「ふわぁ。琴子、いいの? ちょっと高いよ!?」

 レストランフロアの目当てのお店に連れて行くと、入り口のメニューを見てエルゥはうろたえた。

「ロックフォールや生ハムの原木を買ってくれたくせに、なに言ってるの」
「だってあれは何食分も使えるし。一食で、しかもパフェで三千円なんて……!」
「……パフェ、食べたくない?」

 ……エルゥの好みには合わなかったかな。
 甘いものをいつも美味しそうに食べてるから、好きかと思ったんだけどな。見当違いだったかもしれない。
 エルゥに食の好みを訊かれることはあっても、逆に私が訊いたことなんてなかった。
 二ヶ月以上一緒にいるのになぁ……これは反省しなければ。
 自分のダメさに気が滅入り、眉尻が自然に下がってしまう。
 エルゥは大きな目をぱちくりとさせながら私を見つめる。そしてわしゃわしゃと頭を撫でられた。

「エルゥ?」
「僕ね、パフェは好きだよ」
「……本当に?」
「うん、価格にちょっとびっくりしただけ。入ろうか」

 ぐいと手を引かれて店内に入ると、可愛い制服を着た店員が出迎えてくれる。そしてエルゥの顔を見てから、頬を赤くした。

「予約をしていた、嶺井ですけれど」
「はい、ご予約の、ににに、二名様ですね!」

 ぎくしゃくとした店員に案内されたのは窓際の席だった。レストランフロアは高層階にあるため、とても見晴らしがいい。

「いい眺めだね、琴子」
「ほんとだね、いい席に案内してもらえてよかった! さて……」

 エルゥと景色を眺めたあとにメニューを広げ、二人でそれに見入る。
 宝石箱みたいなパフェたちは色とりどりで愛らしくて……やっぱりちょっとお高い。

「じゃあ僕、これにしようかな」

 エルゥはそう言うと、蜜柑がたっぷり乗ったパフェを指す。オレンジ色の果肉が煌めいて美味しそうだ。美味しそうなんだけど……

「一番安いやつやんか! 遠慮してない?」
「はは、実は少しだけした」
「エルゥが本当に食べたいのを選んでよ。その方が私も……嬉しいから」

 ふだんのお礼なのに、遠慮なんてして欲しくない。
 私の言葉を聞いて彼はふっと笑う。そして長い指で一つのメニューを指差した。

「これが食べたい。琴子、よければシェアしようよ」
「あ、それ嬉しい! 私はこれにしようかな……」

 エルゥが選んだのは蜜柑パフェより七百円高いマンゴーパフェ。私が選んだのは苺が真紅のタワーのように積まれている、豪奢な苺パフェだった。
 注文の後。誰がこのテーブルにパフェを持って行くのかで揉める声が遠くで聞こえ、じゃんけんに勝ったらしい店員が満面の笑みでパフェを持ってくる。その店員の背中には、敗者の恨みに満ちた視線が突き刺さっていた。その中には男性も数人いる。

 ……初対面の人間たちにここまでさせるエルゥの美貌は、恐ろしいな。

 これが傾国ってやつなのだろうか……とエルゥの無害そうなのほほんとした表情を眺めながら私は考えた。彼がなにかしなくても周囲が勝手に転がり落ちてくる様子は、まるで食虫植物みたいだ。

「琴子、どうしたの?」
「エルゥって食虫植物みたいだなって」
「どういうこと!?」
「ま、いいからパフェ食べよう?」

 なんだか不満顔のエルゥを放置して、私は苺をスプーンでひと掬いして口に放り込んだ。
 苺の酸っぱさと甘さのバランスがほどよく舌に伝わり、爽やかな香りが鼻を通り抜ける。さくりとした歯触りすらも心地いい。こんなに美味しい苺を食べたのは、はじめてかもしれない。
 苺の下に敷いてあるアイスを口にすると、それは苺をふんだんに使った贅沢なシャーベットだった。それは口の中でとろりとほどけ、味覚に多幸感を与えてくる。

