その瞬間、カッとなった凛花が、手元にあったアルミ製のボウルを平良に投げ付けた。生地が入ったままのボウルは、平良の肩に当たって中身を周囲に撒き散らす。

「あ、ご、ごめ―――――」
「ちょっと、やることがあるから」

 立ち尽くす凛花に視線を送ることもせず、シャツに飛び散った生地を軽く払った平良は店を出て行く。追い掛けようとした凛花は、床に散らばった生地を前に立ち止まった。

「ご、ごめんなさい」
「・・・凛花」
「ごめんなさい」

 凛花はその場で膝を折り、謝りながら素手で生地を集めていく。その姿を見詰めながら、店主は深くため息を吐いた。上手くいかない時は、何をしても状況は悪化していくものだ。

 背を向けた凛花の肩が、小刻みに震えていた。


 午後7時を少し回った頃、2日続けて岡原が来店した。
 飲食店に来たにも関わらず、有名な洋菓子店の袋を手にしている。どうやら、アルコールが入っているのかと見紛うほど、散々管を巻いて長居したことのお詫びらしい。そんなことは些細なことなのだが、岡原が「どうしても」と引き下がらないため、店主は仕方なく受け取った。

「肉・たま・ソバ、チーズ」
「はい」

 岡原はいつものように注文すると、シャツ越しに自分のお腹をつまんだ。そして、苦笑いを浮かべながらも、お好みソースに手を伸ばす。

「大丈夫かなあ、2日連続でお好み焼き食べても」

 ぼんやりとその様子を眺めていた凛花は、不意に顔を上げた岡原と目が合う。岡原はニコリと晴れやかに笑い、凛花に声を掛けた。

「凛花ちゃんには関係ないよね。モデル体系だし、まだまだ若いから、ガンガン食べてもドンドンカロリー消費するしね。私にもそんな時代があったのに、もう私はアレかな」

 確か、27歳のはず・・・
 凛花は岡原の年齢を思い出し、自分のお腹をチラリと見る。
 しかし、お腹のお肉よりも、もっと気になっていたことを凛花は思い出した。当然、岡原が手土産を持参することになった例の「相談」のことだ。

 訊ねようとして何度も口を開き、自分が口を挟むべき問題ではない―――と、その度に口を閉じる。それを何度か繰り返したたが、他の客が支払いを済ませた時を見計らい、思い切って岡原の名を呼んだ。

 何か力になれることがないかと、昨日からずっと考えていた。当然のように、凛花に答えは見付けられなかった。その答えを、岡原が見付けたのか知りたかった。


「あ、あの、岡原さん」
「んー何かな、凛花ちゃん。恋の相談なら絶賛受付中だよ。ほらほらあ、お姉さんに言ってみ?」

 昨日とは打って変わり、上機嫌の岡原がニヤニヤと笑いながら身を乗り出してくる。

「き、昨日のことなんですけど・・・」

 凛花の口から出た言葉に、隣に立っている店主が「アチャー」と額に手をやって天を仰ぐ。しかし、当の岡原は気分を害することもなく、軽薄な笑みを消して真摯な表情で凛花を見詰めた。

「うん。まあ、とりあえず終了かな」
「解決したんですか?」
「うーん・・・とりあえずね。お茶」
「あ、はい」

 凛花は温かいお茶を湯呑に注ぎ、岡原の元に運ぶ。岡原はそれを受け取ると、まるで実の姉のように優しく微笑んだ。


「ありがと。
 解決って訳ではないんだけどね。ひとまず終了―――って、感じ。
 時々ね、いろんなことが分かんなくなるんだよね。
 いつもは、何も考えず、朝起きて、化粧して、会社行って、仕事して、遊びに行って、帰宅して、寝る。毎日、毎日、これを繰り返す。
 よくさ、年を取ると1年が速いって言うけど、これホント。そりゃそうだよね、サプライズなんて起きるはずはないし、街角でドラマのような出会いなんてものもない。毎日同じことの繰り返し。何の変化もない。そりゃ、時間が経つのは速くなるよね」

 岡原が湯呑を手に取り、フゥフゥと冷ましながら口に運ぶ。

「アチチ・・・
 普段は何も考えないんだよね。結局、満足しているんだと思う。誰もが羨む一流企業に就職し、そこそこ給料を貰い、ボーナスだって結構出るしね。
 親の敷いたレールの上を進み、偏差値だけを気にしながら勉強して、その結果がこれなら、大成功だと思わない?」

 岡原に問い掛けられ、凛花は返事に困る。しかし、最初から返事を期待していた訳ではい岡原は話しを続ける。