拝啓

 吹く風も柔らかな季節となりました。皆様におかれましてはお変わりございませんか。

 さて、今回私が筆をとったことの理由を述べるとすれば、私の初恋を独白しようと思ったのです。悲しいことに、人とは忘れる生き物です。このままでは、私は、彼がどんな声で私を呼んでいたかも、どんな表情で私を見ていたか、彼に抱きしめてもらった時の記憶も、柔らかなにおいも、朧げになってしまう。
 それはあまりにも寂しいじゃないかと、私の記憶に残そうと思い立ちました。ですが、どこかに書き留めればと思うのですが、いつ誰の目に触れるとも分かりません。
 なので、手紙に記しました。これならば、誰かの目に止める機会もないでしょうから。
 皆様から「我々に対して惚気ないでほしい」と謗られても仕方がないのは重々承知しております。
 ですがこれ以上、大好きで大切なあの人と時間を忘れてしまうのは、恐ろしくて仕方がありません。今の私は、それをなにより恐怖しているのです。
 なので私の初恋は、手紙にして封じる事にしました。あの人の事は忘れずに、恋だけは封じるのです。地中にでも埋めてしまえば皆様以外の目に触れる事もありません。地に沁みわたる雨によって溶け、消えていく。そうしてなかった事にしてしまうのが、最善のような気がしてならないのです。
 矛盾しているかもしれません。ですが、これしか、私には案が浮かばなかったので、お許しいただければと思います。
 今こそこうして仰々しく書いておりますが、本当はこんなことをする予定はひとつもありませんでした。私の人生はひとえに、導かれただけにすぎないのです。

 私のパパは二人兄弟の次男でした。
 初孫だった私はとても可愛がってもらっていました。父親からだけではなく、祖父母からも。記憶にはあまり無いけれど、曽祖父母にも。更に言えば父の従兄……私からすれば従兄叔父夫婦や、大叔母など、沢山の親族に可愛がられて育ったと自負しています。
 沢山の愛しいという思いが伝わってくるようで、私も、祖父母や父が大好きでした。
 その中で一人、しっかり、はっきりと彼を見つけたのです。
 その人は父の兄であり、私からすれば叔父にあたる人でした。
 名を遠野知唐。市の役所で働く、公務員です。ご察しの通り、彼が、私の初恋の相手です。
 彼の名の由来は、彼の誕生日の誕生花から来ているそうです。花好きの父方の祖母と曽祖母が中心となって決めたようです。因みに、私の父、杏哉も同じです。なんの偶然か、二人の誕生日は同じ3月1日生まれ。名で察する方もいらっしゃるかもしれませんが、誕生花は杏です。可愛らしいピンク色の、春の訪れを知らせてくれるお花です。
 そんな父から生まれた私も、気が付けば誕生花に関する名前になっていました。名を苺音。誕生日は3月31日。誕生花は苺です。可愛らしい実と花を咲かすので、個人的には気に入っています。ただ、初見では私の名を『もね』とすんなりと呼べる人がなかなか現れないのが、寂しいところではありますが。
 叔父は少し猫背気味で、先がウェーブ状の癖っ毛に、凛々しく少しつり上がった目尻が特徴的でした。少しうっすらぼんやりとした輪郭の瞳は少し怖くもありましたが、私を抱く腕は一等優しく、壊れ物を扱うように触れる手は温かくて。ふとした時、私へ向ける形容しがたい顔を仰ぎ見る度、幼心ながら、放っておけない気持ちになっていたのを覚えています。
 それがやけに記憶に残って、気が付けばいつも彼の後をついて、いつも彼を呼んでいました。彼の服を引っ張っても彼は怒ることなく、私を抱きかかえ背中を撫でてくれるのです。
「おいちゃんあそんで」
「ん、おいで」
 誘われる手に招かれて、彼の膝の上に座る。ここが私の定位置になりました。
 私が懐いてしまったからでしょう。彼に声を掛ければ、面倒を見てくれることが自ずと多くなりました。
 彼は穏やかな人でした。大きな声を特に出すわけでもなく、丁寧に一言一言を発する。言葉をとても大切にしているのだろうと言うのが、柔らかい空気と共に伝わってくるかのようでした。穏やかで、人の心にゆっくり沁み渡るような、低くて深い、それなのに甘い。焦がしキャラメルのような甘さの声を持つ彼の話を聞いているだけで、読み聞かせをしてもらっているような気分になったものです。名前を呼ばれると、耳を通して自分の身体がじわっと溶けていくような多幸福感がありました。
 叔父は読書家で、よく自室に籠っていました。それでも、私が部屋を覗くと、秘密だよと、膝に乗せてくれ、沢山の本を読み聞かせてくれました。彼の本棚には、彼のお気に入りの本と、私の年代向けの絵本など、色とりどりに変わっていきました。
 彼は誰かと居る事はあまり無く、一人静かに本を読んでいる。
 凪のように静かで、落ち着いていて、あまり波を立てない。そんな落ち着いた彼の静かな空気と、涼やかな雰囲気。穏やかだけれどクールな男性でした。
 一瞬、話しかけるのを躊躇ってしまうのだけれど、話しかけると優しく受け入れてくれる。優しく微笑み、向き合ってくれる。静かで涼やかな空気が、柔らかいものとなる。
 そんな叔父が大好きで、大好きで、大好きだったのです。

