椎名君は項垂れた。そのあと「そんなことないよぉ。わたしはそれくらい想われたら嬉しいよ」などという慰めの言葉がテーブルの上を飛び交った。

 わたしは場の勢いで「椎名君の想いをわかってくれる子は絶対に現れるよ」と伝えた。それを聞いた椎名君は目を細めて「ありがとう」と言ってくれた。

 しっかりと視線を合わせてくれたお礼にわたしの頬は真っ赤になった。お酒の席で本当によかった。きっと彼にもいつかわたしの想いは伝わるはず。わたしの頭の中にそんな言葉が浮かんだ。だって、わたしたちは大学時代からの付き合いで、いまはまだ友人だけれど。わたしは椎名君のいいところをたくさん知っているから。きっと椎名君もわたしの気持ちに気が付いてくれるはず。

 ※ ※ ※

 三十三の年になってもわたしは椎名君への想いを拗らせていた。会社の同期も友人たちも次々に結婚をしていった。子供を産んだ子たちもだいぶ増えた。
 わたしは相変わらず会社と家を往復する毎日で、三十を超えたあたりから両親から結婚について質問をされることが増えていった。

 いつかきっと椎名君にわたしの想いが届くはず、何の確証もないのに彼がまだ独身なことだけが唯一の望みだった。だから、相も変わらず学生時代のメンバーから招集がかかれば顔を出していた。女性の参加者は三十を超えたあたりから徐々に減っていった。

 結婚をすると夜家を空けることが難しいらしい。会うたびに「出会いなんかないよ」という椎名君の言葉に安心をしていたのに、青天の霹靂はまさにこのことだった。

 彼と仲の良い友達に結婚式の日取りを伝えたそうで、その彼が椎名君の結婚話を肴に飲み会を企画した。

 椎名君が結婚をするだなんて。
 ずっと、寂しそうに笑って、そんな相手なんていないって言っていたのに。わたしはどうすればいいの? ずっとずっと待っていたのに。ちょっと隣を見てくれればよかったのに。

 ずっと椎名君を見てきた。わたしたちが二十七の年、彼は会社の研修制度でアメリカへと旅立った。アメリカに勤務すること三年。旅立ちが決まったとき、わたしは柄にもなく色めき立った。この段になってきみのことが好きだって気が付いた、なんて言われて一緒についてきてほしいなんて言われたらどうしようって。

 少女漫画か三流映画並みの展開を夢想し、勝手に心臓をばくばくさせていたのに、現実はあっけなくて奇跡は起こらなかったけれど、他の女性にも起こらなくてわたしは安心したのに。

 それが何の前振りも無く結婚するという事実だけを聞かされた。サプライズで結婚祝いを贈ろうという案が出され、わたしもいくらか負担をした。
 椎名君の結婚の話を聞いてからのわたしは何に対しても身が入らなくなっていた。

 ずっとずっと好きだったのに、側に居たのに彼は別の人と結婚をする。特定の人なんていないなんて、嘘ばっかり。本当はいたんじゃない。どうして、わたしに気を持たせることばかり言うの。ついに彼が誰かのものになってしまう。

 椎名君が誰のものにもならなかったからわたしもずっと待っていられたのに。それすらできなくなる。わたしの心から涙が溢れて、ずっと零れ続けた。
零れて水たまりになった涙は乾くこともできずに、そのままわたしの心に留まり続けた。溢れる気持ちを持て余したわたしは百貨店である買い物をした。

 彼をお祝いしよう。そうしたら、きっとこの気持ちも昇華できるはず。彼を好きだという気持ちを押し込めて。わたしは結婚のお祝いである旨を伝えてことさら丁寧にラッピングをしてもらった。買い物袋を片手にわたしは帰りに文具店でメッセージカードを買って帰った。

 同級生の開いた飲み会の席で、椎名君は集まった友人たちから質問攻めにされて、女性陣のいくらかの嫉妬と羨望の混じった視線に気が付くこともなく平然と惚気ていた。学生時代の人気者がついに誰かのものになる。恋心とは別のところで、女性陣の心の中にほんの少しの寂しさがあったことをわたしは敏感に感じ取っていた。

 ※ ※ ※

 結婚式の二次会が始まって少ししたとき、同級生の三浦君が話しかけてきた。最初の乾杯の挨拶が終わったときのこと。

「川瀬、ちょっといいかな?」

 大学生時代によくレポートの手伝いや宿題を写させてあげた彼だ。彼も未だに独身で、今回の幹事役を引き受けたのは新婦側の友人とお近づきになりたいという思惑もあってのことだと笑っていた。調子の良いところは学生時代と変わっていない。

 わたしは三浦君の後ろをついていった。二次会の会場は東京ベイエリアのホテルにあるバーラウンジ。結婚式と披露宴と同じホテル。有名なテーマパークに隣接するホテル群のひとつ、というだけあって四月だというのにホテル内には家族連れや友人同士などの泊り客の笑顔で溢れていた。もちろん二次会の会場も同様だった。

 バーラウンジから少し歩いてエレベーターホール付近に設置されたベンチまで来て、彼は腰を落とした。わたしも続いた。

「どうしたの、急に」

 わたしは三浦君に尋ねた。二次会が始まったばかりだというのに。まだ椎名君に声もかけていないのに。

「どうしたの、じゃないよ。川瀬、その格好はちょっと、無いと思う」

 三浦君は険しい顔をわたしに向けてきた。
 わたしは首をかしげた。

「なにが?」
「何がって、二次会とはいえ結婚式の延長みたいなものだろう。それなのにその色のパーティードレスってあり得ないだろ、って話」

 彼がわたしの服装を眺めて、最後に視線を合わせてきた。彼の声は固いまま。

「ほかの女子に聞いたらさ、結婚式のお呼ばれワンピースでも、スカートか上半身か、どちらかがオフホワイトなのはたまに見かけるって話だったけど。川瀬のはそれと違うだろ。全身真っ白。上から下まで。それに髪の毛に白い花飾りまでつけて。さすがにさ、どうかと思うよ、その格好」

 三十過ぎて結婚式の常識も分かんないわけ? と彼は続けた。

「だって、真っ白じゃないよ。オフホワイトだもん。花だって別に結婚式用のとかじゃなくて、普通に駅ビルで買ったものだし」
「薄暗い会場で真っ白かオフホワイトか、なんて違いを気にする奴なんていないから。どういうつもり?」

 三浦君の詰問は止まなかった。険しい彼の視線を受けてもわたしは怖いと思うどころか、心の一部が壊れているみたいに冷静だった。

「どうしてって。わたしはただ椎名君の結婚をお祝いしているだけだよ。結婚式には呼ばれなかったから、こうして二次会に来たわけだし」

 きょとんとしたわたしの態度に三浦君は目を少し丸くした。それは一瞬のことだったけれど。

「悟が会社関係以外で女友達呼ばなかった訳って知ってる?」
「椎名君友達多いから」
 三浦君は、はあっとため息を吐いた。

「こんなこと、言いたくはなかったけどな。川瀬、去年の十月頃の飲み会で悟
に結婚祝いやっただろ」

 わたしは頭の中に件の飲み会を思い浮かべた。そうそう、椎名君の結婚おめでとうの会という名の飲み会。その席で友人一同からという結婚祝いとは別にわたしは帰り際に彼に個人的にお祝いを渡した。
 わたしが頷いたのを確認した三浦君は続けた。