたい。
唯一の肉親からのメッセージ。それは隣に居るインキュバスよりも、私にとっては非日常だ。
ココアを冷ましながらちびちびと飲み干していく。底に残った黒いどろどろとした溶け残りは、私の心に積もった淀みのようだ。それを見つめながら、私はふうと息を吐いた。
「エルゥ、聞いてもらっていい?」
大学で知り合った仲がいい友人たちにも、元恋人にも話していない……私の話。
「いくらでも聞くよ。ゆっくり話して」
エルゥはそう言うと、私の緊張を解すためだとわかる柔和な笑みを浮かべた。
深呼吸を数度してから口を開く。だけど緊張でなかなか言葉が出てこない。そんな私を、エルゥはなにも言わずに辛抱強く見守ってくれる。
「……私、十二の時に母に捨てられて」
やっと口にした言葉は、酷く震えていた。