「琴子、できたよー」
声をかけられ、ゆさゆさと体を揺らされる。重い瞼を上げると、エルゥの絶世の美貌がこちらを覗き込んでいた。
……ぐぬ、やっぱり顔がいいな。
部屋にはカレーのいい香りが濃く漂っている。その匂いに刺激されて、お腹がくるると音を立てた。
「いい匂いでしょ」
エルゥは得意げに言うと、折りたたみ式の天板が赤い猫脚テーブルを広げる。そして可愛い小花柄のランチョンマットを敷いてから、白い中皿をその上に置いた。
……いつも思うけれど、エルゥは女子力が高い。
白い皿に盛られているのはピタパンサンド二切れとサラダだ。白いピタパンの生地からは、しめじやナスが入った挽き肉のドライカレーが顔を覗かせている。
ちなみにこのピタパンは、ニ日前にエルゥにせがまれて近所のパン屋で買ったものである。
「ふふ。本当は甘い味付けのお肉と野菜で、ピタパンサンドを作るつもりだったんだけど。カレーも美味しいよねぇ」
「うう、そっちも美味しそう」
「今度作るから。だからまたパンを買ってきてね」
エルゥはくすりと笑うと、なにかを取りに台所に行く。そして今度はスープ皿を二つ手にして戻ってきた。
「それは?」
「お野菜たっぷりのラタトゥイユ風スープ。具材はトマトと人参、じゃがいもと玉ねぎ」
湯気を立てるスープ皿には真っ赤なスープが注がれている。見るからに具だくさんのそれは、食欲をそそる濃いトマトの香りを立てていた。
「珈琲を淹れようと思ったけど、琴子はこっちが欲しいよね? 冷凍庫で少し冷やしておいたから」
冷やしたグラスと、同じくキンキンに冷えたビールをエルゥが私に見せつける。彼は恐ろしいくらいに気が利く。
「エルゥ、食べよう!」
「我慢ができない子だね、琴子は」
エルゥは苦笑しながらも、ビールをグラスにトクトクと注いでくれた。シュワッといい音を立てながら、黄金色の液体は白い泡を作る。それを見ていると自然に口中に唾が溜まり、私はゴクリをそれを飲み下した。
「じゃ、いただきます!」
「はい、どうぞ」
がっつくように『いただきます』を言う私に、エルゥが自愛含みの笑みを向けた。
ビールに口をつけたいのを我慢して、まずはピタパンサンドを一口頬張る。するとピリッとした風味が舌に伝わった。
「んっ!」
スパイシーな香辛料の香り、旨味をこれでもかと伝えてくる挽き肉の味わい、それを彩るしめじとナスの食感。それは『うまい』という、ただ一つの大きな感情を胸に生む。
ドライカレーのピタパンサンドを味わいながら、ビールを急いで口にする。
するとビールの爽やかな苦味がカレーの旨味と出会い、パチパチと弾けながら喉を流れていく。
「うま……っ!」
「ちょっと辛めに作ったけど、お口に合ったみたいだね」
「最高! ビールにこの辛味が最高に合うっ!」
「ふふ、喜んでもらえてよかったなぁ」
エルゥはおっとりと笑うと、自分もピタパンサンドを口にした。
インキュバスの主食は『精気』だけれど、ふつうの食物からもある程度は栄養を摂取できるらしい。
私は次に、ラタトゥイユ風スープを口にした。
「――っ!」
トマトの爽やかで濃厚な風味。ちょうどよく煮込まれた野菜の食感。シンプルな……だけど絶妙にハーブで整えられたスープの味わい。
「……美味しい」
「よかったねぇ」
ほぅ、と息を吐く私の口元をエルゥがハンカチで拭ってくれる。どうやらスープが垂れてたみたいだ。
「……本当に、ダメだな」
「なにが?」
私のつぶやきを聞いたエルゥが首を傾げた。ゆるくウェーブがかかった金髪がふわりと揺れて、滑らかで白い頬にかかる。その様子はまるで一枚の絵画のようだ。
「エルゥがいるこの状況に、慣れつつあるのが」
私はピタパンサンドにまたかぶりつく。
本当に、悔しいくらいに美味しい。ビールが何杯でもいけそうだ。たぶん二杯目くらいでエルゥに止められるけど。