「おじさん、きょうもごほんよんで」
「ん、良いよ。……君は、本当にこの話が好きだね」
 彼は小さく笑いながら、私の頭を撫でる。彼の言う絵本は、良い物を見つけたと私がおねだりをして、彼が買ってくれたものでした。祖母と祖父はこの絵本を見た際に、懐かしそうな顔をしていたので、もしかしたら私達の好みが似ていたのかもしれません。
「うん、だいすき!」
「そっか。俺も、この話が好きだったよ」
「ほんとう!? パパは?」
「パパ? うん、好きだったんじゃないかな」
 少しだけ眉を下げて見せる笑みは、彼が私に良く見せる表情でした。
「苺音ちゃんは、ママとパパが好き?」
「だいすきだよ!」
「どういうところ?」
「えっとねー、ママはこわいけど、ごはんがおいしいの! パパはねーかっこいいところ! つかれたらおんぶしてくれるのとーいろんなところつれてってくれる!」
「あーぽいぽい」
 小さく笑いながら、彼はいつも優しく話を聞いてくれました。私が父の話をする時は、いつも以上に優しい表情になるのです。彼のその優しい顔が大好きで、いつも話をしてしまいました。
「あとねえ、パパはね、いつもわたしのみかたになってくれるの! パパすごくやさしいの」
「……そうだね。優しい人だよね」
 そう言って彼は微笑む。
 丁寧に、柔らかく、絵本を読んでいるような穏やかな声で言う。その時の横顔が、どこか少し寂し気で、物悲し気な空気もあって。
 柔らかいけれど、丁寧だけれど、優しいけれど、その心はずっと凪いている。そして、どこか薄い壁のような物も感じました。
 叔父の事をもっと知りたいと、思ったのです。

 私が3歳の頃、両親が離婚しました。
 元々両親は共働きであり、それぞれの勤務時間の違い、家庭内のいざこざなど、理由はいくつかあったのでしょう。今でも、父は私に詳しい話はしてくれません。
「あの子は、繊細すぎるというか、扱いにくいのよ。生きにくい子だと思うわ」
 二人が別れる寸前。母のそんな言葉を盗み聞きしてしまいました。当時の私は3歳で、母の言っていた言葉の深い意味は知りません。けれど、彼女の表情、声色、それらを感じ取った際に、私のことが好きではないのだろうなと、察してしまったのです。
「あなたはどうする?」
 母に問われた時、彼女の表情や態度は、私を選ぶなと言っているようにも思えました。
「パパといく」
 その瞬間の母の、あからさまにほっとした表情が、全てを物語っていました。

