その瞬間、平良の目の前が真っ暗になった。
衝撃。
頭が地面に叩き付けられ、口の中に鉄の味が爆発的に広がる。
その味を噛み締める間もなく、後頭部と背中を激しい衝撃が、何度も、何度も、執拗に襲う。
呻くことさえできない尖痛。
悶絶し、地面をのたうち回る。
本能的に頭を抱えて丸くなる。
嘲笑。
罵声。
嘲笑。
罵声。
そして、繰り返される苦痛。
くの字になって耐えていた平良の腹部を、誰かに思い切り蹴り上げられる。
平良は胃液を撒き散らしながら、反動で地面に大の字になった。
線路から垂れる真っ黒な油、そして濁った汚水にまみれた平良。その姿を見下ろして、肩で息をする熊沢が荒々しく吐き捨てた。
「バカにバカって言われるのが、俺は一番頭にくるんだよ!!」
ゆっくりと上体を起こす平良が、自分の右目が塞がっていることに気付いた。真っ白なシャツも、泥と鼻血にまみれて、もはや何色なのか分からなくなっている。立ち上がろうとしても、身体と意思の疎通ができない。
1対4だ。こうなることは誰の目から見ても明らかだった。それでも、どうしても譲れないものがある。
「バカは・・・お前だって言っただろ。だから、落ちこぼれるんだよ」
熊沢の目がカッと開き、右の拳が平良の顔面を捕える。ゴンッという鈍い音とともに、再び平良の背中が地面に叩き付けられた。そんな平良に馬乗りになり、2度、3度と熊沢が拳を振るう。重く鈍い衝撃音が、列車が線路を叩く音に掻き消されていく。
いくら薄暗いとはいえ、平良の顔が腫れ上がっていることに、他の3人は気付いていた。その表情が徐々に曇っていく。
「クッキー、ちょっとやり過ぎじゃね?」
「ヤバイよ・・・」
周囲の言葉に我に返った熊沢が、自分の下で瞼を腫らし、鮮血に染まっている平良をようやく認識した。
「う、うわあああっ」
地面を這うようにして後ずさり、熊沢が平良から距離を取る。平良はゆっくりと身体を起こし、フラつきながらも立ち上がった。
「ア、アイツはさあ・・・
アイツは確かに、デタラメで、考えなしに行動するけど・・・それは、頭が悪いからじゃないんだよ。
アイツは、他人のために動く時だけ、無理をする。
他人のために、我慢する・・・
そして、最後にはどんな問題も解決する。
アイツは・・・
アイツは、そんな心優しいヤツだ。
他人が満足した顔を見た時だけ、アイツは嬉しそうに笑うんだよ!!」
まるで自分に言い聞かせるように言葉を紡ぎながら、平良はボロボロに傷付いた身体を引きずって熊沢に近付いて行く。そんな平良に圧倒され、熊沢はもちろん他の3人も身動きできなかった。
「だから・・・」
そうだ・・・
「だから、アイツの、助けになろうと」
だから、立花の傍にいて支えようと。
「僕は、そう決めたんだ―――」
僕は、そう誓ったんだ―――
「取り消せ・・・偏差値でしか人間を判断できないヤツを、アイツの傍には置いておけない・・・もう、二度と店に来るな!!」
平良が目の前に迫ると、熊沢はその場に勢い良く土下座する。そして、媚びる様な目で平良を見上げた。
「分かった。いや、分かりました。すいませんでした。もう、あのお店には行きません。もう二度と行きません。誓います」
無抵抗で陥落する熊沢。呆気ない幕切れではあるが、一応の決着に平良はホッと胸を撫で下ろす。しかし、続いて飛び出した言葉に愕然とし、同時に憐れみさえも感じた。
「ですから・・・どうか、学校には黙っておいて頂けますか?どうか、両親には黙っておいて下さい。お願いします!!」
もう良い、本当にうんざりだ・・・
このことを公言しないという約束を4人と交わし、その代わりに、二度と西川駅の北口に来ないことを誓わせた。
足早に去っていく4人の背中を、細くなった視界で見送る。
最初に見た時から、4人の胸には紫色をした巨大なカギが刺さっていた。そのカギは小さくなるどころか、今は真っ黒に染まり、より深く食い込んでいる。黒いカギを持つ人間の末路を、平良は何度と無く見てきた。奈落へ続く穴は、意外とすぐそばにあるのだ。