「慣れちゃまずいの?」
自分用に淹れたアイス珈琲を口にしながら、エルゥがのんびりとした口調で言う。彼が茶色の液体が入ったグラスをテーブルに戻すと、中に入った氷がカラリと涼しげな音を立てた。
「多少食費は増えるかもしれないけれど。琴子は人間らしい食生活を手に入れられて幸せ、僕は健康になっていく子猫を観察できて幸せ。なんのやましいこともないWin-Winな関係でしょ?」
「やましくないかな? ……キスはするやんか。それに、あとから実は魂が必要でしたー! とか言うつもりやろ」
「そんなこと言わないってば。それは違う部署だし」
……魂を取る部署もあるのか。引っかかったら怖いから、あとで詳しく話を聞こう。
「キスもね。本格的なのはしてないでしょ?」
そう言ってエルゥは紅い舌で自分の唇をちろりと舐める。
その色香漂う様子に、ドキリと心臓が鳴った。
エルゥのほわほわした雰囲気に飲まれて、時々忘れてしまいそうになるけれど。エルゥって女の子とえっちなことをして文字通りの食い物にする生き物なんだよな。
『僕とすると、気持ちいいよ?』と冗談混じりに言われたこともある。
そんなセリフ、人間の男なら鼻で笑い飛ばすところけれど……エルゥは悪魔だ。
それは本当に、気持ちがいいのだろう。
――意思の弱い人間なんて、あっという間に溺れて堕落してしまうくらいに。
「……舌を入れたら、噛み切る」
「うっわ、こわ。僕のなにが不満なのかなぁ。結構整った顔をしてると思うんだけど」
拗ねたように言いながら、エルゥはスープをもぐもぐと食べる。その無害そうな様子を、私はこっそりと窺い見た。
エルゥは私を『ガリガリの子猫』と思っているようだけれど。私は猫よりは多少……思考ができる人間なのだ。
……うっかり溺れてしまわないように。この悪魔とは一線を引いて過ごした方がいいだろう。
声をかけられ、ゆさゆさと体を揺らされる。重い瞼を上げると、エルゥの絶世の美貌がこちらを覗き込んでいた。
……ぐぬ、やっぱり顔がいいな。
部屋にはカレーのいい香りが濃く漂っている。その匂いに刺激されて、お腹がくるると音を立てた。
「いい匂いでしょ」
エルゥは得意げに言うと、折りたたみ式の天板が赤い猫脚テーブルを広げる。そして可愛い小花柄のランチョンマットを敷いてから、白い中皿をその上に置いた。
……いつも思うけれど、エルゥは女子力が高い。
白い皿に盛られているのはピタパンサンド二切れとサラダだ。白いピタパンの生地からは、しめじやナスが入った挽き肉のドライカレーが顔を覗かせている。
ちなみにこのピタパンは、ニ日前にエルゥにせがまれて近所のパン屋で買ったものである。
「ふふ。本当は甘い味付けのお肉と野菜で、ピタパンサンドを作るつもりだったんだけど。カレーも美味しいよねぇ」
「うう、そっちも美味しそう」
「今度作るから。だからまたパンを買ってきてね」
エルゥはくすりと笑うと、なにかを取りに台所に行く。そして今度はスープ皿を二つ手にして戻ってきた。
「それは?」
「お野菜たっぷりのラタトゥイユ風スープ。具材はトマトと人参、じゃがいもと玉ねぎ」
湯気を立てるスープ皿には真っ赤なスープが注がれている。見るからに具だくさんのそれは、食欲をそそる濃いトマトの香りを立てていた。
「珈琲を淹れようと思ったけど、琴子はこっちが欲しいよね? 冷凍庫で少し冷やしておいたから」
冷やしたグラスと、同じくキンキンに冷えたビールをエルゥが私に見せつける。彼は恐ろしいくらいに気が利く。
「エルゥ、食べよう!」
「我慢ができない子だね、琴子は」
エルゥは苦笑しながらも、ビールをグラスにトクトクと注いでくれた。シュワッといい音を立てながら、黄金色の液体は白い泡を作る。それを見ていると自然に口中に唾が溜まり、私はゴクリをそれを飲み下した。