 その後、父に連れられ、父の実家に戻ることになりました。当然、当時は実家から務めていた叔父とも共に暮らすことになるので、私は母との別れの寂しさと、叔父と過ごせることの嬉しさに挟まれてしまいました。
 祖父母も、叔父も、私達を怒る事もしませんでした。父が仕事に行っている間は、祖父母や叔父が面倒を見てくれたので、母を失った寂しさを深く感じる事は、あまりありませんでした。
 叔父は聞き上手で褒め上手でした。人の話を折ったりせず、境界線というものを分かっていて、丁寧に聞いてくれる。だからこそ、何かあったらついつい話をしに行き、泣きつきに行き、甘えてしまう。兎に角彼は優しかった。おじさん、と声を掛けると、優しい顔で、彼は「うん」と優しく頷く。
 いつも私ばかり話をしてごめんなさい。そう謝ると
「謝る必要はないよ。苺音ちゃんにだけ内緒話なんだけどね? 俺、話すのはあまり得意じゃないんだ。けど、苺音ちゃんの話を聞くのはすごい楽しみなんだよ」
 蕩ける様な笑みを浮かべて、彼は言ってくれるものだから。
 時間があれば、仕事のことを考えるその真面目さとか。なのにちょっと抜けてる感じとか、ちょっとドジな所とか、少し忘れん坊なところとか。よく見てたら、叔父は可愛らしい人だったみたい。
 一緒に食事に出かけた時、私がお子様ランチを頼むと、彼はオムライスを注文する。どうやらオムライスが好物だったみたいで、好きな物が一緒だった時、凄く嬉しかったのを覚えています。
「こんどはパパともいっしょにこようね!」
「……そうだね」
 彼は、どこか引け目を感じているようでした。

