「エルゥ、準備まだー?」
「もうちょっと」
「待ち合わせに遅れるやろ!」
レジャーシートを大きなバッグに詰めるエルゥを急かす。
今日は会社のバーベキューの日。その待ち合わせ時間が近いのだ。
「琴子。手ぶらでいいと言われても、本当に手ぶらというわけにもいかないでしょう? ほら、僕は会社の皆様とのはじめての交流だし」
そう言いながらエルゥがバッグに入れたのは、手作りのパウンドケーキだ。いつの間にか焼き型などを、エルゥが揃えてたんだよね。
昨夜ご飯を食べたあと。エルゥがまた台所に立ち、パウンドケーキを作りはじめた時には本当に驚いた。
「お肉を食べてる最中に、きっとお米も欲しくなると思うし」
エルゥはさらに、バッグにおにぎりが詰まったタッパーを入れる。おにぎりに巻く用の海苔も。
「それに琴子は放っておくとお酒ばかり飲むから、冷たいお茶も……」
「うん、ごめん。わかった。わかったから早く準備しよう」
エルゥの言葉を遮って、自分の荷物を確認した。
……スマホ、財布、タオル、化粧品。
すべてを現地調達する気満々だった私の手荷物はそれだけだ。
お出かけの時には女性の方が準備がかかるイメージだけれど、うちではそれは逆のようだ。
しかしエルゥといると……気遣いができない自分が情けなくなるな。
「よし、できた!」
エルゥは満足げに言うと、パンパンになったバッグを肩からかけた。
今日のエルゥはいつものジャージではなく、細身のシルエットの黒のパンツと白いシャツというシンプルな服装だ。これは通販で買ったらしい。長い金色の髪はポニーテールにして、高く結い上げている。
まるでハリウッドセレブのような格好だけれど……見ていて悔しいくらいによく似合う。
私は紺色のシャツワンピースを着ている。腰のあたりを、同じ布地のベルトで絞る仕様のオーソドックスなものだ。それと日除けの白い帽子。我ながら地味な格好だなと思う。だけどエルゥは『似合うよ』と笑顔で褒めてくれた。……この、褒め上手め。
会社の人たちとは、会社の駐車場で待ち合わせをしている。
社長とご家族が車を出してくれるので、みんなで相乗りしてバーベキュー場へと向かうのだ。
扉を開けて外に出ると太陽がさんさんと輝いていて、日焼けは免れないなと覚悟を決める。日傘は持っているけれど、バーベキューの最中に差すわけにもいかないしね。
「いい天気だねぇ」
のほほんと言うエルゥと道を歩いていると、ご近所の方々の視線がちくちくと刺さる。ええ、エルゥは目立ちますもんね。
エルゥとこうやって、外を歩くのははじめてだ。
いつもと違って角や下半身のもふもふがない彼は、どこからどう見ても『人間』の絶世の美男子で。隣を歩いているとなんだかいたたまれないというか、気恥ずかしい気持ちになってしまう。
「水分補給はちゃんとしてね。琴子は体力がないから、倒れないか心配」
エルゥの口から出るのは、いつも通りの私を心配する言葉。
この悪魔は本当に……私を気にかけてばかりだな。
「大丈夫だよ、大人だし」
「大人だけど大丈夫じゃないから、そこまで枯れっ枯れになっちゃったんでしょ」
「う……」
私は言葉を詰まらせる。
エルゥが言うには、私の精気や体力は少しずつ回復しているものの、まだまだ平均には程遠いらしい。
「琴子は、夏にしたいこととかある?」
急なエルゥの質問に、私は目を丸くした。
「夏にしたいこと?」
「旅行がしたいとか、海で泳ぎたいとか、なんでもいいんだけど。僕、琴子がしたいことになんでも付き合うよ?」
もう少ししたら、お盆休みがやってくる。だからこういうことを訊いてくるのかな。したいこと、ねぇ。
私はしばらく考えたけれど……特になにも思いつかなかった。
「特に、ないかな」
「そっかぁ。残念だな」
エルゥは、悲しそうな表情で眉尻を下げる。
その表情を見ていると『なんでもいいから言わなければ』となぜかどんどん焦っていく。