「美味しいね!」
「うん、美味しいね。糖度が高い果汁がどんどん溢れてくる」

 エルゥもマンゴーを頬張って、嬉しそうに顔をほころばせた。そして果肉をスプーンに乗せると、こちらに差し出してくる。

「どうぞ」

 その言葉と笑顔につられるように、私はエルゥのスプーンからマンゴーを口にした。
 そして、驚きに大きく目を見開く。

 ――甘い。まるで高級なシロップの塊みたい。

「すごいね、こんなに甘いマンゴーはじめて!」

 マンゴーを食べたこと自体が人生で数度目だけれど、今まで食べたマンゴーと比べてこれが別格であることはわかる。
 エルゥはまだスプーンに果肉を乗せ、私の口に運ぶ。
 ……マンゴーの美味しさにつられて数度それを繰り返した後に、私は自分がしている行為の恥ずかしさに気づいた。周囲からの嫉妬と羨望の視線が、よく研いだ刃物のような鋭さで突き刺さってくる。

「……エルゥ」
「ん?」
「自分で、食べられる」

 顔にどんどん血が上っていく。頬が燃えるように熱い。

「じゃ、今度は琴子が僕に食べさせて」

 エルゥはふっと笑うと、ぱかりと口を開いた。

「エルゥ?」
「これって、ふだんのねぎらいなんでしょう? だったら僕のワガママをきいて欲しいなぁ。琴子に食べさせて欲しい」

 ……このインキュバスは。甘えるような顔をして、こっちを見るんじゃない。

「しなきゃ、ダメ?」
「ダメじゃないけどして欲しい」
「この悪魔!」

 これはふだんのねぎらいだ。だから仕方ないこと。
 私は心の中でそう言い訳すると、大きな苺をスプーンに取る。
 そしてエルゥの口へと、少し乱暴に押し込んだ。

「うん。この苺もすごく美味しいねぇ」

 もぐもぐと口を動かした後に、エルゥはへらりと嬉しそうに笑う。
 ……くそ、可愛いな。そんな顔をされると、悪い気がしないから本当に困る。
 そうしているうちにパフェはどんどん減っていき、あっという間に完食と相成った。美味しいものの命は、いつでも儚いものだ。

「……エルゥ。実はお店を、もう一軒予約しています」
「もう一軒?」
「うん、このお店」

 スマホを出して、予約を入れている鉄板焼のお店をエルゥに見せる。すると彼は値段のところを見て目を丸くした。

「琴子、ここは割り勘にしようね?」
「ふだんのお礼だから、私が出すってば」
「割り勘で気兼ねなく、琴子と美味しいご飯を食べられると嬉しいんだけどなぁ。浮いた分で、琴子も美味しいお酒が飲めるでしょう? 楽しそうにお酒を飲んでる琴子を見たい」

 エルゥはそう言うと、澄んだ青の瞳でじっとこちらを見つめた。
『お酒』。そのキーワードに心はついぐらついてしまう。なんて惰弱な心なんだ!

「でもそれじゃ、お礼になんないから」
「琴子と一緒に、美味しいものを食べられるだけでじゅうぶん」
「でも……」

 ぐだぐだと言葉を重ねようとする私の手をエルゥが握る。眉を顰めながら彼を見ると、くすりと小さく笑われた。

「じゃあね。帰ってから……いつもよりたくさんキスしてくれたら嬉しいな」

 ――ゴトリ。
 大きな音がしたと思ったら、水を注ぎに来たらしい店員がウォーターポットを床に落としていた。……非常に恥ずかしいことに、会話を聞かれていたらしい。

「エルゥ、こんなとこで恥ずかしいこと言わんで!」
「割り勘にしようね。そして帰ってからキス……」
「わかった、わかったから!」

 思わず立ち上がり両手でエルゥの口を塞ぐと、彼はくすくすと無邪気な笑い声を立てる。その吐息が手のひらにかかって、少しくすぐったい。

 私のキスよりも……お肉のおごりの方が絶対嬉しいと思うんだけどな。