 私が小学生になる年、叔父が家を出ることになりました。市が管理している別の機関への異動となったので、実家よりも親戚が残した家の方が近く、その家へ引っ越しを決めたのです。
 当時の私は、それはもう大泣きしました。体中の水分が、全部涙となって出て行ってしまうのではないかとばかりに。喉が潰れてしまうんじゃないかとばかりに叫んで。今でも家族の笑いのネタにされています。ですが、仕方ないでしょう。だって、大好きな叔父が居なくなってしまうのです。一緒に過ごしていたのに、居なくなってしまう寂しさから、私は必死に引き止めましたが、そこは流石に大人の事情です。
 必死に私の顔を拭って、宥めて、頭を撫でて。ああ、この優しい手の平が遠くなってしまうのだと、更に泣いてしまい、自分で泣く苦しさにまた泣くという、赤ん坊もびっくりな泣き様だったと自負しています。
「いつでも遊びに来て良いからさ」
「ぐす、行ぐ……!」
「うん。パパと一緒に遊びにおいで」
「うん」
 大粒の涙をボロボロと零しながら、鼻水も恥ずかしいことに垂らしながら、全ての言葉に濁点が付きそうな声色で言うものだから、叔父は少し笑ってしまったようですが。
「苺音ちゃんの誕生日。一緒にお祝いしようね」
「約束だよ。絶対だよ。これからもずっとだよ」
「うん。分かったよ」
 指切りをして、約束。
 大好きな父と叔父に、私は毎年欠かさず、プレゼントを渡していました。まあ、子供なので、似顔絵とかそういったものでしたが。その年は、祖母に教えてもらった裁縫で、不格好なキーホルダーをプレゼントしました。キーホルダーと言っても、フェルトで作ったほつれが目立つ杏の花と苺だし、紐は手芸糸でしたが、彼は嬉しそうに受け取ってくれたのです。
 彼は毎年、私にケーキと本をくれました。
 彼が引っ越したその年、彼から貰ったのは大好きな苺のタルトと、ハードカバーの大きな本でした。
 いつも絵が多く文字の少ない本ばかり貰っていた私にとって、文字数の多い、大人の本と言わんばかりの本は、まるで彼等の仲間入りが出来たようで。目を輝かせて受け取って、力を込めて本を抱きしめました。
「小学生になる、ちょっとだけ大人に近づいた記念に、少しだけ難しい本をあげる」
「おじさん、ありがとうございます」
「今は難しいかもしれないけれど、読めた時はきっと、君が大人になれた証拠だと思うよ。頑張ってね」
「はい!」
 優しいけれど、ふと見せる物悲し気な表情。どこか遠くを見る様な、そんな表情。窓の向こうを見るその目は、偶に伽藍洞になる。綺麗できらきらと、春の青空のように優しい希望を感じる瞳は、偶に冬の寂しい冷たい空のような瞳に変わるのです。
 私と父が一緒に居る場面を見て、いつも少し寂しそうにする。いつも少し遠くから、少し寂しそうに私達を眺めていました。
「……兄さんは、俺が嫌いだった?」
 叔父が引越しをする以前、夜、寝静まった頃。静かに、寂しそうな父の声が聞こえたことがあります。
 こっそりと覗きこんだ先には、引っ越しの荷物を静かにまとめる叔父と、そんな彼に問いかける父が居ました。父に問われた叔父は、少し驚いたように目を開いて、寂しそうに瞳を揺らし、その言葉を力なく否定した。
 そんな彼の姿に、父はまた寂しそうにして、その部屋を後にしました。
「寧ろ、お前こそ俺が苦手だと、思ってたよ」
 父から隠れるように身をひそめていた中聞こえた、聞こえない程の声で呟いた言葉が忘れられないのです。
 寂しそうなのに、彼からすれば弟である父の事を考えたり話したりする時は、私へ向ける形容しがたい顔と似たような、その寂しそうな顔をする。けれど、彼はそれを示そうとしない。いつだって隠そうとするのです。その、涼やかな顔で。
 声を掛けても、彼は何でもないとゆらりとかわす。叔父の心が読めない。叔父の素が見えない。
 貴方はどういう人なの。
「おじさんは、パパが好き?」
「ん? 勿論だよ」
 私の問いかけに、彼は真っ直ぐな声で、にこりと笑みを浮かべて言う。それに酷く安堵したのです。
「そっか。良かった」
「それに、俺がこうして生きているのも、あの子のおかげだ。あの子は自覚無いだろうけど。兄という生き物は、弟という存在が居ないとなれないんだよ」
 思わず目を開きました。私にはきょうだいが居ないので、少し想像できない世界だったのです。
「だから、俺は杏哉が居てくれてよかった」
 優しい、穏やかで、柔らかくて涼やかな彼は、酷く脆く見えました。

 3月某日。久しぶりに出会った叔父は、白衣装を着て眠っていました。
 子供が死という概念を持てるようになるのは、大体10歳からだと言われているそうです。
 当時の私は6歳。数え年では7歳です。周りの大人たちがすすり泣いている姿を見ても、私はどうもピンとくることはありませんでした。父が、私を抱く腕は、それ以降は、どうも縋る様だったと思います。
「ごめん」
 私を抱きしめながら口にしたその一言は、どういう意味だったのか。
 叔父への言葉を代わりとして私に言ったのか、それとも、叔父と会えなくなった私への謝罪なのか。今でも分かりません。
 叔父の死を一番に直面した父は、暫くの間は抜け殻のようでした。仕事も休みを貰ったらしく、私も学校をお休みしていたので、叔父の死を中々受け止めることも無く、時間だけが過ぎていきました。

 叔父の死からしばらく経った後。葬式などを終え、少しだけ時間の猶予が出てきた頃。
「おじさんに会わせてあげる」
 その言葉に、私は惹かれました。もう会えないんだよ、と言われた叔父にまた会えるのだと。
 叔父を亡くしてから気を負っていた父でしたが、ここ数日は少しだけ雰囲気が柔らかくなっていたことに気付いていたので、内緒で叔父に会っていたのだと、理解したのです。
 それはズルい。私だって会いたいのだ。
 彼から最後に貰った本を抱いて、父と手を繋いで。私は、彼の家へ向かいました。

