実家のある埼玉県まで千葉県から帰るのは面倒だし。わたしは今日、椎名君が結婚式を挙げたホテルに予約をしておいた。
三浦君はもう何も言わなかった。
わたしはそのままエレベーターで五階に行き、カードキーをドアにかざした。部屋の中はシティホテルよりも少しファンシーな色遣いのツインルーム。わたしはベッドに腰かけた。ため息を吐いて、ドレスを脱いだ。
二次会での奥さんの様子を思い浮かべる。さすがに若いだけあって、白いドレスが似合っていた。結婚式マジックだろうか、取り立てて美人というわけでもないのに輝いていた。
わたしが座りたかった場所に、何の憂いもなさそうな顔で笑って腰かけていた新婦。その場所に座れる可能性にずっと縋ってきたのに。椎名君は見つけてもくれなかった。わたしという存在を、隣を向いてくれることもなかった。
※ ※ ※
翌日、チェックアウトをしたわたしはまだホテル内に留まっていた。周りは大きなお土産袋を持った家族連れや友人同士のグループがはしゃいだ声を出している。わたしは一人だけ灰色のオブジェのように笑い声の陰に身を潜ませていた。
わたしはチェックインカウンターが見える場所にある革張りのベンチにぼんやりと座っていた。何がしたいのかわたしにも分からない。ただ、彼のことが椎名君の姿を目に焼き付けたかった。もう、人のものになってしまったわたしの大好きな人。わたしの気持ちになんてちっとも気が付いてくれなかった想い人。とびきりにかっこいいわたしの元同級生。
ぼんやりとあたりの風景に紛れていると、エレベーターから降りてくる一団に、ひと際目を惹く男性が現れた。もう三十三になるというのに、いやそろそろ四になろうかというのに、椎名君は相変わらず眩しくて、在りし日のまま格好よく年を重ねていた。
わたしは思わず立ち上がった。
きっとこれからチェックアウトなのだろう、荷物を持ってこちらに向かって歩いてくる。わたしの元に近づいてくる。
椎名君―わたしは声を掛けようとしたのに。
彼はわたしの横を素通りしていった。
彼はずっと奥さんのことだけを見つめていた。奥さんの背中に腕を回して、とろけるような微笑みを彼女にだけ向けていた。
わたしはその場で固まったまま微動だにできなかった。何を、どうしたらいいというのだろう。
椎名君はわたしなんて、わたしがここにいることすら想像もできないくらいに、奥さんにしか目がいっていなかった。囁き合うような夫婦の会話がちらりと耳に入ったけれど、中身はすべて素通りしていった。
「――椎……」
わたしの勇気を振り絞った声は、雑踏にかき消された。わたしは彼の方へ体を向ける。彼の背中が視界に映る。チェックアウトをするためにカウンターに並んでいると、ホテルのスタッフが側に寄ってきて、お辞儀をする。それに合わせて二人も深々と頭を下げる。ああ、きっと結婚式の担当さんなのかな、と頭の冷静な部分が分析を始める。
わたしがいなくても世界は回っているし、彼の生活にわたしの入る余地などない。
そう見せつけられているようだった。二人はチェックアウトを済ませて、ロビーへ歩いていく。親族なのだろう、年配の男女のグループと談笑を始めた。
わたしは足を踏み出しかけて、しかし、影を縫い留められたように動くことができずにいた。喉の奥からせりあがってくるものがあった。もう枯れてしまったと思っていたのに。最後の最後で泉から湧き出る水のように、涙が溢れた。
涙は頬を伝って、下に落ちてを繰り返した。何度も何度もあふれ出てくるそれを止めるすべをわたしはわからない。
写真が欲しかった。椎名君の隣で、可愛いドレスを着たわたしと、微笑む彼の写真が。だってずっとそばで見つめてきたんだもの。それくらいいいじゃない。
あなたはわたしよりも後から椎名君と出会ったくせに、美味しいところを持って行って。そんなのずるい。ずっとずっとわたしが見つめてきたのに。
涙は枯れてくれない。
どうしたらよかったの。
だって、告白なんてできなかった。していれば何かが違っていた、なんてそんなの結果論でしかない。
わたしはぽたぽたと雫を垂らしながらホテルのエントランスへ向かった。
