「たーいーらー」

 翌日の昼休憩、凛花の声が3組の教室に響き渡った。その声に、窓際に座っていた平良が顔を上げる。
 顔の腫れは随分と引いたが、青いアザは昨日よりも痛々しい。平良に関心が無いのか、平良だからこそなのか、担任の教師にケガの理由を尋ねられた際、「転びました」の一言で詮索は終了した。

 誰に気兼ねすることもなく、凛花がズカズカろ教室の中に足を踏み入れる。いつものことなので、3組の生徒達も特に気にしていない。凛花は教室の真ん中辺りで弁当を食べている中薗と島田に手を振り、窓際の席に向かって歩を進めた。

「何?」

 すぐ目の前でパンに齧り付く平良を、仁王立ちの凛花が見下ろす。チラリと目線だけ上に向け、能面のような顔で平良が訊ねた。

「いやいやいやいや、何?じゃないでしょ」
「え?・・・ああ、芽衣ちゃんが夕方、えびすやに来る件か」

 来る・・・か。
 平良の言葉が変化していることに気付き、凛花は理由も分からず安堵した。無意識にほころんでしまいそうになる表情を引き締め、ここに来た目的を果たす。

「当然!! 昨日は、あんな感じだったから聞けなかったしさ。まあ、アンタが大丈夫みたいなことを言うから、そんなに心配はしてないけど。でも、私は何も聞いてないし・・・」

 「えびすや」以外の場所では珍しく、少しふてくされた表情をする凛花。2人のやり取りに聞き耳を立てている男子生徒達の胸から、一斉に「キュン」という音が聞こえてくる。

「まあ、それは・・・ひ・み・ちゅ」

 可愛く言ってみたものの、後頭部からスパーンという音が聞こえ、平良の顔面が机にめり込んだ。

「ケガ人に何ていうことを・・・」
「ふんっ」

 平良に背を向け、中薗と島田の方に向かって歩き出す凛花。中薗は2人の姿を見て手を叩いて笑っている。島田は慌ててカバンから絆創膏を取り出そうとしている。

 それじゃ、これは治療できないって・・・
 そう思いながら3人を眺めていた平良は、ふとトメさんの自宅に行った時のことを思い出した。

 机の上に散らばったタロットカード。一番上のカードは、平良にとって正位置のJUSTICE。その意味は・・・

―――平常心を保って下さい。感情のコントロールが必要な時です。客観的に判断しなければ、相手の言葉や態度を深読みしてしまったり、大切なものを見失ったりします。無駄に感情を消耗してしまわないように、冷静に事態を把握することが大切です―――

 平良の視界が真っ白な光に包まれる。
 平良は、会ったことがないトメさんの笑顔を見た気がした。

 ああ・・・
 あれはトメさんの、僕に対する占いの結果だったのだ。


 放課後、いつものようにいち早く廊下に出た凛花は、そこで珍しいものを目にした。まだ廊下にいる生徒はまばらで、隠れているつもりなのかも知れないが、凛花のいる場所からしっかり見える。

 こんなことは今まで一度もなかったことだし、そもそも、相手に確認もしない内に、勝手に自分を待っていると決め付けるのは自惚れが過ぎる。
 凛花はそう思い、気付かないフリをして、いつも通りに一気に階段を駆け下りた。踊り場でチラリと振り返るが、ついて来る気配はない。「危うく嫌なヤツになるところだった」と反省し、凛花はそのまま川中駅へと急いだ。

 授業の終了とともに、誰よりも早く廊下に飛び出した平良。平良が廊下に出た時点で、誰ひとりとして生徒の姿は見当たらなかった。急いで1組と2組の間にある用具入れにの陰に身を隠し、凛花が教室から出て来るのを待つ。

 大丈夫だとは思うが、念には念を入れておきたい。相手はトップクラスのクズだ。何をしでかすか分かったものではない。

 何か気になることでもあるのか、廊下の真ん中で立ち止まった凛花が思案し始めた。しばらく眺めていると、唐突に凛花が階段に向かって走り出した。虚を突かれた平良は、慌ててその後を追った。

 全力で追跡する平良。しかし、階段では後ろ姿さえ捕まえることができず、校舎から出た時には、既に凛花が校門を出て行く所だった。