芽衣は平良の説明に納得した様子で、その後は、祖母の病状が悪化した原因を、「えびすやにある」―――などと騒ぐことはなくなった。しかし代わりに、もっと厄介な事態になっている。
「さあ、愚民どもよ。この私に美味しいお好み焼きを食べさせなさい!!」
週に1度の割合で、芽衣が来店するようになったのだ。
どうやら、この近くに父親の勤務先があるため、何かと理由をつけては臼田家に立ち寄っているらしい。そのついでに、と言っては「えびすや」に顔を出しているとのこと。
どうでもいいが、父親の勤務先が近いことと、芽衣が臼田家に立ち寄ることの関連性が全く分からない。別に芽衣が働いている訳ではないのだから。
来店しては上から目線の暴言を吐きまくっている芽衣を、いつまでも野放しにはできない。その度に不機嫌になる凛花を宥めるのは大変なのだ。そろそろ年長者として、人生の厳しさを叩き込まなければならない。
平良はごく自然な態度で、少し離れた場所に座る芽衣に話し掛けた。
「芽衣ちゃん、そのセリフって、マンガ(下ネタ満載の下品なマンガ)に出てくる主人公のマネだよね?」
「え?」
「好きなんだってねー?」
「え? え? え?」
「個人的には、小学1年生が見るマンガではないと思うけどねー」
「なぜ、あんなマイナーなマンガを知っているのよ!?」
真っ赤になってうつむく芽衣。
少し可哀相かとも思ったが、いちいち絡まれる平良もいい加減うんざりしていた。人生の荒波に飲み込まれてしまえば良い。そもそも、フルチンで社交ダンスするようなマンガを買い与えるには、まだ時期尚早だろう。
「ふ、ふん。スパイね。スパイをを雇うとは卑怯な!!でも、芽衣は負けないっ」
「一体、何と戦ってんだよ・・・」
そんな芽衣の隣で、相変わらず母親が周囲に頭を下げている。
芽衣の容姿を見ると子役のマネージャーに見えるから、ペコペコ頭を下げるのは止めた方が良い。と、平良は本気で思う。
こうして、芽衣が賑やかしに来店するようになったこと以外、えびすやに大きな問題は起きず、平穏な日々が続いていく―――はずだった。
7月最初の水曜日。この日、凛花は恒例となったバスケットボールの練習に行って不在だった。必然的に、カープエプロンを装着した平良と店主が店番ということになる。2人は会話をするでもなく、ただ並んで立っている。
すっかり環境に順応した平良は、たまに立ったまま寝落ちしていることがある。本人はバレていないつもりだが、大声で寝言を口にした時、さすがに店主も立ち寝に気が付いた。ちなみに、「肉・たま・ソバ・ダブルで」が、その時の寝言だ。
午後6時だというのに客がいない。いつも決まって、こういう日に事件は起きる。
「こんばんわ」
「いらっしゃい・・・ませ?」
のれんをくぐって入って来た人物を見て、平良の語尾が疑問形になる。来店客が平良のよく知っている人物だったからだ。
「良太郎君、こんばんわ」
平良は対応に困り、とりあえず頭を下げる。それを目にした紗希は、薄く微笑んだあと店主の前に座った。
「あの・・・
占って頂きたいことがあるんですけど」
予想だにしていなかった言葉。驚いた平良は紗希の胸元に視線を向けた。
少し前、中央駅の前で会った時に見付けたカギ。纏う気配が気にはなっていたが、2週間ほど会わないうちに随分と大きくなっている。あの時は小さかった紫色のカギが、今は胸元に食い込んでいた。
「もう、占いはやってないの。ごめんなさい」
店主の返事に、紗希が目を見開いたまま硬直している。
違う意味で平良も同じ思いだった。なぜ突然、紗希がそんなことを口にしたのか意味が分からなかった。紗希は、前店主が亡くなったことも、占いをしていないことも知っているはずなのだからだ。
「そう・・・なんですか。
先日ウチに寄った芽衣ちゃんが、こちらの占いが凄いって、そう言ってたので。もしかしたら、また占いを始められたのかと・・・すいません、私の勘違いだったようで」
頭を下げる紗希に恐縮した店主が、更に深々と頭を下げる。こんな動きをする、細い鳥のオモチャがあったような気がする。
傍から見ると少し滑稽な光景だが、今の平良にはとても笑うことができない。
いつもは黙って眺めているだけの平良が、珍しく口を開いた。
「先輩、何か差し迫った悩み事がありますね?
いえ・・・悩み事と言うよりはストレス、と言った感じですか?
もしかすると、プレッシャーという表現の方が正しいのかも知れませんけど」
平良が口にした内容に、紗希は驚愕の表情を浮かべる。
それはそうだ。一言も占って欲しいことを言葉にしていないのに、概要だけとはいえ的確に言い当てているのだから。