「……北海道物産展」
「ん?」
「今朝のニュースで、博多駅のデパートで北海道物産展があるって言ってた。それに行きたい」
エルゥの悲しそうな顔が見たくないからなのか、本当に自分が行きたかったからか。動機の部分はなんだか曖昧なままで、私は思わずそう口にしていた。
「蟹とか、雲丹とか買いたい。あと鮭とば」
「そっか、じゃあ一緒に行こう? ふふ、琴子はやっぱり食欲旺盛だね」
嬉しそうに微笑まれて、私は内心ほっと胸を撫で下ろす。
「今が旬の蟹だと、ワタリガニかなぁ。どうやって食べようか」
「夏に鍋は嫌だな」
「じゃあ、焼き蟹にしちゃおうか」
……焼き蟹。
蟹を焼いて食べたことはないけれど、なんだかとっても美味しそう。想像しただけで、喉がごくりと鳴ってしまった。
エルゥとそんなことを話しているうちに、会社の駐車場へとたどり着いた。
みんなはすでに揃って待っていたようで、申し訳ない気持ちになる。スマホを確認すると待ち合わせ五分前だから、遅刻したわけではないんだけれどな。
「二人とも、おはよう」
社長がぽてぽてとお腹を揺らししながらこちらにやって来た。隣には奥さんの美里さんもいる。美里さんは社長と同じ五十代の、細身でおっとりとした印象の女性だ。昨年のバーベキューでも顔を合わせたけれど、やっぱりお綺麗な人だな。江村さんは『美女と野獣夫婦だねぇ』なんて言っていたけれど、社長は野獣と言うには、可愛らしすぎると思う。
美里さんは優しい笑みを向けながら、ぺこりと頭を下げた。私もつられたように頭を下げる。
「エルゥと申します。本日は僕までご招待頂いて本当に恐縮です」
エルゥが笑顔で手を差し出しながらそう言うと、社長は少し気圧されたように後ろに下がったあとに、おそるおそるその手を握った。美里さんはエルゥの顔を凝視したあとに、「まぁ」と小さく言って乙女のように頬を染める。それを見た愛妻家の社長は、泣きそうな顔をした。
「もうちょっと」
「待ち合わせに遅れるやろ!」
レジャーシートを大きなバッグに詰めるエルゥを急かす。
今日は会社のバーベキューの日。その待ち合わせ時間が近いのだ。
「琴子。手ぶらでいいと言われても、本当に手ぶらというわけにもいかないでしょう? ほら、僕は会社の皆様とのはじめての交流だし」
そう言いながらエルゥがバッグに入れたのは、手作りのパウンドケーキだ。いつの間にか焼き型などを、エルゥが揃えてたんだよね。
昨夜ご飯を食べたあと。エルゥがまた台所に立ち、パウンドケーキを作りはじめた時には本当に驚いた。
「お肉を食べてる最中に、きっとお米も欲しくなると思うし」
エルゥはさらに、バッグにおにぎりが詰まったタッパーを入れる。おにぎりに巻く用の海苔も。
「それに琴子は放っておくとお酒ばかり飲むから、冷たいお茶も……」
「うん、ごめん。わかった。わかったから早く準備しよう」
エルゥの言葉を遮って、自分の荷物を確認した。
……スマホ、財布、タオル、化粧品。
すべてを現地調達する気満々だった私の手荷物はそれだけだ。
お出かけの時には女性の方が準備がかかるイメージだけれど、うちではそれは逆のようだ。
しかしエルゥといると……気遣いができない自分が情けなくなるな。
「よし、できた!」
エルゥは満足げに言うと、パンパンになったバッグを肩からかけた。
今日のエルゥはいつものジャージではなく、細身のシルエットの黒のパンツと白いシャツというシンプルな服装だ。これは通販で買ったらしい。長い金色の髪はポニーテールにして、高く結い上げている。
まるでハリウッドセレブのような格好だけれど……見ていて悔しいくらいによく似合う。
私は紺色のシャツワンピースを着ている。腰のあたりを、同じ布地のベルトで絞る仕様のオーソドックスなものだ。それと日除けの白い帽子。我ながら地味な格好だなと思う。だけどエルゥは『似合うよ』と笑顔で褒めてくれた。……この、褒め上手め。