 そして、不思議な体験をしたのです。
 叔父に会うために電車に乗って、人の居ない駅から降りて、家に向かう途中、目の前に杏の花びらが舞い散ってきました。
 花びらを目で追って、伏せていた顔を上げた。

 その時、目の前に、大好きな彼が居たのです。

 ああ、ここに居たのだ。私は嬉しくて嬉しくて。それでいて、久しぶりだったから少し恥ずかしくて。
 叔父のように優しくて、温かくて、丁寧な言葉遣いで私たちと接する。そして私達を見るその目は、叔父と同じと言っても過言ではなかった。彼の傍は、懐かしさと共に安心感がありました。
 彼と対面した時に、記憶が無いからか、いつもの叔父とは違う雰囲気を不思議に思いはしたものの、彼であることに変わりはないと思い、私は生まれて初めてのナンパをしたのでした。

 そこからは、もうお察しの通りです。
 私と父は、毎日のように叔父に会いに行きました。命を失い、亡くなった人と会えることなど、普通ではあり得ないはずなのに、私達はそんな奇跡に毎日縋りました。
 何が私達をそこまで動かしたのか。簡潔にまとめれば、答えは出ていたでしょう。後悔です。
 人間、生きていくうえで、後悔は避けられない物だと思います。その後悔を乗り越えて、人々は毎日を生きていく。ですが、私達はその後悔を無くしたかった。
 叔父と会えなくなるという、後悔を無くしたかった。
 叔父とちゃんとお別れが出来なかった後悔を、無くしたかった。
 叔父とまだ一緒に居たかったという後悔を無くしたかった。
 そんな私達に付き合ってくれた叔父は生前のまま優しくて、不思議な世界での出来事は、今でもちゃんと覚えています。
 彼と一緒に食べたパンケーキもいちごタルトも、全部が美味しかった。食べている私を見るその目は、とても優しかった。
 弱音を吐いて泣きじゃくっている私を宥めてくれた彼は、生前と何も変わらなかった。私が子供だからと、適当にあしらう事は無く、一つ一つの言葉を丁寧に伝えてくれた。
 彼と見た海は、なんだか寂しかった。あの時には、もう、時間が無かったのでしょう。彼も、自分の容態を俯瞰しているようにも見えました。父が、叔父に何をしたかったのか、私には分からない。けれど、父は、私以上に後悔をしていたのかもしれません。
 叔父は、最後に実家に帰ってきました。叔父と、いつも一緒に居た彼も居て、その時は許してやろうと、思ったのです。これが、最後になるかもしれないと、自分でもどこか察していたのかもしれません。
 二人の会話を、こっそりと聞いていました。当時の私では少し難しいことを言っていて、二人の間に飛び出すことなど、出来はしなかった。
 その時、分かったんです。叔父は、私達と同じ様に、後悔をしていたんだと。
 約束をしていました。父と叔父の誕生日はお祝いでどこかに出掛けようと。私の誕生日には、またケーキを買ってお祝いをしようと。
 彼の後悔が、自分の事ではなく全部私達に関する事ばかりで、なんて人だと。
 そんな約束を、最後に、彼は叶えてくれた。
 短い期間でした。ほんの数週間です。私達が共に過ごしていた期間よりうんと短い期間しか、私達は会えなかった。
 彼は死んでもなお、優しい人。そして、後悔を思い出したくないから記憶を無くした、臆病な人でした。