誰も、わたしに気づいてくれることはない。本当に気づいてほしい人はわたしとは別世界に行ってしまった。
三浦君はもう何も言わなかった。
わたしはそのままエレベーターで五階に行き、カードキーをドアにかざした。部屋の中はシティホテルよりも少しファンシーな色遣いのツインルーム。わたしはベッドに腰かけた。ため息を吐いて、ドレスを脱いだ。
二次会での奥さんの様子を思い浮かべる。さすがに若いだけあって、白いドレスが似合っていた。結婚式マジックだろうか、取り立てて美人というわけでもないのに輝いていた。
わたしが座りたかった場所に、何の憂いもなさそうな顔で笑って腰かけていた新婦。その場所に座れる可能性にずっと縋ってきたのに。椎名君は見つけてもくれなかった。わたしという存在を、隣を向いてくれることもなかった。
※ ※ ※
翌日、チェックアウトをしたわたしはまだホテル内に留まっていた。周りは大きなお土産袋を持った家族連れや友人同士のグループがはしゃいだ声を出している。わたしは一人だけ灰色のオブジェのように笑い声の陰に身を潜ませていた。
わたしはチェックインカウンターが見える場所にある革張りのベンチにぼんやりと座っていた。何がしたいのかわたしにも分からない。ただ、彼のことが椎名君の姿を目に焼き付けたかった。もう、人のものになってしまったわたしの大好きな人。わたしの気持ちになんてちっとも気が付いてくれなかった想い人。とびきりにかっこいいわたしの元同級生。
ぼんやりとあたりの風景に紛れていると、エレベーターから降りてくる一団に、ひと際目を惹く男性が現れた。もう三十三になるというのに、いやそろそろ四になろうかというのに、椎名君は相変わらず眩しくて、在りし日のまま格好よく年を重ねていた。
わたしは思わず立ち上がった。
きっとこれからチェックアウトなのだろう、荷物を持ってこちらに向かって歩いてくる。わたしの元に近づいてくる。
椎名君―わたしは声を掛けようとしたのに。
彼はわたしの横を素通りしていった。
彼はずっと奥さんのことだけを見つめていた。奥さんの背中に腕を回して、とろけるような微笑みを彼女にだけ向けていた。
わたしはその場で固まったまま微動だにできなかった。何を、どうしたらいいというのだろう。
椎名君はわたしなんて、わたしがここにいることすら想像もできないくらいに、奥さんにしか目がいっていなかった。囁き合うような夫婦の会話がちらりと耳に入ったけれど、中身はすべて素通りしていった。
「――椎……」
わたしの勇気を振り絞った声は、雑踏にかき消された。わたしは彼の方へ体を向ける。彼の背中が視界に映る。チェックアウトをするためにカウンターに並んでいると、ホテルのスタッフが側に寄ってきて、お辞儀をする。それに合わせて二人も深々と頭を下げる。ああ、きっと結婚式の担当さんなのかな、と頭の冷静な部分が分析を始める。
わたしがいなくても世界は回っているし、彼の生活にわたしの入る余地などない。
そう見せつけられているようだった。二人はチェックアウトを済ませて、ロビーへ歩いていく。親族なのだろう、年配の男女のグループと談笑を始めた。
わたしは足を踏み出しかけて、しかし、影を縫い留められたように動くことができずにいた。喉の奥からせりあがってくるものがあった。もう枯れてしまったと思っていたのに。最後の最後で泉から湧き出る水のように、涙が溢れた。
涙は頬を伝って、下に落ちてを繰り返した。何度も何度もあふれ出てくるそれを止めるすべをわたしはわからない。
写真が欲しかった。椎名君の隣で、可愛いドレスを着たわたしと、微笑む彼の写真が。だってずっとそばで見つめてきたんだもの。それくらいいいじゃない。
あなたはわたしよりも後から椎名君と出会ったくせに、美味しいところを持って行って。そんなのずるい。ずっとずっとわたしが見つめてきたのに。
涙は枯れてくれない。
どうしたらよかったの。
だって、告白なんてできなかった。していれば何かが違っていた、なんてそんなの結果論でしかない。
わたしはぽたぽたと雫を垂らしながらホテルのエントランスへ向かった。
誰も、わたしに気づいてくれることはない。本当に気づいてほしい人はわたしとは別世界に行ってしまった。