「じゃ、いただきます!」
「はい、どうぞ」
がっつくように『いただきます』を言う私に、エルゥが自愛含みの笑みを向けた。
ビールに口をつけたいのを我慢して、まずはピタパンサンドを一口頬張る。するとピリッとした風味が舌に伝わった。
「んっ!」
スパイシーな香辛料の香り、旨味をこれでもかと伝えてくる挽き肉の味わい、それを彩るしめじとナスの食感。それは『うまい』という、ただ一つの大きな感情を胸に生む。
ドライカレーのピタパンサンドを味わいながら、ビールを急いで口にする。
するとビールの爽やかな苦味がカレーの旨味と出会い、パチパチと弾けながら喉を流れていく。
「うま……っ!」
「ちょっと辛めに作ったけど、お口に合ったみたいだね」
「最高! ビールにこの辛味が最高に合うっ!」
「ふふ、喜んでもらえてよかったなぁ」
エルゥはおっとりと笑うと、自分もピタパンサンドを口にした。
インキュバスの主食は『精気』だけれど、ふつうの食物からもある程度は栄養を摂取できるらしい。
私は次に、ラタトゥイユ風スープを口にした。
「――っ!」
トマトの爽やかで濃厚な風味。ちょうどよく煮込まれた野菜の食感。シンプルな……だけど絶妙にハーブで整えられたスープの味わい。
「……美味しい」
「よかったねぇ」
ほぅ、と息を吐く私の口元をエルゥがハンカチで拭ってくれる。どうやらスープが垂れてたみたいだ。
「……本当に、ダメだな」
「なにが?」
私のつぶやきを聞いたエルゥが首を傾げた。ゆるくウェーブがかかった金髪がふわりと揺れて、滑らかで白い頬にかかる。その様子はまるで一枚の絵画のようだ。
「エルゥがいるこの状況に、慣れつつあるのが」
私はピタパンサンドにまたかぶりつく。
本当に、悔しいくらいに美味しい。ビールが何杯でもいけそうだ。たぶん二杯目くらいでエルゥに止められるけど。
「慣れちゃまずいの?」
自分用に淹れたアイス珈琲を口にしながら、エルゥがのんびりとした口調で言う。彼が茶色の液体が入ったグラスをテーブルに戻すと、中に入った氷がカラリと涼しげな音を立てた。
「多少食費は増えるかもしれないけれど。琴子は人間らしい食生活を手に入れられて幸せ、僕は健康になっていく子猫を観察できて幸せ。なんのやましいこともないWin-Winな関係でしょ?」
「やましくないかな? ……キスはするやんか。それに、あとから実は魂が必要でしたー! とか言うつもりやろ」
「そんなこと言わないってば。それは違う部署だし」
……魂を取る部署もあるのか。引っかかったら怖いから、あとで詳しく話を聞こう。
「キスもね。本格的なのはしてないでしょ?」
そう言ってエルゥは紅い舌で自分の唇をちろりと舐める。
その色香漂う様子に、ドキリと心臓が鳴った。
エルゥのほわほわした雰囲気に飲まれて、時々忘れてしまいそうになるけれど。エルゥって女の子とえっちなことをして文字通りの食い物にする生き物なんだよな。
『僕とすると、気持ちいいよ?』と冗談混じりに言われたこともある。
そんなセリフ、人間の男なら鼻で笑い飛ばすところけれど……エルゥは悪魔だ。
それは本当に、気持ちがいいのだろう。
――意思の弱い人間なんて、あっという間に溺れて堕落してしまうくらいに。
「……舌を入れたら、噛み切る」
「うっわ、こわ。僕のなにが不満なのかなぁ。結構整った顔をしてると思うんだけど」
拗ねたように言いながら、エルゥはスープをもぐもぐと食べる。その無害そうな様子を、私はこっそりと窺い見た。
エルゥは私を『ガリガリの子猫』と思っているようだけれど。私は猫よりは多少……思考ができる人間なのだ。
……うっかり溺れてしまわないように。この悪魔とは一線を引いて過ごした方がいいだろう。