会社の人たちとは、会社の駐車場で待ち合わせをしている。
社長とご家族が車を出してくれるので、みんなで相乗りしてバーベキュー場へと向かうのだ。
扉を開けて外に出ると太陽がさんさんと輝いていて、日焼けは免れないなと覚悟を決める。日傘は持っているけれど、バーベキューの最中に差すわけにもいかないしね。
「いい天気だねぇ」
のほほんと言うエルゥと道を歩いていると、ご近所の方々の視線がちくちくと刺さる。ええ、エルゥは目立ちますもんね。
エルゥとこうやって、外を歩くのははじめてだ。
いつもと違って角や下半身のもふもふがない彼は、どこからどう見ても『人間』の絶世の美男子で。隣を歩いているとなんだかいたたまれないというか、気恥ずかしい気持ちになってしまう。
「水分補給はちゃんとしてね。琴子は体力がないから、倒れないか心配」
エルゥの口から出るのは、いつも通りの私を心配する言葉。
この悪魔は本当に……私を気にかけてばかりだな。
「大丈夫だよ、大人だし」
「大人だけど大丈夫じゃないから、そこまで枯れっ枯れになっちゃったんでしょ」
「う……」
私は言葉を詰まらせる。
エルゥが言うには、私の精気や体力は少しずつ回復しているものの、まだまだ平均には程遠いらしい。
「琴子は、夏にしたいこととかある?」
急なエルゥの質問に、私は目を丸くした。
「夏にしたいこと?」
「旅行がしたいとか、海で泳ぎたいとか、なんでもいいんだけど。僕、琴子がしたいことになんでも付き合うよ?」
もう少ししたら、お盆休みがやってくる。だからこういうことを訊いてくるのかな。したいこと、ねぇ。
私はしばらく考えたけれど……特になにも思いつかなかった。
「特に、ないかな」
「そっかぁ。残念だな」
エルゥは、悲しそうな表情で眉尻を下げる。
その表情を見ていると『なんでもいいから言わなければ』となぜかどんどん焦っていく。
「……北海道物産展」
「ん?」
「今朝のニュースで、博多駅のデパートで北海道物産展があるって言ってた。それに行きたい」
エルゥの悲しそうな顔が見たくないからなのか、本当に自分が行きたかったからか。動機の部分はなんだか曖昧なままで、私は思わずそう口にしていた。
「蟹とか、雲丹とか買いたい。あと鮭とば」
「そっか、じゃあ一緒に行こう? ふふ、琴子はやっぱり食欲旺盛だね」
嬉しそうに微笑まれて、私は内心ほっと胸を撫で下ろす。
「今が旬の蟹だと、ワタリガニかなぁ。どうやって食べようか」
「夏に鍋は嫌だな」
「じゃあ、焼き蟹にしちゃおうか」
……焼き蟹。
蟹を焼いて食べたことはないけれど、なんだかとっても美味しそう。想像しただけで、喉がごくりと鳴ってしまった。
エルゥとそんなことを話しているうちに、会社の駐車場へとたどり着いた。
みんなはすでに揃って待っていたようで、申し訳ない気持ちになる。スマホを確認すると待ち合わせ五分前だから、遅刻したわけではないんだけれどな。
「二人とも、おはよう」
社長がぽてぽてとお腹を揺らししながらこちらにやって来た。隣には奥さんの美里さんもいる。美里さんは社長と同じ五十代の、細身でおっとりとした印象の女性だ。昨年のバーベキューでも顔を合わせたけれど、やっぱりお綺麗な人だな。江村さんは『美女と野獣夫婦だねぇ』なんて言っていたけれど、社長は野獣と言うには、可愛らしすぎると思う。
美里さんは優しい笑みを向けながら、ぺこりと頭を下げた。私もつられたように頭を下げる。
「エルゥと申します。本日は僕までご招待頂いて本当に恐縮です」
エルゥが笑顔で手を差し出しながらそう言うと、社長は少し気圧されたように後ろに下がったあとに、おそるおそるその手を握った。美里さんはエルゥの顔を凝視したあとに、「まぁ」と小さく言って乙女のように頬を染める。それを見た愛妻家の社長は、泣きそうな顔をした。