 叔父の四十九日法要。叔父のことを話題に出される度に、胸がぎゅうと締め付けられるように苦しくて、切なくて。
 お墓に入るのを見送った後、祖母に促され、父と共に先に帰る様に言われました。
「おじさんの家に行きたい」
 私がそう言えば、父は驚いたように目を開き、少しだけ瞳を潤ませて、今にも泣きそうな顔になりながら笑みを浮かべ、分かったよと了承してくれました。
 叔父が暮らしていた家には、可愛らしい花が咲く杏の木があります。杏子は桜よりも早く咲き、早く散ってしまう、春を告げるような花らしいのですが、4月の中盤を過ぎているのに、その杏の花は可愛らしく咲いていたのです。
 父は驚いて、その花を見上げていました。
 叔父と会う時に、ここにある木の花はいつも咲いていたと思います。現実でもずっと咲いていたのか、それとも、単に遅咲きだったのか、それは分かりません。
 父の名前、杏哉にある杏。言い回しが違うけれど、同じ意味を持つ唐桃から来ている、叔父の名前、知唐。二人にとって、この木は特別だったのかもしれません。

 可愛らしい花を二人で見上げていた時、ふわり、と私達を包み込むようにして風が舞いました。
「杏哉、苺音ちゃん……ごめんね。だいすきだよ。ばいばい」
 まるで温かいものに包まれたように、その温かい物がゆっくりと離れていくかのように。大好きな彼の最後の言葉が、聞こえた気がしたのです。
 振り向いた先には、叔父の背中が、花びらに包まれて見えたような気がしました。
「……兄さん?」
 父も振り向いた時には、もう、叔父の声が聞こえる事も、姿も見えなかった。
 振り向いた際に聞こえるのはただの風の音。最後の最後に、父は彼が消えてしまったことを察したのかもしれません。二度と会えないことも、気付いてしまったのかもしれません。父はただ、何度も、兄さんと虚空に声を掛け続けました。
「だいすきだよって、言ってた」
 私の言葉を聞いて、父の足元に、ぽつり、ぽつりと雫が落ちました。そしてすぐに、顔を手で少し拭ってから、振り返って、笑みを浮かべたのです。
「あの人らしいね」
 叔父を亡くし、抜け殻のようになっていた父は、もう居ませんでした。それが何だかとても、嬉しくて。
 さらさら、と杏の花びらが舞い上がる様にして散った光景は、今でも鮮明に覚えています。


 あの日以降、生前の叔父の事も、数週間の叔父の事も受け止められたのか、父には笑顔が戻っていったような気がします。叔父を想う人は、彼の真面目さも優しさも全部、ちゃんと覚えています。
 父と一緒に強くなろうと決めました。戦う為じゃなくて、生き抜くために。何度でも立ち上がれるように。
 父の頭痛持ちも、少しずつ緩和しているようです。昔と比べると、頻度や痛みが和らいできたとの事。叔父も頭痛持ちだったので、やっぱりこの兄弟は変なところが似ていると思います。
 私達は彼の事を背負っていくけれど、彼の事を笑顔で語り合えるようになった今なら、きっともう大丈夫。そう思えるのです。

 私も、気が付けば大人になりました。大好きな叔父にも見守ってもらいたかったことは、正直、沢山あります。学校に行けるようになったこと、友達が出来たこと、卒業式やテスト勉強。たまに、ふと、父の隣に、叔父の姿を探してしまうことがあります。初恋は偉大だと思います。

 実は、そんな私にも、新しい春が来ました。
 そうです。だからこそ、今回は手紙をしたためたのです。
 彼への思い出を忘れない様に。けれど、恋心は置いて行けるように。新しい人を、愛せるように。
 叔父のように少し癖っ毛で、ツリ目な容姿に最初は惹かれたのですが、歳下なのにとても包容力のある優しさから、つい懐柔されてしまいました。私は年上派だと思っていたのに、人生とは分からないものです。
 近いうちに、父に紹介したいと思っています。その時はどうか、この杏の木の下から、お力添えを頂けたらと思います。父は、また頭が痛いと言い出しそうですが。

 長い話を失礼しました。どうか皆様のますますのご健康を心よりお祈り申し上げます。

 敬具
 遠野苺音