この日、休憩時間中に平良が教室から消えることはなく、凛花もいつものように中薗や島田に会いに来た。しかし、2人が言葉を交わすことはなかった。
平良は凛花と知り合う前の生活に戻った。
誰からも話し掛けられることはなく、誰からも注目されることもなく、空気のようにそこにいる。教室の隅で窓の外を眺め、教室を見渡し、息を殺してジッと動かない。
でも、それでも、凛花と交わした言葉が消える訳ではない。カラフルに染まった時間を、平良が忘れる訳ではない。
下校途中に中央駅前の書店に立ち寄り、昨日発売の小説を購入する。以前のタイムスケジュールの平良が西川駅の改札を抜けたのは、午後6時過ぎだった。
タクシーが3台しか客待ちをしていないロータリー。その横を通り過ぎようとしていた平良は、駅舎の端にある自動販売機付近にたむろする人影を見掛けた。少し離れた場所を歩いていた平良は、その中に見知った人物を見付ける。国立大学附属高校の生徒が4人。その中には、熊沢の姿もあった。
反射的に平良は、2台並んでいる自動販売機の陰に隠れる。別に何か目的があった訳ではないが、何となく嫌な感じがしたのだ。
そんな平良の存在には誰も気付かず、4人は流れのまま会話を続ける。
「クッキー、そろそろ良いんじゃないの?」
「そうそう、オープンみたいな」
「マジ、いけんじゃね?写メ撮っとけよ、写メ。後で使えるだろ」
「まあな。チョット有名だからって言っても、所詮は川中高校だしな、偏差値低いんだよ。頭悪ぃから、楽勝で落ちるっての。ああ、大学落ちる訳じゃねえよ」
「何だそれ!!ツマンネー」
「まあまあ。とにかく、今日あたり決めてくるぜ。そろそろ店から引っ張り出して、デートして、チェックイン・・・だな。まあ、顔だけは良いからな、顔だけは。脳ミソ空っぽだし、所詮はお好み焼屋の娘だしな、マジで相手する気にはならねよ」
「ヒッデー!!」
「ハハハ、さすがレジェンド、極悪人」
「たまにはストレス発散しねえと。
まあ、勝ち組の特権っていうか、当然の権利?みたいな。一応、バカはバカで使い道はあるんだよな」
「バカはお前だろ。偏差値でしか人を判断できないお前らは、人間のクズだ」
4人の会話に、5人目の声が混ざる。
その声の主に気付いた熊沢が、いつの間にかそこに立っていた平良の顔を確認するように凝視する。
「お前、あの店で会った・・・」
輪になって騒いでいた4人が、熊沢を中心にして横一列に並ぶ。とはいえ、威圧感など皆無だ。所詮は優等生の軟弱者集団、ケンカなどしたこともないのだろう。
しかし、平良の脆弱さはそれ以上だった。
それでも、震える足を叱咤して平良は足を踏み出した。
「取り消せ・・・さっきの言葉を取り消して、立花の前から消えろ!!」
いつもは能面のような平良の顔が、眉を吊り上げて紅潮している。
一瞬気圧されていたものの、彼我の差を認識した熊沢がニヤリと歪ん笑みを浮かべる。
「分かった。こっちで話しをしよう」
薄ら笑いを浮かべて先導する熊沢。その後に平良が続き、平良の背後から他の3人が続く。5分ほど歩いた場所で熊沢が立ち止まり、クルリと振り返った。そこは、薄暗い高架下。誰も通らず、叫び声は列車の通過音で掻き消される場所。
「ここで、話しをしようか?」
歪な笑みを浮かべた熊沢が顎をしゃくると、背後にいた3人が平良を取り囲む。熊沢の意図を、彼等は完全に理解している。
「で、何だって?」
そう口にしながら、熊沢が平良を思い切り突き飛ばした。
後方に体勢を崩された平良は踏ん張ることができず、尻餅を突く形でひっくり返ってしまう。その姿を見た他の3人が、ゲラゲラと下卑た声で笑う。
「これだから、頭が悪い人間は嫌なんだよ。相手は4人もいるのに、こんな人気が無い所にノコノコついて来るなんて」
背後にいた男が、平良の背中を蹴り飛ばす。前屈みになった平良を、右側にいた男が反対側に蹴り返す。顔面から地面に突っ込んだ平良を、左側の男が羽交い締めにして立たせた。
「で、俺に意見があるんだろ?」
ペッと土を吐き出した平良が、熊沢を睨み付けて叫ぶ。
「さっき言ったことを取り消して、二度と店に顔を見せるな・・・この、バカが!!」